「極東委員会からの査察受け入れ要求……?」

鷲尾(わしお)孝(たかし)は声を思わず裏返した。舞鶴元海軍工廠(こうしょう)造船施設にて建造中の特務艦の査察受け入れと施設内の武装解除命令が発せられたとの知らせを受けてのことだった。

核大戦後、売国奴(マゴット)によって日本国は崩壊した。自衛隊も組織解体され、戦術兵器及び軍事施設はすべて極東委員会の統治下に入った。

そんななか、『かの国』沿岸部で闇ルートの武器取引や海賊行為に荷担して勇名を馳せてきた鷲尾は、元自衛隊員と技術者たちからなるテクノクラート地下組織『アポロン』に徴用(リクルート)された工作員だった。彼は予備審査ののち、徳島の総合訓練施設で最終審査を通過し、士官候補生として訓練を受けてきた。

幸いなことに、『かの国』は相変わらず統治が下手だった。それに対し、あまりに従順な日本人は支配しやすい異例の人種だった。他国であれば暴動やデモが起きてもおかしくないはずなのに、この国の国民は、なにをされようがただただ耐えてみせた。

そんな日本国民、売国奴(マゴット)に対し、『かの国』は油断し始めていた。舞鶴元海軍工廠を民間造船会社と海運会社に委託したのも、そんな油断が生んだものだろう。

「バカ」がつくほどの勤勉さからか、日本人の技術に革新性は失われたが、相変わらず日本人の作るものはよかった。北海道から沖縄まで、極寒の地域から熱帯地域まで、どんな環境下においても同一の性能を、何十年にもわたって保証する日本の産業技術は、もはや文化の域に達していた。

残念ながら、文化は盗めない。

そして、すぐには醸成できない。

よって『かの国』の筒状戦車兵器を国内にある地下都市群が製造しているのも、そういった事情によるものだった。

舞鶴工廠では、特務艦のほかにも『かの国』の攻撃潜水艦や軍艦が製造されており、ちょっとした軍施設の様相を呈していた。『かの国』の軍人たちも多数出入りしている。

だが、『かの国』の信頼を勝ち得たこの造船・海運会社は、実は日本再興のために闘い続ける地下組織『アポロン』の支援組織だった。『アポロン』はこの企業を隠れ蓑に、『オプト・クリスタル』の器となりうる希望の方舟を密かに建造していたのだ。

表向きは『かの国』の実験船として徴用される特務艦として。

その実、日本民族を独立する方舟として……。

――希望(エスピランサ)。

それが極秘裏に開発されていた特務艦の符牒(コードネーム)だった。

『かの国』のレーザー兵器実験船として開発が進められてきた特務艦《エスピランサ》は、『アポロン』の旗艦(フラッグシップ)として、極秘裏に改造されており、現状80パーセントの完成をみている。

しかも、乗員は民間人と地下組織『アポロン』の混成団だった。艦を動かしたこともない連中ばかりなのだ。錬成もままならず、未完成のままならば、われらには手出しができない。特務艦の副官として乗艦予定だった鷲尾は、ぐっと奥歯をかみしめるしかなかった。

あと少し、時間があれば……。

「総員、第二種戦闘配置……!」

鷲尾の思考を寸断したのは、冷泉(れいぜい)勤(つとむ)艦長のバリトン声だった。

冷泉艦長は鷲尾の訓練教官であり、この14年の間に『アポロン』の数々の特殊作戦を指揮してきた軍人だった。

その冷泉の下した絶対指令に対し、意外な思いに打たれて艦長を見返したのは鷲尾だけではなかった。「戦闘配置」の言葉に頭を打たれたように、その場にいた要員が皆、振り返っていた。

「どうした。復唱しろ」

一切、表情を変えずに冷泉艦長が言う。

「お言葉ですが……」

鷲尾は冷泉艦長に一歩近寄って言った。

「ここは査察命令に素直に応じて、後日、再起を図るべきでは……」

「そんな時間的猶予はない」

鷲尾の言を、冷泉艦長が遮った。

「このタイミングでの査察命令は、敵に情報が渡ったと考えるべきだ。それに、検体(サンプル)No.7が〝彼女〟を連れ出したと見ていい」

そうなのだ。いまの特務艦には、肝心要、動力部となる〝彼女〟も不在なのだった。しかも工廠内には、『かの国』の軍人がわんさといる。間もなく重火器で武装した彼らによって工廠は制圧されるだろう。だがしかし、現時点では反撃は不可能だ。

鷲尾が反論の口を開きかけると、冷泉艦長は手で制してから、

「〝彼女〟とその器である特務艦を接収されればすべて終わりだ」

と言った。

「私は14年の年月を、このために失われた日本人の血を無駄にするつもりはない」

冷泉艦長の言葉を、その場にいた要員全員が胸に刻み、そして顔をうつむけた。

そんな要員たちを叱咤激励するように、

「総員、第二種戦闘配置!」

冷泉艦長の声が響いた。

「まず工廠内を制圧する必要がある。敵兵は拘束、抵抗するものは射殺しろ。制圧後は敵無人兵器の迎撃だ。対空、対地迎撃用意!」

「了解!」

――戦場になる。 敬礼して持ち場をはなれていく要員を見送りながら鷲尾は、「戦闘配置」という言葉の重みがぐっと胸に迫ってきた。鼻から大きく息をはく。ただのクーデターで終わらせてはならない。ここで《エスピランサ》が失われれば、日本再興は不可能となる、

「我らは同時に《エスピランサ》に移乗し、発艦作業を進める」

そういって踵(きびす)を返した冷泉艦長に、

「発艦作業……!?」

と鷲尾が問い返す。

「《エスピランサ》はまだ完成していないんですよ?」

「発艦できればそれでいい」

冷泉艦長が軍帽を目深にかぶり直して言った。

「反重力レーザー核融合炉に〝彼女〟が宿れば、《エスピランサ》は飛ぶ」

「しかし――」

鷲尾の胸を突き上げたのは、特務艦の動力部たる爆縮炉の試験運転もなしに発艦作業を進める技術的な問題とはまた別の感情だった。

この14年もの間、『かの国』に下げたくない頭を下げつづけ、地を這いつくばり、売国奴(マゴット)の汚名を受けてきた造船企業の社員・技術者たち。

いまはその一部しか《エスピランサ》には移乗していない。大半の日本人は、この工廠内に残されているのだった。彼らを移乗させずに、自分たちだけ《エスピランサ》に乗り込む。戦場となる工廠内に仲間たちを見捨てることなど考えられなかった。

「彼らには、人柱になってもらう」

言葉を詰まらせた鷲尾の意図を汲み取るように、冷泉艦長が言った。

「艦長!」

「我らは示さねばならんのだ」

「示す……」

「日本人の希望を……」

なにが希望の方舟だ。14年もの間、苦渋を強いてきた技術者を踏み台にして、いったいどんな希望を見いだせというのだ?

「指揮系統を移行する。我らは《エスピランサ》の戦闘指揮所(CIC)へ向かうのだ」

内心の不満をすべて飲み込んで、鷲尾は冷泉の後について行った。

 

舞鶴元海軍工廠では、査察命令を受けた『かの国』の兵士たちが特務艦引き渡し要求を引っさげて押しかけてきた。

重火器で武装した『アポロン』の要員たちが反撃を開始し、その戦端が切って落とされた。手榴弾と機関銃の掃射音が施設のあちこちで起こり、白兵戦が繰り広げられた。

防戦する『アポロン』が区画ごとに降ろされたシャッターをプラスチック爆弾で爆破し、機関銃を抱え、侵入してくる黒づくめの『かの国』制圧部隊に対し、『アポロン』の要員は全員が造船会社・海運会社のサラリーマンたちだった。弾を撃ってもただ砲身の震動に耐えるので精一杯な日本人に、訓練を重ねた制圧部隊が負けるはずがない。

防弾装備もつけず、ワイシャツ姿で攻撃していた日本人を、制圧部隊は蹂躙していった。日本人に残された唯一の希望を守るために、売国奴の汚名をかぶったサラリーマンたちの屍体が累々と重ねられていった。

そして、制圧部隊は戦後14年のうちに極秘裏に作られていた地下空間を発見した。そこは『アポロン』の技術本部であり、《エスピランサ》の開発が進められる秘密工廠だった。

日本人は従順などではなかった――そのことを制圧部隊は身をもって知ることとなる。

「ここからは一歩も通さない!」

ワイシャツに白衣を羽織ったメガネの男が、制圧部隊の前にぬっと現れた。無数の赤外線ポインターが男の白衣の上を這っていく。ところが、隊員たちが銃撃しようとするのを、隊長が「待て!」と制止する。

メガネの男の腹部には、爆弾が巻かれていた。

爆破される前にメガネ男の脳髄――眉間に銃弾を食らわせて狙撃しようとするのを、男の絶叫が阻止した。

「《エスピランサ》、万歳!」

 

窮鼠(きゅうそ)猫を噛む――《アポロン》要員による「自爆やむなし」の防戦に恐れをなした、というより狂気を感じた制圧部隊はいったん撤退し、直接占拠を無人攻撃機に任せることにした。

こうしてわずかながら時間稼ぎに成功した舞鶴地下秘密工廠では、反重力レーザーという未知のテクノロジー爆縮炉を搭載した《エスピランサ》の発艦作業が進められた。生き延びたわずかな技術者たちによって必死の作業が進められている。

そこへ、つんざくような早期警戒音が鳴り響く。

「敵機、襲来! 繰り返す、敵機、襲来! 到着まであと60!」

《エスピランサ》の戦闘指揮所にて、鷲尾孝は大型ディスプレイ上の脅威目標に目を据えた。工廠施設から《エスピランサ》に移乗した鷲尾と冷泉艦長は、戦闘指揮所にて発艦作業と制圧状況を確認しているのだった。

「《ダイモス》か?」

「いえ、空中からです」

作戦部のオペレーターが応える。

「爆撃機……? 連中、仲間を殺すつもりか?」

舞鶴工廠の反乱に対し、極東委員会は即座に施設の直接占拠を下命。筒状戦車兵器群を出動させるのと共に、新型兵器である無人攻撃機《フォボス》の投入を決定したようだった。工廠内に取り残された『かの国』の兵士たちは、止むを得ない犠牲者として見捨てられる形となったのだ。

「第一種戦闘配置へ移行。対空戦闘用意。目標、敵無人兵器!」

冷泉艦長が声を上げる。

「しかし、《エスピランサ》は動きません……」

「他の軍艦にやらせる」

「迎撃システムを統合。《エスピランサ》より他の軍艦を操艦する。リンクを繋げ。急ぐんだ!」

「了解!」