地上につづくエレベーターを上がっていくと、低く爆発音の振動が連続して轟いていた。戦場が近くに迫っているのだった。
エレベーターを降りて、気密扉のハンドルを回して、地上に出る。日はすっかり暮れて一帯は真っ暗になっていたが、戦場だけは煌々(こうこう)と仮設照明と爆発の炎で照らされているのだった。
郷大跡地に立ちのぼる黒煙は、巨大な生き物のようにもくもくと天まで伸び、筒状戦車兵器の残骸が折り重なっている。
周囲に警戒の目を走らせつつ、ヒロは有刺鉄線に囲われた郷大跡地に向かっていく。硝煙の匂いとガソリンの匂い、それと熱風とが頬を打った。
有刺鉄線もまた爆発の火災で溶け、ねじ曲がっていた。ヒロはその間を縫って通り抜け、掘削現場に近づいていった。
上空を偵察ヘリが旋回している。投光器で現場を照らし、〝なにか〟を探していた。おそらくヘリも無人機だ。真っ暗闇のなかを投光器の明かりだけを頼りに状況報告するのは、人間よりも無人機のほうが適している。
少女だ。ヒロは愕然とした。彼女はたったひとりで筒状戦車兵器をなぎ倒し、彼らが警備する施設に侵入したのか……?
郷大跡地の中心部には、巨大なクレーターがすり鉢状に掘られている。ヘリの投光器(スポットライト)を躱しつつ、ヒロは巨大なクレーターに向かって小石を投げてみた。底に落ちた音は消えてしまった。底は相当、深いらしい。
暗闇のなか、投光器の明かりを頼りによくよく目をこらせば、クレーターの側面から、いくつもの鉄骨がむき出しになっているのがわかった。もとは人工的な建築物が、この地下空間には存在した。それをなんらかの理由で埋めたのだ。
筒状戦車兵器は、それを掘り返していたのだ。
郷大跡地の大深度施設――そこになにがあるのかはヒロには見当もつかない。ただ、手がかりはある。
少女だ。
彼女が使ったレーザー兵器だった。
上空を行き交う偵察ヘリの数が増えてきた。もし発見されて捕まったらどうなるんだろうか? 売国奴の地下壕を抜け出してきた自分はもう、貴重な人的資源とは見なされず、殺されてしまうのだろうか?
それまで実感の伴わなかった「生存」の二文字が真に胸に迫ってきて、ヒロの背筋をぞくりと寒からしめる。ここで去就に迷っている場合ではない。最低限の危機感を働かせた彼は、すり鉢状のクレーターの斜面に背中をつけて、ゆっくりと降りていった。
底へ行けば行くほど暗闇に飲まれ、足もとも見えなくなっていく。斜面から突き出た鉄骨を手探りしながら、ヒロは確実に底へと向かっていく。
彼女は、このクレーターを降りていったのか? もしかしたら彼女は死んでいるかもしれない。もはやここにはいないかも知れない。彼女がこの先にいるという確証はなにひとつないのであった。
それでも、安穏としたいまの生活を変えてくれる〝なにか〟が、クレーターの先にある。筒状戦車兵器が昼夜を問わず掘削し、十何年も見つけられなかった〝なにか〟。それを自分が見つけられるのかもわからない。
ここまできたら、前に進むしかない。
内心に断言したヒロは、伸ばした足先が地面に着地するのをたしかめた。クレーターを見あげれば、投光器に照らされた開口部分はボタンくらいの大きさになっている。100メートルは下っただろうか?
ケイスケから餞別(せんべつ)代わりにもらった懐中電灯で照らすと、今度は横穴が掘削されていた。
しかし、その横穴は、いままで下ってきたクレーターとはあきらかに異なっていた。掘ったのではなく、まるで切り抜かれたかのように、きれいに丸く横穴がつづいているのだ。
氷や岩盤をボーリングしたのならわかる。だが、崩れ落ちるかもしれない土を横に、しかもきれいに掘削するなど、少なくとも筒状戦車兵器群のボーリング技術では無理だ。とんでもない穿孔力によって、横穴は掘られている。
少女だ。彼女がレーザーで掘削したのだ。
この先に彼女がいる……!
はじめて確信を得たヒロは、慎重に横穴を伝っていった。
(どうしてわたしを目覚めさせるの……?)
刹那、どこからか耳鳴りのように少女の声がして、はっとさせられる。思わず周囲を見まわして、聴覚に全神経を集中させる。
だが、遠くで偵察ヘリの蠕動音がするだけで、ほかはなにも聞こえない。気のせいだったのか? 気を取り直したヒロが、横穴を抜けると、ぼんやりとオレンジ色の非常灯に照らされた人工通路に出たのだった。
電源が生きている。レーザーによる照明を見あげ、いったい郷大大深度施設にはなにが眠っているのかと感懐を結んだヒロは、背中になにかを突きつけられ、びくりと全身を硬直させた。
「誰なの……!?」
背後から誰何する少女の声に応えようと、ヒロは頭を回転させる。だが言葉は形にはならず、口をもごもごと動かすだけだった。
「あなた……民間人ね?」
売国奴、とは言わずに、少女は言葉を選んでいるようだった。
「質問に答えなさい。どうしてここへやってきたの……?」
「そ、それは……」
自分でも説明がつかなかった。どうして自分は命を賭してまでこんな大それたことをやったのだ?
「君に、会いに来たんだ……」
ふと口を衝いて出た言葉に、ヒロは自分でも驚いた。少女が背後で警戒の色を濃くするのが気配だけでも伝わってくる。
「ほら、筒状戦車兵器を、レーザーでやっつけただろ……」
偽らざる気持ちを口から出した形だった。
「見ていたの……?」
「偶然だよ。授業が終わってから地上に出て……」
ヒロの言を遮るように、横穴が激しく揺れ、爆発音が遠くでどよもした。
「やつらが来る……!」
少女はヒロに突きつけていた白杖を下ろして、「逃げなさい。あなたに構っている暇はない」と言い放つ。
そこではじめてヒロは、少女と対面した。眉の上できれいに切りそろえられたロングの黒髪に、アーモンド型の大きな目と黒目がちな瞳に射すくめられ、ヒロの心臓はバクバクと拍動をつづけている。なにか言わねばという思いがヒロの身体を突き動かし、少女に向かって一歩を踏み出した刹那、ふたたび激震が地下空間を襲った。立っていられないほどの激しい揺れに、少女が転んでしまう。
「!?」
ヒロがすぐに少女に駆け寄った。
そのとき、ヒロは目の前の光景がにわかには信じがたかった。少女は目を開けているのに、まるで目隠しをされた状態のまま、手探りで地面に転がった白杖を探しているのだった。それでも必死に手で地面をさぐる彼女の姿に居たたまれなくなって、ヒロは白杖を拾い上げて、彼女に手渡した。
彼女は礼も言わずに、ただ奪い取るように白杖を受け取った。気まずい沈黙が一瞬、流れていった。
「ひょっとして……目が見えないの?」
空虚を見つめる少女に戸惑いつつ、ヒロが訊ねる。目も見えないのに、彼女は筒状戦車兵器を倒し、この地下空間にやってきたというのか?
「見えなくても、感じることはできる」
少女は言った。
「『オプト・クリスタル』を通じて、わたしは世界を感じることができるから」
「『オプト・クリスタル』……!?」
余計なことを言ってしまったと感じたのか、少女は唇をかんで立ち上がり、ヒロに背を向けると、なにも言わずに地下通路を進んでいく。
立ちあがったヒロは、彼女のあとについていった。
そこは地中の立体迷路だった。だんだん細くなっていく廊下を抜けると、突然、コンクリートを流し込まれ、封鎖された一区画にぶちあたった。少女の表情が険しくなる。
「どうしたの……?」
「たくさんの日本人が、ここで死んだ……」
少女はコンクリートの壁に手をついて、瞑目する。
「そう、あなたも泣いているのね……」
やさしく話しかけるように少女は言った。ヒロはただ少女の背中を見守ることしかできなかった。
遠くでまた爆撃の震動が起こって、地底空間にどよもしてくる。と思えば、今度は連続した爆撃音が大深度施設を襲った。立っていられなくなり、少女は白杖を支えにして耐え、ヒロは地面に手をついた。
これまでとは明らかに違う種類の揺れに、少女はさらに表情を厳しくする。
「『オプト・クリスタル』の回収を諦めて、総攻撃を開始したわね……」
「総攻撃……?」
「恐れているのよ、彼らは」
ひどくさびしそうに少女は言った。
「恐れるって、なにを……」
わけもわからずヒロが問う。
「日本人を……いえ、〝彼女〟を」
そうつぶやくなり、少女が手をつくコンクリートの壁に、ゆっくりとヒビが入っていった。彼女の手を中心にして、まるで蜘蛛の巣が広がっていくように、コンクリートのひび割れはあっという間に走っていった。
「お願い。目覚めて、《響》……!?」
少女が叫ぶと、ひび割れの隙間からまばゆいばかりの閃光が漏れ出してきた。直視できないようなまばゆい光にヒロは目を細めた。
眼前のコンクリートは粉砕され、真っ白な光のなかから、手のひらにすっぽり収まるくらいの大きさの紅い水晶が、ゆっくりと回転しながら中空に浮かんでいた。
(どうしてわたしを目覚めさせるの……?)
突如、脳内に響いた女の子の声に、ヒロははっとした。その声は地下空間に潜入したときの幻聴だと思っていた声だった。
少女が紅水晶(ローズクオーツ)に手を伸ばし、
「あなたを、希望(エスピランサ)の器が待っているの。だから一緒に来て」
(希望(エスピランサ)の器?)
女の子の声が訊ねる。
「日本人を救えるのは、あなたしかいない」
(そう……ついに完成したのね……)
女の子の声がそう言うと、つづいていた爆撃音が止んで、一瞬、大深度施設に静寂が訪れる。次に、コンクリートを流し込まれていた壁の内側――眠っていた研究施設の計器が突如として作動し始め、ディスプレイに光が点っていく。
ヒロは愕然と周囲を見渡した。郷大大深度地下施設に眠っていた秘密研究所の全貌が明らかになって、息を詰めた。
(わかりました。行きましょう、あなたとともに)
女の子が言った。
(もう、人の命が失われるのは見たくない)
なにか強い意志の感じられる女の子の声だった。
(あなたの名前は?)
「名前はない」
悲しいと言うより、ただ事実を告げるといった口調で少女は言った。
「わたしは、7人目の『オプト・クリスタル』感応検体(サンプル)。希望(エスピランサ)の器の部品に過ぎない」
(ならナナちゃんね……?)
「え?」
(だってあなたは7人目なんでしょう?)
いたずらっぽく女の子――《響》と呼ばれる紅水晶(ローズクオーツ)が言った。