建造途中での発艦。乗員の練度不足。さらには舞鶴工廠での戦闘で出た負傷者によって、《エスピランサ》は定員割れの状態だ。
そこへ下された補機の修復作業切り上げ命令によって、艦内はまさに猫の手も借りたい状況だった。戦災孤児とはいえ、日本を裏切った売国奴(マゴット)のシェルターで暮らしていた少年であるヒロも、本来だったら《エスピランサ》から降ろされていてもおかしくはない。『オプト・クリスタル』に関する機密を知っていること。職業訓練学校において、工作兵としての一定の知識を持っていること。また、売国奴(マゴット)が整備を担当する戦車兵器に関する知識を持っていることから、取り調べのあとすぐに上等兵の階級を与えられ、補機の補修工事を手伝うことになったのだった。
光子機関の多層円柱型超伝導コイルからは、放射線状に動力パイプが伸びており、そこに梯子階段(タラップ)やバルブ、各種計器、配線コード、制御盤が入り組んでおり、ちょっとした迷路のようだった。
この迷路――補機・光子機関の整備室にこもり、次々に仕事を振られているヒロは、ふっと息を吐いて額の汗を拭った。
舞鶴を発ってすでに半日。旧東京は目前に迫っていた。主機・増幅集積室(チャンバー)に入っていったナナとは、あれから一度も顔を合わせていない。
彼女がどうしているのかを考えるだけで、なぜかふっと力が湧いてくる。新たな人間関係にいきなり放り込まれ、不慣れな仕事をこなさねばならないヒロにとって、そんなナナの存在はある種の救いになっていた。
「なかなか様になってるじゃないか」
ヒロのひどい油汚れをからかうように、白衣を着た加奈が声をかけてきた。加奈は入り組んだ光子機関の迷路を、腰をかがめてくぐり抜けてきたのだった。
「加奈さん……」
「機関長の許しは取ってある。少し付き合え」
そう言って加奈はタオルを差し出した。
タオルを受け取ったヒロは、油汚れと噴き出る汗を拭いながら、
「ナナは……どうですか?」
と問うた。
加奈はヒロに経口補水液のパックを差し出した。
「彼女はよくやっている。自分はこの艦の部品に過ぎないといって、健気に試験運用にも協力してきたのだからな」
唯一の女性要員として、加奈はナナの世話係になっていた。いまや加奈からもたらされる情報のみが、ヒロの知ることのできる、ナナの消息なのだった。
「旧東京に着いたら……」
「ん?」
独り言のようにつぶやいたヒロは、つづく言葉を加奈に促されながらも、言葉に詰まってしまった。
旧東京に着いたら、彼女に会えるだろうか。まるで恋に夢中な少女のような言葉が口を衝きかけて、ヒロは慌てて押しとどめたのだった。
「……少しは休めるんでしょうか?」
「ああ……」
加奈は照明に照らされて、鈍く輝く光子機関の多層円柱を見あげながら、あいまいに頷いた。
「補機が動けば、補助要員である君の仕事も少しは落ち着くだろう」
「いえ、そうじゃなくって……」
顔を紅潮させるヒロを横目に「ああ」と心情を察したらしい加奈は、
「ナナのことか?」
とふたたび悪戯っぽく聞いてくる。
「艦が動いてるってことは、彼女はずっと増幅集積室(チャンバー)に閉じ込められているってことでしょう?」
「いまは休養をとっているよ。ひとまず必要なエネルギーはすでに創出(エマージェンス)しているからね」
「そうなんですか……」
自分はナナのことをなにも知らないのだ。あらためて思い知らされたようで、ヒロはすこし恥ずかしい思いを漂った。ヒロにとって彼女は一緒に死地を切り抜けた、いわば特別な人だった。だから、もっと彼女のことが知りたい……。
「会いたいか、彼女に?」
そんなヒロの内奥を見透かしたかのように、加奈が意味深な目を向けてくる。
「会いたいって……」
「実は、私はお前に頼みがあって来たんだ」
一転、深刻さを帯びた加奈の声を、意外な思いで聞いたヒロは「えっ」と身を乗り出した。
「……どういうことです?」
「彼女はいま、『オプト・クリスタル』に感応することを拒否しているんだ」
「拒否……? じゃあ……」
「このままでは、本艦は停止する」
「どうしてそんなことに……」
首を振った加奈は、わからない、と応えてから、ヒロと向かい合った。
「一緒に説得にきてもらえないか?」