やはり、だめか――。

鷲尾艦長代行の顔に絶望の色が浮かび、思わず指揮所のコンソールに両手をつく。

万策尽き果てたという感じだった。やれることはやった。いまは艦内エネルギーも底をつきようとしている。すでに反撃の力もない。あとはもう、筒状戦車兵器群のいい的にされるだけだ。

まるで頭をいきなり殴られたかのような衝撃が艦全体を襲って、さらに耳を聾するばかりの轟音がすぐ直上を貫いた。

「直撃です!」

「損害不明! 」

「第三区画で火災発生!」

もはや応急処置(ダメージコントロール)すらできない。非常用電源に切り替わった艦内は赤色灯に切り替わっており、要員たちが操作するコンソールの画面にも非常事態を示す真っ赤な画面が絶望的なまでに広がっている。

赤、赤、赤……,どこを見回しても真っ赤だった。そこに被弾した衝撃で計器が火花を上げ、ガラスが割れて砕ける音がそこかしこに広がる。電線がショートする鋭い音が響き、煙を上げていた。

「艦長……!」

「敵はあえて《エスピランサ》への損害を抑えている。手加減をしているんでしょう。本来だったら、われわれは鉄くずと化しています」

決死の形相で砲雷長が進言する。

「それをしないのは、この艦が欲しいからでありましょう?」

要員たちの想いを代表するかのように、砲雷長は鷲尾に一歩詰め寄った。

「どうか、退避命令を……」

「艦を捨てることはできない」

わかっているはずだ、というように鷲尾は砲雷長に睨みを効かせて言下に切り捨てる。

「14年間、日本の技術力の粋を集め、雌伏(しふく)してようやく完成した《エスピランサ》を奪われるわけにはいかない」

「しかし、このままでは全滅です……!」

砲雷長がそれでもなお引き下がらずに言う。

冷泉艦長ならどうしただろう? いや、自分と同じ決断をしたはずだと鷲尾は結論づける。艦長なら、有無を言わせず砲雷長たちベテラン軍曹に命令ができただろう。

しかし、いまは自分が艦長なのだ。艦長の命令は絶対でなくてはならない。不服従などあっては、艦内の指揮系統は崩壊する。

「命令だ」

しかたない思いで、鷲尾は口封じの言葉でそれ以上の反論を封じる。

「それ以上言えば、抗命行為と見なすぞ」

やれるものならやってみろ、とでも言うように、ひよっこ艦長に対し、砲雷長が一歩踏み出して胸を張る。仲間内で言い争っている場合ではない。目でそう訴えれば、砲雷長は『怒りで判断を誤るな、艦長のミスは乗員を殺すのだ』と訴えてくる。自分が副長でも同じ進言をしただろうと彼の心情を察しつつも、『アポロン』の軍人として、否、日本人として成すべきことはただひとつだった。

《エスピランサ》の技術が、日本人を殺戮する道具になることだけは絶対に阻止しなければならない。もしここで乗員の命を優先すれば、自分たちは売国奴と変わらないのだ。

「奥寺さん」

と役職ではなく、彼の名を呼び訴えた鷲尾は、みなまで言わずともこの人になら、乗員たちには伝わるはずだと信じて言った。

「頼みます……」

鷲尾の言葉に、反論を飲み込んだ砲雷長は、

「……わかりました」

とようやく引き下がった。

誰もが顔をうつむけ、自爆しかないと覚悟を決めかけたそのときだった。

「主機に……高エネルギー反応!」

要員のひとりが、まるで信じられない事態だというように金切り声をあげる。

「燃料利得媒質(ペレット)の点火を確認!」

「機関始動!」

「……創発(エマージェンス)です!」

「主機、全力運転を開始!」

がくん、と赤色灯に染まった戦闘指揮所に照明が戻り、艦内にエネルギーが充填されていくのがわかった。オペレーターたちのモニターにも各部計器の表示が戻り、作業ウインドウが折り重なって表示されていく。

「出力最大。反重力レーザー爆縮炉(リアクター)への接続を開始!」

キーボードを叩く要員の顔が青ざめて、こちらを振り返った。

「だめです! 操作を受け付けません!」

「なに……?」

「爆縮炉(リアクター)ライン、圧力上昇!」

「動力へのエネルギー吸入開始!」

「エネルギーポンプ作動!」

次々に飛び交う報告の声を必死に追いかけつつも、鷲尾は

「操作はしていないんだな?」

とオペレーターが座る椅子の背もたれに手をかけて問うた。

「はい、主機が勝手に各部に接続をはじめています……」

オペレーターの作業画面には、警告を示す赤い表示が、次々に緑色に切り替わっていった。要員はただ、勝手に切り替わっていく画面を報告しているだけだった。

「反重力レーザー爆縮炉(リアクター)、集光強度、エクサワットを突破! さらに出力(ゲイン)上昇……」

「なにが……起きている!?」

「〝彼女〟だ……」

池波がごくりと生唾を飲み込んだ。

「目覚めたんだ、〝彼女〟が……」

「〝彼女〟とは……《響ⅩⅢ号システム》のことだな?」

身体の震えを押さえ込むように、両腕で自分の体を抱き留めた池波は、

「艦が戦闘不能に陥った場合、主機自身が不具合の点検を自動で行う……完全自律管制モードに移行したんだ」

「完全自律管制……?」

「究極の無人化……人間管制員の否定……いまの《エスピランサ》に、われわれは不要ということです……!」

「《エスピランサ》、浮上します!」

「バカな、狙い撃ちされるぞ!」

刹那、艦が大きく回転した。艦内に人間がいることなぞお構いなしに、《エスピランサ》は船体を地上に対し垂直にした。艦内すべてがひっくり返り、まるで無重力空間のように転がり、浮かぶ。乗員たちはみな何かにつかまって、むちゃくちゃな操艦に耐えた。

「なにが起きてる!?」

ミサイルが照準を定め、こちらに迫ってくる早期警戒レーダーの警告音が艦内に響く。

「ミサイル接近!」

「迎撃は!?」

「《エスピランサ》、全フィールド反射装置を展開! 光子散布を開始!」

「なんだこれ……」

「どうした!?」

報告を上げろとせくように、鷲尾が急かせる。

「没視覚性(アンヴィジュアリィ)モード……レーダーから本艦が消失します!」

要員の報告通り、浮上した《エスピランサ》は、《ダイモス》を盲目に、亡霊のように、不可視にして、第2環状線地区上空から完全に姿を消した。

「《エスピランサ》が……消えた!?」

「ミサイル、着弾! 衝撃波、来ます」

遠くで爆発音がどよもし、衝撃波が艦を襲う……そのはずが、艦はまったく揺れなかった。

「ショックアブソーバーを展開……本艦は無傷です! 問題ありません!」

「なんてことだ……」

圧倒的なダメージコントロールだった。

「主機、全砲塔に直結! 給弾回路開いてゆきます!」

「反撃するつもりか……!?」

「主砲発射準備開始を確認。エネルギー貫通弾装填開始!」

「攻撃を止めさせろ。筒状戦車兵器一個大隊を相手になどできん! クラスター全開! 最大戦速で離脱する! 」

「操作を受け付けません!」

「索敵誤差を修正……照準完了」

「発射します!」

《エスピランサ》は全砲塔から高出力レーザーを発射した。二度、三度と光線が大地を走る。一拍おいて、まるで瓦屋根がまくれあがっていくかのように、大地が裂けていく。環状2号線地区及び虎ノ門地区は爆煙の火柱を次々に上げ、レーザー光線の高熱によって融解した《ダイモス》は感光(エクスポーズド)し、動力源の原子炉を爆発させる。巨大なキノコ雲が連鎖敵に起こって、広がっていく。

「《ダイモス》一個大隊を一瞬に……!?」

「敵は完全に沈黙……」

「これが《エスピランサ》……われわれの希望……」

あまりの破壊力を前に、戦闘指揮所が静まりかえり、機械の作動音と低周波だけがその場を支配した。主モニターに映し出される光景は琥珀色に煙り、もはや地球とも思えなかった。すべては闇と混沌とに包まれていた。

艦内が水平に戻って、乗員がため息をつく。

「自律管制モード停止! 操作系、復旧しました!」

「達する。こちら艦長代行。全艦、第二種戦闘態勢に移行。復旧作業急げ」

言ってから、主機へ向かった少年のことを思い出した鷲尾は、

「砲雷長、指揮を頼む」

と告げた。

「どちらへ?」

「主機を確認してくる」

そう告げて戦闘指揮所を後にした。

主機・増幅集積室(チャンバー)からは、ちょうど検体No.07を抱きかかえた少年が出てきたところだった。二回りも年下の少年になんと言えばいいのか。かけるべき言葉を胸の裡でまさぐり、鷲尾は偽らざる本心で語るしかないと心に決めて、

「どこに連れて行く?」

と切り出した。

「当面のエネルギーは充分に創発しているはずです。彼女を医務室に運びます」

「……意識は?」

少年は首を振った。

「そうか……」

「助かった」

彼女を抱えたまま、ふたたび立ち去ろうとする少年の背中に、鷲尾は包み隠さず素直な気持ちをそのまま告げた。

「え?」

日本再興のため、艦のためになら一人の少女から人間性を奪うこともやむなし――非常事態という御旗で無理を通してきた大人に対してあった警戒の被膜が一枚、少年からはがれ落ちた印象があった。

それは艦長としての建前など一切かなぐり捨てて、本心からでた一言だったからこそ、少年の心にも届いた言葉だったのかもしれない。

「われわれは死ぬところだった」

砲雷長との緊迫したやりとりや、自決を覚悟した瞬間。あのどん底の状況から事態を一変させた少年には、ほんとうに感謝の言葉しかなかった。鷲尾は飾らぬ言葉で率直に、

「君が、乗員たちを救ったのだ。艦を代表して、礼を言うぞ」

と言った。

少年は自分が大人から褒められたのだと気づいて、すこしはにかみながら、

「……僕はただ、彼女を救いたかっただけなんです。そんな褒められたもんじゃない」

少年がすこし頼もしく見え、ああ、自分は成長の瞬間に立ち会ったのだと実感した鷲尾は、うれしさともはずかしさとも知れない温かさで胸が熱くなるのを感じていた。

なんだ、この感覚は? 子どもの成長を見守る。殺伐とした世界に生きてきた軍属の自分に、父性や母性に似た感覚が芽生えるとは思いもしなかった。

これが、子を持つ親の心持ちかも知れない。節目節目の成長過程を見守り、未来を委ねていく。そう、かつて自分もこんな目で見られていたのかもしれない。訓練教官だった冷泉艦長のまなざしも同時に脳裏に呼び起こした鷲尾は、

「なにかできることがあったら……つまり、彼女に必要なものがあったら、なんでも言ってくれ」

としどろもどろになって言った。

「……ありがとうございます」

少年はそれだけ言って頭を下げて去って行った。