地下組織『アポロン』が『かの国』との抗戦を14年にもわたって継続できたのは、日本再興を願う日本民族の切なる想いとは別に、『かの国』以外の、大国間の思惑が入り乱れていたことも大きい。

自衛隊軍人や技術者からなる『アポロン』は、武器の密輸などを行う海賊的行為に荷担し、西欧大国の後ろ暗い仕事を請け負う、いわば傭兵として生き延びてきたのだった。

そんな『アポロン』の首脳部は、先の核大戦以後に徴用した原子力潜水艦のなかに置かれ、核ミサイル発射管には、代わりに工作員輸送用の深海球が収まっていた。

いま、《エスピランサ》浮上の報を受けた『アポロン』本部――徴用原子力潜水艦は、日本人にとっての希望の方舟に移乗するために合流ポイントを暗号電文にて送信。原子力潜水艦は太平洋上にて浮上しているようだった。

「本部はなんと言ってきている?」

原潜からの暗号電文を解析する通信手に、冷泉艦長が問うた。

「まずは旧東京にて、高等技術施策集団(テクノクラート)を収容せよとのことです」

核戦争で集中砲火を食らったかつての日本の首都は、核ミサイルによって穴だらけにされており、地下空間には《アポロン》の科学者や軍人がいるのだった。

《エスピランサ》と《響(ひびき)XⅢ号システム》に関しての専門知識を持つ人間は、いまこの艦内にはいなかった。現状のわれらの操艦技術では、《エスピランサ》本来のポテンシャルを発揮できていないのだった。

「その後、沖ノ鳥島宇宙センターにて合流せよと言ってきています」

「沖ノ鳥島、か……」

本部の意図を推し量るかのように、冷泉艦長が顎の無精ひげをさする。

「本部の目的は、沖ノ鳥島宇宙センターでしょうか?」

声を潜めて鷲尾が問う。

「おそらくな」

咳払いをして、冷泉艦長も低く応じる。

「東京支部の収容命令は、宇宙研究開発の専門家を含めた要員補充が目的と考えるべきだな」

「宇宙、ですか……」

核大戦後、汚染された地球を脱出し、宇宙という名の新世界開拓精神(フロンティア・スピリット)は希薄だった。なぜならばそれだけ地球は荒廃していたし、宇宙ロケットを一度打ち上げるだけで、さらなる環境汚染、資源を浪費するとあっては、現状、生き延びるだけで精一杯の人類にそんな余裕はなかったのだった。

だが、宇宙開発計画が完全になくなったわけではない。『かの国』が沖ノ鳥島に宇宙センターを置いたのも、いつかは地球を旅立つという意志の現れに他ならない。

日本という国を失った『アポロン』が、宇宙に関心を抱くのは当然で、本部はどうやら宇宙という新世界で新国家樹立を目論んでいるのかもしれなかった。無尽蔵の反重力レーザー爆縮炉(リアクター)を擁し、圧倒的なレーザー兵器を搭載した《エスピランサ》を抑止力として……。

「『アポロン』本部内部ではすでに綱領の作成にも着手していると聞く」

冷泉艦長がため息混じりに言った。

「有能かつ選ばれた高等技術施策集団(テクノクラート)だけを《エスピランサ》に収容し、宇宙への脱出(エクソダス)を図って日本を延命させる。そういう筋書きなのかもしれない」

「なるほど……」

艦長に気のない返事をしながら鷲尾は、しかし、いまこうして『かの国』の無人兵器を一瞬にしてなぎ払うエネルギー兵器の威力を目の当たりにして、あるひとつの考えが沸き始めていた。

この力があれば、『かの国』と戦える――舞鶴工廠の空爆から見事脱してみせたことが自信となってしみ出してきたことなのか、自分でも整理できていなかったが、《エスピランサ》があれば、《響(ひびき)XⅢ号システム》があれば、向かうところ敵なしではないか。

だが同時に、軍人である鷲尾は、《エスピランサ》単艦で戦争の勝敗が決するほど単純なものではないことは理解していた。そのうえで、《エスピランサ》で逃げるのではなく、戦うという選択肢はないものなのか。若さ故の浅慮であるこいとは重々承知で、鷲尾は自問をつづける。『かの国』の専横を、日本を蹂躙しつづけてきた『かの国』に一矢報いるために、極東委員会を打倒し、この国に主権を取り戻す……。

そこまで考えて鷲尾は、「では、誰のためにこの国を取り戻すのか?」という自問に応えられない自分に戸惑った。そうだ。この国には『かの国』に順応した売国奴(マゴット)しかすでに存在しないのだ。

日本の再興を望むのは、『アポロン』に属する高等技術施策集団(テクノクラート)しかいない。国民という守るべきもののない戦いは不毛でしかない。だからこそ、日本人としての誇りをかすかながら持つわれわれが、宇宙へ脱出するのだ。

「脱出といいながらその実、鎖国も同義ですね……」

鷲尾が洩らした。

冷泉艦長が鋭い視線で言葉を促してくる。

「宇宙へ達した《エスピランサ》は衛星兵器と化し、世界中を標的にできる。抑止力どころの騒ぎではない。日本国そのものが世界を支配する……外交手段ではなく、技術力、軍事力で渡り合うしか能のないわれわれは、やはりとことん島国精神しか持ち合わせていないようです」

「たしかにそうだな」

認めた上で艦長は、

「不満か?」

と訊いてきた。

「いえ……」

言葉を詰まらせた鷲尾は、重要な事実を忘れていると内心につぶやいた。《エスピランサ》はけっして安定的に作動するシステムではない。艦の推進機関の要である《響(ひびき)XⅢ号システム》の中心、燃料利得媒質(ペレット)たる『オプト・クリスタル』に感応できる少女の存在がなければ、この艦は瀕死の狸(たぬき)同然なのだ。

いわば一人の少女が《エスピランサ》を、日本のこれからを左右する――。

有用な外交カードとされる反重力レーザー爆縮炉(リアクター)の技術も、実は〝彼女〟という不確定要素が存在する限り、完全なる抑止力たり得ない。

つまり、『アポロン』はあくまで《エスピランサ》という未知の特務艦の〝可能性〟によって――言ってみれば交渉カードを伏せたままで――進めようとしているのだろう。

あまりに危うい。しかし、われわれは〝彼女〟に一縷の望みを託すしかない。発艦時に戦闘指揮所に姿をみせた盲目の少女の姿を脳裏に思い描きながら鷲尾は、「整備の状況は?」と至って事務的な冷泉の言を聞いた。

「はっ」短く答えながら、手もとのタブレット型端末に目を落とした。

「発艦時80パーセントの建造途中だった推進機関および補機光子機関の整備を再開しており、作業は12時間で完遂とのことです」

エクサワット(EW)級のエネルギー発生機関を抱える《エスピランサ》本来ポテンシャルがあれば、時速30万キロ、秒速約90キロでの飛行が可能であり、旧東京までだったら一時間もかからないうちに到着できただろう。

だがいまは、出力を押さえながらの操艦となっている。そんな状況に冷泉艦長は、「いつ会敵するかもわからん状況だ」と眉根のしわを深く刻んで言った。

「3時間で終わらせろ」

「……でなければ死、ですか」

「言うまでもない」

鷲尾は両踵を合わせて、その場を後にした。