「本州への大規模核攻撃……!?」
鷲尾は声を抑えて訊ねた。
「『かの国』はそう言ってきている」
電信の相手は『アポロン』参謀本部の飯田本部長閣下だった。艦長代行から正式に《エスピランサ》艦長への就任を伝えた彼は、つづいて『アポロン』に送られてきた『かの国』による最後通牒を伝えたのだった。
日本への核兵器総攻撃。あまりにもむちゃくちゃな『かの国』の恫喝に、さすがの『アポロン』本部も動揺しているらしかった。
「どうやら連中は、本気で日本人を根絶やしにするつもりらしい……そこまで日本人が憎いということか……」
部長は大きなため息をついてから、
「攻撃を止めたければ、《エスピランサ》を供与するように言ってきている」
と明かした。
「参謀本部の決定は……」
「当然、否だ」
不本意ではあるが、という想いをにじませつつ部長が言った。
「日本民族は故国を喪失し、約束の地を求めて流転の運命を辿ることになる。《エスピランサ》という名の方舟に乗ってね……」
「では、残された数十万の日本人は……」
「日本人などではない」
鷲尾の言を遮って、部長は厳しく言った。
「売国奴(マゴット)だ。ノアの方舟に愚民が乗る必要はない。神が救うのは、信念を曲げず、けっしておもねることなく闘い続けてきた優良種たるわれわれのみで十分だ」
「確かにおっしゃる通りです。ですが、売国奴(マゴット)とて、生きるため、あるいは無知であるがゆえにしかたなく国を裏切ったのではないのですか……?」
「ほう?」
「弱い人間に、われわれのような強い倫理観を強いるのは酷なのかもしれません……」
「われわれはそんな弱い人間を日本人とは認めない。弱い人間は、『かの国』の奴隷のままでいればよい」
部長に言われて、いったいなにが不満なのだ? と自問する。素直に本部の命令を聞けないでいる己の腹の底を探りながら鷲尾は、《エスピランサ》の戦闘能力があれば、核攻撃を阻止し、『かの国』とも渡り合えるのではないかという考えに行き当たった。
そう思わせるだけの力が、《エスピランサ》にはある――。まさに絶望的状況下における唯一の希望なのだった。
第一、《エスピランサ》は、〝彼女〟は日本人を必要としていない。〝彼女〟に守ってもらっているといった方が正しいのが、現状なのにもかかわらず、《エスピランサ》を旗印に日本再興を成し遂げようとする参謀本部の思惑は、あまりに不確定要素が多すぎる。あまりにも危うい。現実認識に欠けている。
制御不能(アウト・オブ・コントロール)に陥る特務艦。艦長とは名ばかりの自分……。そういった懸念事項のなかで唯一、少年と少女の起こした奇跡だけが、なぜか妙に鷲尾の胸の裡でざわついているのだった。
それは、おとぎ話のような幻想と言えるかもしれない。少年と少女。二人が幸せに暮らせる世界を彼らに遺してやる。それこそ、われわれ大人が全力で取り組まねばならぬ急務ではないか? 日本の再興。そのために戦いつづける自分たち大人は、いったいなにを守ろうとしているのだ、なにを為そうとしているのだと鷲尾は自問を進めていく。日本人としての誇り? ところが、生き延びた自分たちは、本当に大和魂を持っているのか……?
「これは贖罪なのだ。売国奴(マゴット)たちの。あらたな日本国再興のための……」
部長の言葉をなんとか自分の中で納得させようとして、鷲尾は奥歯をぐっと噛んだ。これまでずっとそうやって、職業軍人として理不尽を可と飲んできた。 なのに、どうしていまはそれができないのか? この胸をざわつかせるのはなんなのか?
「これより、《エスピランサ》に命令を与える」
改まった声で部長が言った。
「君たちは沖ノ鳥島にある『かの国』の宇宙センターを強襲。衛星軌道上大型輸送路(マス・ドライバー)にて、《エスピランサ》は宇宙へ向かう」
「宇宙へ……?」
予想外の命令に、鷲尾が問い返す。亡国の民『アポロン』は、宇宙へ脱出して《エスピランサ》を持って日本国を建国するのではなかったのか?
「そうだ。《エスピランサ》は、地上の誰もが手出しができない衛星軌道上にて、衛星レーザー兵器となる。衛星軌道上に進出後は自動管制モードに移行せよ」
乗員はどうなるのか。言いかけて、鷲尾は言葉を飲んだ。日本の覇権を確立させるための犠牲。神と化して、ふたたびび帰らざる荒鷲となれということか……。
「……以上だ」
それ以上の反論を封じるように、部長が通信を切った。