旧東京上空にさしかかった《エスピランサ》は、暗黒に飲まれた街並を俯瞰していた。かつて不夜城とも謳われたこの街には、大粒の雨が土をえぐったかのように、点々と巨大クレーターが穿っている。かつての日本の首都、未来都市・東京は瓦礫と砂礫とに覆われた廃墟の街に変貌していた。

大戦前の地図を元に、環状二号線虎ノ門地区の座標を割り出した《エスピランサ》は、地下通路へとつづく入り口の前――旧六本木の高層ビル群を隠れ蓑にするように着陸したのだった。

ガスマスクを装着した鷲尾副長以下、《エスピランサ》の要員と、冷泉艦長は、投光器の照らす地下壕入口の前に立って、その重厚な鉄扉を見あげた。

『オプト・クリスタル』を盾に叛乱を起こした検体(サンプル)No.07は、現在、艦内で拘束されている。鎮静剤を打たれ、拘束着を着せて監禁中との報告を聞いた鷲尾副長は、《響ⅩⅢ号システム》に抱いていた不安、すなわち、『オプト・クリスタル』に感応する少女の必要性という不確定要素への不信が現実となり、しかもどうにもこうにも手を打てないでいる様々な懸案事項を、ため息で誤魔化したのだった。

「旧東京本部の地下には、検体(サンプル)の研究所もあると聞く……」

鷲尾のため息を隣で聞いていた冷泉艦長が言った。

核大戦時に真っ先に消滅した東京からは、テクノクラートが大量に避難していった。……とはいえ、かつての首都には備蓄燃料や医療物資、非常食料、水などの資源が大量に保存されていた。そこで《アポロン》東京支部は、『かの国』との抗戦の第一線からは離れ、補給基地、技術研究所としての因果を含まされるに至ったのであった。

「検体(サンプル)No.07の代わりを徴用するというわけですか……」

「なにか気になることでも?」

意味深な沈黙を浮かべる鷲尾に、冷泉艦長が問うてくる。

「売国奴(マゴット)の少年が、No.07の拘束を解くように警備兵にくってかかっているそうです……」

「売国奴(マゴット)の少年?」

「戦災孤児として、売国奴のシェルターに確保されていた少年です。なんでも、検体No.07を舞鶴まで連れてきたとかで……」

言いながら鷲尾は、検体No.07と共に艦橋に姿を現した少年の姿を脳裏に甦らせようとしたが、像を結ばなかった。

「彼もここで降ろす必要があるな」

ガスマスクの吸気音の合間に艦長が言う。

「現在は、人手不足の工作要員として働いてもらっています」

「旧東京で《アポロン》の要員を補充する。問題はあるまい?」

「は……」

いちいち気に病んでいる暇はない。次々に決断をくだしていく冷泉艦長の背中を眺めながら鷲尾は、つくづく自分はまだまだ半人前なのだと思い知らされるのであった。

刹那、ガコン、と地下壕入り口の重い鉄扉が押し開いていった。奈落の底までつづいているのではと思うほどに深い地下空間への洞窟が、眼前に広がっている。警戒音と作動音が鳴り響き、大深度地下へ向かう地下鉄道が金属同士のきしみを響かせながら、ゆっくりと動きはじめる。《アポロン》旧東京支部に潜伏する幹部と技術者を《エスピランサ》へ出迎え、補給物資を補充すべく、乗員は地下鉄に揺られながら到着を待った。

「郷大大深度地下施設封印後、反重力レーザー融合炉(リアクター)の研究開発計画は、この東京支部が担当している」

「それでは、《エスピランサ》の動力問題も……」

「なんらかの解決策を開発している可能性はあるな」

鉄道が地底トンネルを抜けると、人工樹に囲まれた大深度地下施設が現れた。地下空間は気温の変化が少なく、温室効果もあって気温調節も容易であるため、レーザー培養された植物が繁茂しているのであった。空間内は現在、「昼間」らしく、強光度の照明が照らしている。

これだけの動力を保持しているということは、もしかしたら……。

過度の期待は禁物だ。冷静な判断を鈍らせる。広大な地下空間を満たす光のエネルギーを目の当たりにした鷲尾は、淡い期待を胸にしまい込んで、気を引き締めた。

東京支部研究所の技術者は、思っていたよりも若く、まだ20代後半の青年だった。池波と名乗った技術者は、ぼさぼさの坊ちゃん刈りの髪型に黒いフレームのメガネをかけている。

「この地下空間のエネルギーは、どうやって確保しているのですか?」

「反重力レーザー融合炉(リアクター)計画の一端……『オプト・クリスタル』に感応できる検体(サンプル)たちによってなされています」

「では、《エスピランサ》も動かせるということだな?」

冷泉艦長が確認する。

技術者は困ったような表情で、

「研究開発計画直系の孫弟子という程度でして……残念ながら、《響ⅩⅢ号システム》及び《エスピランサ》の技術については、直接、ものを見てみないとなんともいえませんね」

「東京支部研究所の検体(サンプル)は?」

「いえ……ここにいるシリーズは、最適化されたものばかりでして……」

「最適化……?」

「ご覧いただくのが一番手っ取り早いでしょう……」

 

池波が案内してくれたのは、地下空間の動力室だった。そこには《エスピランサ》にも搭載されている主機《響ⅩⅢ号システム》によく似た反重力レーザー融合炉が鎮座していた。

だが、決定的に違っているのは――複数の潜水球(バチスフィア)がまるで魔方陣の一端を担うように配置されていることだった。潜水球(バチスフィア)のなかには、口を半開きにしたまま、虚空に視線を漂わせる人間が、水晶を抱えて座っている。まるで保育器に閉じ込められた精神疾患者のようだ。

「これは……」

鷲尾はあまりの光景に言葉を失った。

「まさか人体実験を……?」

池波は両肩を持ち上げた。

「われわれはただの技術革新をしているんじゃない。日本を救う技術を開発しているんです」

希望は膨大な数の絶望に下支えされている――そんな想いを新たにした鷲尾は、眉をひそめて潜水球(バチスフィア)の群れを見回した。

「検体(サンプル)はみな、貧者か弱者か病人です。核大戦で行き場を失った彼らを、私は保護し、こうして生かしているのです」

「彼らは、どうやって感応している?」

「感応しているのではありません。魅入られたのです」

「魅入られた……?」

「『オプト・クリスタル』の光の魔に。ここに現存する『オプト・クリスタル』は、いずれもコピーに過ぎませんがね」

池波はメガネを押し上げて言った。

「ここでは『オプト・クリスタル』が発するエネルギーを「魔光」と呼称しています……」

「No.07も、ここで生まれたのか?」

「彼女は生まれながらの盲目でした。ですが、『オプト・クリスタル』に感応している間だけは、光を得るのだといっていました」

「光を……得る?」

「目が見えるということです」

どう切り出すべきか、逡巡する鷲尾の機先を制した冷泉は、

「実は、そのNo.07に問題が起こった」

艦長は叛乱事件の顛末を池波に手短に語ってきかせた。

「なるほど……つまり、《エスピランサ》安定操艦のために、No.07を排除したいということですね?」

池波が窺うような上目遣いで訊ねてくる。

「そうだ」

ふむふむと頷きながら顎に手を当てた池波は、

「無人兵器である筒状戦車兵器群《ダイモス》、及び無人爆撃機《フォボス》。人間性を完全に排除し、日本民族殲滅に特化した敵に対抗するには、こちらも人間性を排除するしかありません」

と話し始めた。

「そこで生まれたのが、人間を兵器の一部、部品として扱う検体シリーズです」

「つまり……」

「この研究の最終目的地点は、言うまでもなく無人化です。人間の無人化。つまり……」

そこでいったん言葉を切った池波は、潜水球(バチスフィア)に閉じ込められた検体たちを振り返った。

「検体No.07には、廃人になってもらうしかないでしょうね」

技術者が肩をすぼめて応える。

「廃人になって、感応できるのか?」

「本来、検体には訓練の過程で自我を消滅させる精神療法を施してあります。アンカーと呼ばれる符牒をトリガーとして、検体は無人兵器と同様、死ぬまでただただ『オプト・クリスタル』に感応しつづける」

日本のため――少女を説得するために使ってきた言葉が、突然、鷲尾の腹に錘となって迫ってきた。すべてを正当化する魔法の言葉。日本のため――倫理観をも無視し、正義を信じて遂行することに、どれだけの意味があるというのか。

わだかまった腹の内から鷲尾は、

「もし、そのアンカーを呼び覚ました場合、元には戻れるのか?」

と疑問を絞り出した。

池波は首を振った。

「精神を解体し、再構築するんです。人間でなくなるということは、排泄物も垂れ流し、ただ命ある限り〝彼女〟と感応しつづける、システムに点火しつづける兵器の一部になるということです。アンカー発動以後は、彼女の肉体は解剖して、脳髄と脊髄、それとほんの少しの神経細胞を残して、『オプト・クリスタル』と統合することになるでしょう」

さすがの冷泉艦長も、あまりに非人道的な手段に言葉を失った。

ここで怯んでどうするんです、というように、池波はふっと鼻で笑ってみせる。

「しかし、いずれは、やらねばならないことでしょう。検体No.07は人間で、生物である以上、命数が定められている。だから、彼女は遅かれ早かれ死ぬ前には解剖しなければならないのです。『オプト・クリスタル』に感応できる彼女の心をサルベージして、新たな器に再構築しなければならない」

「艦長」

あらためて艦長に向き直った鷲尾は、

「本当にNo.07のアンカーを引き上げるおつもりですか?」

と問うた。

「議論の余地はあるまい」

冷泉艦長が言い放つ。

「乗員への示しもある。艦内における叛乱行為は重罪だ。やらねばならんのだ」

理屈はわかる。これが正しいことなのだ。なんとか自分の腹を納得させようとしてみたが、鷲尾は理不尽な思いに囚われていた。なんとか彼女を救えないのか。そんな反発がつぎからつぎへとわき起こってくる。

「検体No.07は《エスピランサ》艦内にいる」

そのとき、冷泉艦長の言葉が鷲尾の思考を現実に引き戻す。

「処置を、頼む」

「……わかりました」

池波はせわしなく手のひらを膝にこすりつけながら、必要なものをぶつぶつとつぶやきはじめた。