分厚い雲の切れ間から現れた無人爆撃機《フォボス》の第一波が、雨あられと照明弾を落としていく。空中で爆破し、まばゆいばかりの閃光が暗闇に次々と咲き、昼間のように環状2号線地区を照らす。
つづく爆撃機の第二陣が、誘導ミサイルを積載して《エスピランサ》の上空に殺到した。
「欺瞞(チャフ)レーザーを展開!」
《エスピランサ》の反射装置(リフレクター)が展開し、周囲に欺瞞(チャフ)レーザーの散布を開始した。欺瞞(チャフ)が赤外線誘導ミサイルを狂わせ、錐もみになって落下させていく。しかし、逸れたミサイルが《エスピランサ》周囲に着弾。爆発の衝撃波が発艦したばかりの《エスピランサ》を右へ左へと揺らす。
一瞬、足が浮くような大きな揺れに見舞われた艦内にどよめきが走り、各員はなにかにつかまっていないと姿勢を保てないほどだった。
もし直撃すればどうなるのか――敵の攻撃のすさまじさに、誰もが内心でそんな仮定を展開している。そんな艦内要員の不安な表情を横目に鷲尾は、
「攻撃は逸れてる!! 3分だ! 主機起動まで3分、なんとか持ちこたえろ! 動力確保と同時に砲塔へ動力伝達。反撃する!」
砲雷長が目で合図して、了解の意を伝えてくる。
「敵航空部隊、引き上げていきます!」
「見張りデッキより入電! 敵主力部隊を映像で捉えました。主モニターに回します……」
戦闘艦橋の主モニターに大写しになった地平線の映像には、赤外線センサーが発する紅い光が、無数に点っていた。
その圧倒的な物量を眼前にした要員たちの間に、どよめきが走った。
「これが……全部敵なのか……?」
主モニターのディスプレイに折り重なるようにして、《響ⅩⅢ号システム》増幅集積室(チャンバー)の映像が分割されてモニタリングされる。白衣を着た東京支部の医療要員と、動力機関を担当する工作兵とがごっちゃになって作業している。
「全隔壁を閉鎖。耐圧確認終了!」
「よし、爆縮始め! 」
鷲尾艦長が令すると同時に、コンソールにとりつく機関要員に緊張が走る。
「了解、《響XⅢ号システム》運転開始……」
増幅集積室(チャンバー)に向かって幾筋ものレーザーが照射される。本来ならこの心臓部・潜水球(バチスフィア)からはまばゆいばかりの紅い光が点っているはずなのだが……いまは『オプト・クリスタル』を抱えたナナが、膝を抱えて眠っているだけだった。
要員たちの希望が潰えた瞬間だった。なにも起こらない沈黙がどんどんと深刻さを増し、それとは無関係に発する計器の作動音が、沈黙をさらに重くする。
とどめを刺すかのように、艦内の照明ががくんと暗転し、非常用電源に切り替わった。いまは浮上するための最低必要源のエネルギーしか使用できない状態だった。
「燃料利得媒質(ペレット)の点火失敗……主機は完全に沈黙しました」
「エネルギー創発(エマージェンス)、ありません」
「ダメです、《響ⅩⅢ号》、起動しません!」
絶望的な報告の声が重なる。
鷲尾は奥歯を噛みしめ、くっと苦悶を洩らす。
同時に、筒状戦車兵器大隊の攻撃が始まった。砲撃とミサイルとが《エスピランサ》付近に着弾し、かろうじて廃墟と化して残っていた環状二号線地区のビル群を粉砕していく。爆風と砕けた鉄片が《エスピランサ》の艦体に打ちつけ、鈍い金属音を立てる。
「艦長!」
緊迫した機関室には不釣り合いな、少年の声が鷲尾を呼び止める。振り返った鷲尾は、極力感情を押し殺した声で、「非戦闘員は、さがっていろ」と少年に背を向けたまま応じる。
「フォトナイザーは、使えないんですか?」
それでもヒロは,艦長の背中に問うた。
「フォトナイザー……?」
「ナナが使っていたんです。彼女は、たったひとりで戦車兵器をなぎ倒しました……」
そんな兵器があるのかと問うように、鷲尾が池波を振りかえる。
「利得媒質と呼ばれる『オプト・クリスタル』の複製を触媒としたレーザー兵器です。東京支部の地下施設、潜水球(バチスフィア)で検体たちが抱えていたのも『オプト・クリスタル』の複製です」
「フォトナイザーで〝彼女〟を……ナナを目覚めさせることはできないんですか!?」
「利得媒質を『オプト・クリスタル』に強制挿入し点火させる、というわけか……」
一転して少年の進言は検討の余地ありと判断した鷲尾が顎に手を当てる。
「無理です!」
池波が反論する。
「利得媒質に感応できる人間がいない! 検体は支部に置き去りにしたんですよ……」
「代案はあるのか?」
しばらく開いた口を閉じずに、池波はもごもご唇を動かしかけたが、言葉にならずにそのまま顔をうつむけるだけだった。
「感応できる人間はいる」
意外な鷲尾の言葉に、今度はヒロが驚かされる番だった。振り返り、ヒロとしっかり目を合わせた鷲尾は、彼の肩に手を置いた。
「君がやるんだ」
「えっ」
「君はたしか、〝彼女〟の声を聞いたと言ったな?」
少年は、機密扱いだった検体No.07の処遇を知っていた。どうやって知ることができたのか? 〝彼女〟だ。検体と行動を共にするうちに、少年にも感応する力が宿ったのか。〝彼女〟が少年に心を開いたのか。いずれにしろ、少年は〝彼女〟に感応することができるはずだった。
少年少女の触れ合いに要員たちの生死が懸かっている――あまりにもあやふやで不確かで、そんなものに頼らなければ生き延びることさえできない自分たちの無力さをも感じた鷲尾は、
「できるな?」
と問うた。
「わかりません」
少年はなにか考えながら応えた。
「ただ、たしかに僕は〝彼女〟の声を聞くことはできるようです……」
「〝彼女〟を呼び戻してくれ。頼む」
鷲尾の言を受け、少年はすっと顔をあげて、
「協力したら、彼女を救ってくれますか……」
と問うてくる。こんなときに要求を突きつけてくるとは大した度胸だ。少年を怒鳴りつけたい思いもまた噴出してくるのを腹の底にたしかめながら鷲尾は、つづく少年の言を聞いた。
「どのみち彼女が死んでしまうなら……意味ないですから」
ここまで言われれば後には引けまい。しっかりとひとつ頷いた鷲尾は、
「《エスピランサ》艦長として約束しよう……」
と応えた。
「わかりました。やります。彼女を、呼び戻します!」
もうそろそろ《エスピランサ》は活動限界を迎えていた。必要最低限のエネルギーに抑えるため、鷲尾艦長代行は艦を着艦させることにしたのだった。
艦内はいま、非常灯の明かりに塗り込められ、ヒーターも切られているため、乗員たちの吐く息も白い。環状2号線の廃墟のビル群を隠れ蓑に付け焼き刃の偽装作業が進められていたが、容赦なく降り注ぐ戦車兵器群の攻撃が《エスピランサ》を見つけ出すのは、もはや時間の問題だった。
彼女が目覚めなければ、みんなが死ぬ――自分たちの思い通りにナナを制御しようとしたために、大人たちはあまりに高い代償を支払わされるはめになった。
そして、その尻ぬぐいを子供に任せるしかないという彼らの無力感、虚無感をも一身に背負ったヒロが、フォトナイザーと呼ばれるレーザー兵器――その外見は盲人の持つ白杖に似ている――を手に、増幅集積室(チャンバー)へと入っていった。
幾筋ものレーザーが照射される心臓部・潜水球(バチスフィア)へ一歩一歩近づいていく。途中、大地を揺るがす爆撃の衝撃波が《エスピランサ》を突き抜けていく。
「右舷中央部に損傷!」
「損害不明!」
スピーカーからはあわただしい報告の声が飛び交っている。
「かまわん、主機《響ⅩⅢ号システム》を最優先。残りのエネルギーはそちらに回せ!」
鷲尾艦長代行の声が聞こえてくる。
「フォトナイザー準備よろし!」
「強制エントリー開始!」
ヒロは潜水球(バチスフィア)にフォトナイザーを向ける。精神感応と言われてもイメージすら湧かない。ただ〝彼女〟の声を聞いたというだけの自分にはたして本当にナナを目覚めさせることができるのか? いまさらながら自問し、やらなければならないのだと自分に言い聞かせる。
艦のためにも。
なによりも、ナナのためにも……。
「点火!」
最後の合図でヒロがフォトナイザーの先端、『オプト・クリスタル』の複製たる利得媒質を潜水球(バチスフィア)に接触させる。その先端に思念を送るように、ヒロはぎゅっと目をつぶった。
(響、応えてくれ……ナナを返してくれ!)
さらに連続的な爆破が起こって、いままでにない衝撃に見舞われる。緊急警報と警戒音とがヒステリーを起こしたかのように鳴り響き、そこへ要員たちの必死の声が飛び交っていく。
「第一装甲板に亀裂発生!」
「減圧確認。隔壁を緊急閉鎖!」
「損傷箇所の油圧チェック急げ!」
金属の不協和音が艦内に響き、爆発の衝撃が足もとを這ってくる。どうにかしなければと焦れば焦るほど、頭が真っ白に塗り込められていきそうな恐慌状態を食い止めるのに、ヒロは必死だった。
「日本人がとか、そんなの関係ない! みんな死んじゃうんだ! お願いだ、目を覚ましてくれ――)
祈るようなヒロの声は、しかし、ただの空気振動となって消えてしまう。利得媒質にも反応はなく、脳内に響くような〝彼女〟の声も聞こえなかった。