雨宮加奈(かな)はひどい偏頭痛に襲われていた。これから、ある物事を理解する必要のない人間に、長い時間をかけて説明しなければならない。この案件がいかに重要かつ可及的速やかに対処すべきものかを説明――否、説得しなければならないのだった。

現場は忙しい。こんなことに手を取られている間にも、相手は動いている……。現場に指揮権があれば、すでに日本人による地下組織『アポロン』の企てに肉迫しているはずだった。

加奈は憫笑(びんしょう)を洩らした。それこそ、私たちが憎み、蔑んできた日本人らしいお役所体質そのものではないか……?

十四年という時間、日本を屈服させたことが『かの国』の傲慢を生み、増長させ、頽廃を招いている。

だが、この感覚は、現場の第一線、諜報戦の最前線に身を置く彼女のような諜報員(スパイ)でなければ、抱けない感懐だったのかもしれない。多くの戦場はすでに無人兵器のものになっていたからだ。

かつて加奈は、売国奴(マゴット)によって完膚なきまでに屈服させられた日本民族の再興を掲げる地下組織『アポロン』に潜入した諜報員(ちょうほういん)7th(セブンス)だった。『アポロン』の日本人技師たちによって開発されているという次世代反重力レーザー核融合炉の燃料利得媒質『オプト・クリスタル』に関する技術窃取(せっしゅ)が目的だった。

ところが、技術は盗んでも肝心要の『オプト・クリスタル』の精製は、14年を経たいまでもできていなかった。幻の技術であるこの燃料利得媒質は、14年前、加奈の目の前で埋没してしまった……。

加奈はいまだに忘れることができないでいる。日和見主義者で、一見頼りない日本技術者たち。しかし、彼らには確固とした信念があった。売国奴とはちがう。将来の人類を利するために、自らの命を犠牲にする鋼の意志を持っていた。

そんな日本人はもういない。『かの国』はそう考えている。

加奈はそうは思わない。

彼ら日本人は、耐えることが得意で、いや、むしろ耐えることに喜びすら見いだしている節のある民族なのだ。

京都市舞鶴にある元海軍工廠を接収した『かの国』の傀儡統治機構「極東委員会」は、窃取した日本の技術力、わけても、鋼材精製に関しては世界トップレベルを誇るこの亡国の技術によって、特務艦(化学実験船)建造を指示していた。

無人兵器である筒状戦車兵器を海上へ――広大な海域監視を無人航空機による監視のみならず、無人艦による鉄壁の守りを構築しようとしていたのだった。

その特務艦建造は極東委員会による厳しい監視の下に行われていたのだが、先日、委員会の次官がホテルで首を吊って自殺。彼が同僚らに「わたしはとんでもないことに荷担してしまった」と言い残していたことから、加奈が調査に乗り出していたのだった。

調査の結果、次官は特務艦建造のための鋼材調達に関する資料を水増し報告していたことが判明。資料をさかのぼってみれば、使途不明の鋼材が大量に元海軍工廠へ運搬されていたことが判明するに至った。

『かの国』に従順な売国奴(マゴット)であるはずの技術者たちが、秘密裏になにかを開発していることは明白だった。加奈は建造の即時中止と、強制捜査を上申。関係者への事情聴取を行うはずだった。

そこへ、極東委員会が横やりを入れてきたのだった。

『特務艦建造の遅延は認められない』

使途不明鋼材は新材質開発のための実験に付されたとの技術者たちの弁明を信じた委員会は、加奈の上申を退けてしまったのだ。

いつから『かの国』はお人好しになったのか……とは言わない。言えないからこそ、加奈はいまから説明しなければならなかったのだった。

加奈はさらに重くなっていく頭痛にため息をつき、古傷の右眼の眼帯に手をやった。14年前、郷大の大深度施設から逃げ出す際に、加奈は右眼を失明していた。爆発によって飛び散った破片が右眼に突き刺さったのだ。

「待っていろ、日本人。お前たちの企みはこのわたしが阻止してみせる……」

そう言い捨てて、偏頭痛をも振り切った加奈は、極東委員会のお歴々が待つ会議室へと歩を進めていった。

 

「日本人にそんな度胸はない」

加奈の報告を聞いた委員の第一声は予想通りのものだった。

「第一、そんな発明が為されたのであれば、完成してから接収してしまえばいい」

「定期査察でも問題がでたことなど一度もないのだろう? 技術供与にも彼らは実に素直に応じている。叛乱などとても考えられんよ」

お歴々が顔を見合わせて鼻で笑った。

「日本人を侮ってはいけません」

加奈の警鐘に、お歴々は不快感を顕わにする。

「彼らはとんでもない発明をしているかもしれない。それも、世界を変えうる発明を、です。たとえば、それがいまだ精製できずにいる『オプト・クリスタル』であり、未知のエネルギー源なのです」

「ややかいかぶりすぎはしないかね?」

刹那、会議室に緊急入電音が鳴り響いた。よほどの緊急事態でなければ、この警報はならないはずだった。さらに重くなっていく偏頭痛に、眉をひそめつつ、加奈はお歴々たちに耳打ちされ、談合されている内容を待った。

「例の『オプトクリスタル』発掘作業中の戦車兵器が殲滅されたそうだ」

「殲滅……!?」

お歴々の間にどよめきが走る。

「敵は神の杖にアクセスしたそうだ」

加奈は無意識のうちに眼帯に手をやった。14年前、大深度施設にコンクリートを流して自ら生き埋めになった日本人。そして、彼らが守ろうとしていた〝彼女〟――。

目覚めたのだ。確信を持った加奈は、すかさず言い放つ。

「《響XⅢ号システム》」

加奈の声に、お歴々が驚いたように目を見開いた。

「14年前、郷大大深度施設に生き埋めにされた『オプト・クリスタル』を、『アポロン』が起動したのでしょう」

言い切る加奈に対し、委員たちは態度を決めかねるとでもいうように、渋顔を作った。

「よくお考えください。オプト・クリスタルによる無尽蔵な高出力エネルギーと、戦艦建造をも可能な鋼材の喪失。この2つを組み合わせることによって創発される莫大なエネルギーが、なにを生みだし、なにを成すのか。すでにおわかりのはずです。もしかしたら彼らは、わが祖国を本土攻撃することも可能となる……」

お歴々が怯んだところで、加奈は畳みかけるようにつづける。

「ただちに舞鶴の施設を接収してください」

委員の老人たちは、顔を互いに近づけ、談合を始める。加奈はゆっくりと息を吐いて、その結論を待った。

「よかろう……」

委員がため息混じりに言った。

「これより無人攻撃機《フォボス》を投入する」

「《フォボス》を……ですか?」

陸戦兵器として開発された筒状戦車兵器群《ダイモス》に対し、空中戦、及び無人爆撃機として開発が進められてきたのが、《フォボス》だった。

「売国奴(マゴット)どもが反撃してくるとは考えにくいが」

別の委員が口を挟んでくる。

「圧倒的軍備によって、彼らを屈服させる。これはクロフネ以来、日本人に対しては最も有効なデモンストレーションだしな」

「以上だ。7thは退ってよろしい」

達成感が胸を埋めるかと思いきや、加奈の胸に去来したのは、おもちゃを取り上げられてしまった子供のような、一抹の寂しさだった。

自分の担当案件が、 自分の手から離れてしまう寂しさ。加奈は確認したいと思っている自分に驚いていた。妄信的に自分たちの仕事にのめり込む日本人たちを笑っていた自分が、おなじようにあの日の案件にのめり込んでいる。

たしかめたかった。『オプト・クリスタル』を。彼女の正体を。

「ひとつ、よろしいでしょうか……?」

「まだなにか?」

加奈は両足の踵を合わせて、敬意を装って上申する。

「同行させていただいてよろしいでしょうか?」

「ほう?」

「これは、わたしの担当案件です。特務艦内部の査察のみならず、謎の壊滅を遂げた戦車兵器の元凶たる『オプト・クリスタル』も回収してみせます」

ふたたび老人たちがなにごとか話し合いをはじめる。

どこからそんな仕事への熱意がわき上がってくるのか。『オプト・クリスタル』に拘る理由はなんなのか。利己的な思惑とは別の何かに突き動かされる自分に戸惑いながらも、加奈ははっきりと確信していた。

自分は、14年前の事件に決着をつけたいのだ。そして、見届けたいのだ。日本人という不可思議な民族の末路を。そう結論づけた加奈は、委員たちを見据えて答えを待った。

「……許可しよう」

加奈の思考を現実に引き戻すかのように、お歴々が言った。

「本国は間もなく、日本人を根絶やしにする大規模作戦を決行するという」

目頭をもみながら、委員は言った。

「後顧の憂いを絶て。徹底的に日本人を抹殺しろ」

加奈は「はっ」と短く答えて、会議室をあとにした。