とにかく最短ルートで交渉にあたらねばならない……。
ナナとヒロを連れた加奈は、高等技術施策集団(テクノクラート)の長たる行政担当官に接触を試みたのだった。
しかし、『かの国』による核攻撃の情報を眼前に突きつけられた彼らの返答は、
「頼むから帰ってくれ……」
という懇願だった。もはや考えることをも拒否した現実逃避だ。それではいけないと諭すように加奈は、
「事実から目をそらすべきではない。あなたたちは、核攻撃で死ぬんですよ?」
と熱くならぬよう、できうるだけ冷静に告げた。
「わたしたちはここで平和に暮らしてきたんだ……」
高等技術施策集団(テクノクラート)の行政担当官は、独り言のようにつぶやいた。
「たのむから、私たちの平和な生活を乱さないでくれ……」
「……平和?」
あまりに他人事の担当官に、加奈は、
「あなたたちは、日本人を殺戮するための兵器を造りつづけてきた……そのどこが平和なんだ! 君たちは充分に戦争に荷担してきた。いや、戦争とも呼べない。もはやあれは殺戮、虐殺だ。あなたたちは、同じ血が流れている日本人をさんざん殺してきて、なんの罪悪感も感じていないのか!」
と問うた。
「迷惑なんだ」
怯えるような上目遣いで、担当官が言った。
「『かの国』に逆らおうとするバカな日本人がいるから、わたしたちだって彼らを黙らせるためにしかたなく……」
自分たちは悪くない。そんな弁明をしている場合ではないし、ましてや彼らが間違っていることを教え諭している場合でもない。最短ルートだ、と内心に繰り返した加奈は、
「時間がありません。いま、こうしている間にも、核攻撃が迫っている」
とありのままの事実を告げた。
「あなたがたが生き延びる手段は、われわれに協力することです……」
担当官が加奈の言を遮るように机を叩いた。
「君たちみたいな日本人がいるから、『かの国』を怒らせてしまうんだ!」
もはや思考放棄したかのようだった。ヒステリックに担当官は叫んで、口角泡を飛ばした。
「死んでいった日本人は、自業自得だろう。わたしたちには関係のないことだ!」
どこまで他人事なのだ? 自分たちが滅びるかもしれない。そんなときに、当事者意識を持てない彼らはもはや処置のしようがない末期症状だった。
無能である人間は、自分が無能であることを暴露されるのを恐れる。たとえ自らが滅ぶことになっても、自らの無能を認めようとはしないのだと得心した加奈は、やりきれない思いで
「お前らだって……日本人だろうに!」
と声を上げた。
「加奈さん……」
ヒロが加奈の肘を掴んで言った。
「いま言い争っていてもなにも解決しやしませんよ」
咳払いし、気分を入れ替える。もはや交渉しても埒が明かぬと判断した加奈は、
「……協力の意志はないということは充分にわかりました」
と引き下がった。その上で、
「では、あなたたちはどうやって生き延びるおつもりか?」
と担当官に詰め寄った。
これは現実を認識させるための、最後の賭だった。だが、彼は追い詰められたネズミのように、乱れた髪を手のひらで押しつけて整えながら、
「わたしたちが、心の底から平和を願い、『かの国』への反省と懺悔(ざんげ)とを捧げれば、きっと許してくれる……」
とうわごとのようにつぶやいた。
「反省と懺悔……?」
あまりに現実認識を欠いた担当官の言に、堪忍袋の緒を切った加奈は、
「つまり土下座して許しを請うということか? 恥も外聞もかなぐり捨てて、『かの国』の言いなりになるということか?」
と侮蔑を込めて言った。
これが本当に同じ人間なのか? 同じ民族なのか? たしかに加奈が目にしてきた日本人たちはバカ正直で、愚直に過ぎた。そのせいで死んでいった。
だが彼らには信念があった。
自分のためだけではない。他人のため、世界のためという滅私奉公の精神があった。それを集団狂気と呼ぶか美徳と呼ぶかは後世が決めること。すくなくともいまは、生き延びなければならない。
加奈の言葉で憤怒の色を瞳に宿した担当官は、
「いまの言葉は聞きずてならないな……」
と頬を引きつらせながら言った。
「わたしたちを愚弄する言葉は許せない。謝罪を要求する!」
「謝罪で世界が救えるのなら、喜んで謝罪しよう」
加奈は怯まずに応じる。
「このままでは、日本人は、いや、人類は滅びるんだぞ? このデータを観ても、まだわからないのか!?」
加奈が叫んだ刹那、会議室の扉が開かれた。そして短機関銃を携行した憲兵たちが数名、会議室に突入してきたのだった。訓練された動きで銃口を加奈たちに差し向けた憲兵たちは、無言のまま立哨している。
「貴様ら……いまがどういう時なのかもわからないのか!?」
こいつらはもはや人間じゃない――加奈は絶望感に胸を塞がれた。こいつらは考えることもすべてかなぐり捨ててしまっている。一番蔑視すべきなのは、日本的精神とやらを盲進する『アポロン』のような日本人ではない。なにも持たざる者。小賢しく生き延び、恥を恥とも感じない厚顔無恥な百姓たちだ。
普段は平和を訴えながら、権力に固執し、その暴力を行使することを夢見る。なにも持たないくせに、なにもなさないくせに、ぬくぬくとプライドだけは温めている。そうして大切にしてきた自尊心が傷つくと、凶暴な支配欲が顔を出して……。
「連行しろ!」
担当官の殊勝な笑みにはらわたが煮えかえる想いの加奈は、ナナとヒロを庇うように立ちあがった。
敵は5人。やれない人数ではない。瞬時に頭でシミュレーションした加奈は、近づいてきた憲兵の短機関銃を抑え、脚を払った。
憲兵が色めき立って銃を構え直す。しかし、こんな室内で掃射すれば同士撃ちになるのは明白だった。そんなことは計算の上で、加奈は奪った短機関銃の柄で二人目の憲兵の顎を砕き、三人目の鳩尾を打った。
加奈の大立ち回りを食い止めたのは、一発の銃声だった。担当官の拳銃が加奈の肩を撃ち抜いたのだった。苦悶の表情でその場に崩れた加奈を、すぐさま別の憲兵が羽交い締めにして拘束する。
つづいてナナとヒロも後ろ手に拘束されていった。
「……どうするつもりだ?」
連行されながら、ヒロが問う。憲兵たちはなにも応えずに、三人を廊下へと引きずり出していった。
「特務艦《エスピランサ》の現在位置を教えてもらおう……」
どのくらいの時間を無駄にしたのか? どうやら怪我で意識を失っていたらしい加奈がようやく正気に戻ると、コンクリートの壁に囲まれた、陰鬱な地下室にいるらしかった。水をくみ上げるポンプ音と、水滴の音がどこからともなく響いている。
「ナナ!」
張り裂けそうなヒロの声にはっとした加奈は、顔をあげた。殴られたらしく、瞼がうまく開かないが、どうにか目の前の状況を理解した。
後ろ手に縛られ、顔面を殴り倒された加奈とヒロは、地下室の床に放置されている。そして、2人の目の前では、ナナが椅子に縛り付けられていたのだった。
「《エスピランサ》の現在位置を吐けば、自由にしてやる」
そう言う担当官は、スーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をまくった。ナナを縛り付けている椅子の横には、まるで医者の手術道具のようにきれいに拷問器具が並べられている。そのなかから、太い鉄製の錐を選んだ担当官は、その切っ先を舐めるように吟味した。
地下室の背後には、隙なく憲兵が短機関銃を携行して立哨している。
「《エスピランサ》をどうするつもりなんだ……」
ヒロが問うと、担当官は
「『かの国』はあの特務艦が手に入れば、核攻撃を中止すると言っている」
と当然のように応えた。
「《エスピランサ》が『かの国』と戦うから、核攻撃がある。だったら、きみたちが降伏すれば、地球は守られるというわけだ?」
日本人が無駄なあがきを諦めれば、世界は救われる――ほんとうにそうなのか? 『かの国』が日本を許すようなことはない。彼らの目的は日本民族の殲滅。皆殺しなのだ。遅かれ早かれ、根絶やしにされる。いまここで抵抗しなければ、この世から日本人は消え去ってしまう。
「核攻撃を止めるため、われわれが行うのは正義の鉄槌(てっつい)である!」
担当官が錐を逆手に持って、ナナに近づく。
「拷問を正当化しようっていうのか……?」
加奈が挑むように叫んだ。
「とんだ平和主義者じゃないか……どんな言葉で飾り立てようとも、女子供を痛めつけた事実は変えられない。それは卑怯者のすることだ!」
ふたたび加奈に自尊心を傷つけられた担当官が、怒りに眉を震わせる。
「君たちのようなテロリストがいるから、世界は争いが絶えないんだ!」
担当官が片手でナナの後頭部を押さえ、もう片方の手に持った錐を構える。
「やめろおおおおおおおお!」
ヒロの悲痛な叫びが地下空間につんざいた。
「《エスピランサ》の現在位置を、言え!」
「ち、ちくしょう……」
ヒロがぎゅっと目をつぶってコンクリートの地面を叩く。
担当官は、盲目のナナの瞳に、錐を突き刺した。見ていられない、とさすがの加奈も一瞬、目を背けたが、ナナが発したのは、悲鳴ではなく、疑問の声だった。
「ヒロ……なにが起きてるの?」
目をえぐられているのに、ナナはなにも感じないようだった。
「ねえ、教えて! わたし……どうなっちゃたの!?」
目に見えない恐怖、痛みのない拷問に、ナナの恐慌は塗り込められていた。文字通り、赤い血の涙を流しながら問うナナの姿は、見ていられるものではない。嗚咽を漏らすヒロの肩をこづき、「しっかりしろ、男だろ!」と加奈が叱咤する。
「その子は『アポロン』の人体実験によって、痛覚が麻痺している。拷問は無意味だぞ……」
加奈が決然と言った。
「女をいじめるのがお前らの趣味なんだろう? だったらわたしにしろ」
担当官が下卑た笑いを漏らして、
「すばらしい自己犠牲の精神だ……」
と唇を舐める。顎で指示を出して、椅子からナナを解放すると、今度は加奈を椅子に縛り付けようと、憲兵が加奈の両脇を取り押さえる。
椅子に縛り付けるために後ろ手に縛った拘束を解いた刹那、彼女は憲兵を振り払い、担当官に躍りかかった。彼の目玉に指二本をためらうことなく突っ込んで、存分にかき回してから引っこ抜く。つんざくように男がわめいて、暴れる。
短機関銃を持つ憲兵が銃口を構えた。だが、加奈の動きの方が早かった。短機関銃の銃口から銃炎が瞬き、じぐざぐに走って弾をかわした加奈は憲兵たちを蹴り上げて銃を奪う。たちまちにして彼女は憲兵三人の頭を銃弾で砕き、両目を押さえて這いずり回る官僚の頭に銃口を突きつけた。その間、わずか数秒足らず。返り血を浴びた加奈は鬼の形相で担当官に迫った。
「戦車兵器に搭載する人工知能をデータリンクしているサーバールームは、どこだ?」
「馬鹿者、言えるわけがないだろう……」
加奈は官僚の手のひらを短機関銃で撃ち抜いた。手のひらの肉片が砕け散って、指が吹っ飛んだ。
「頼む、命だけは助けてくれ……」
「安心しろ。お前のような売国奴(マゴット)には頼らない」
言う間もなく、加奈は担当官の頭を打ち抜いた。脳漿と血液とが噴水のように飛び散った。阿鼻叫喚の地獄から一転、沈黙が地下室に訪れる。
「加奈さん……」
目から血を流すナナを介抱しながら、ヒロは放心したように呼びかけてくる。
「聞かせてくれ……」
そんなヒロに、血まみれになった加奈が振り返って問う。
「それでもお前は、お前たちは、このどうしようもない百姓たちを救うのか?」
アドレナリンが沸騰し、まるで獣のような形相になってしまった加奈が、畳みかけてくる。
「売国奴(マゴット)を救うというのか!?」
「彼らは、ごく一部の人間なんです……」
涙と汗とでぐちゃぐちゃになりながら、ヒロは加奈のぎらぎらした瞳を反らすことなく見据えて応える。
「戦災孤児になってしまった僕を救い、育ててくれた売国奴(マゴット)もいる……」
「ヒロの言う通りです……」
ヒロの腕の中でナナが言う。
「わたしは、それでも、彼らを信じます……」
「覚悟はいいな……」
加奈がさらに問う。
「交渉は決裂した……しかし、われわれは短期間のうちに戦車兵器のデータリンクを制圧しなければならない……」
おののいていたヒロが立ちあがり、憲兵の亡骸から短機関銃を奪う。マガジンを引き抜き、残りの弾数を確認し、再装填する。
「行きます……!」
ナナも同意したように頷く。
二人の覚悟を受け止めた加奈が、
「これより、敵の中枢を突破する!」
と言った。
筒状戦車兵器のデータリンクを司る中枢部、地下工廠(こうしょう)のメインフレームを探り出すため、加奈は端末にアクセスして、内部構造を把握した。
「サーバー区画はB棟管理区画の最深部……つまりあの先あるようだな……」
壁際から下層へつづく扉を窺えば、短機関銃で武装した憲兵が立哨している。拷問していた『アポロン』の兵士が脱走したことを、まだ兵士たちは知らないようだった。
「強行突破しかないな……」
同時に、自分たちが脱走したことが全施設内に知れ渡る。データリンク掌握までのタイムリミットがさらに短くなるのを覚悟のうちで、加奈は「掩護(えんご)しろ」と短くいって通路へ飛び出した。
幸い、扉の警備はまだ手薄だった。立哨中の憲兵は2人。相手にできない数ではない。加奈が腰を落として憲兵に向かっていった途端に、ヒロが壁際から短機関銃で銃撃する。憲兵が怯んだ隙に加奈は立哨する兵たちを一撃で仕留めて、他に脅威目標がいないかを制圧確認(クリアリング)する。安全を確認してから、通路の壁に隠れていたナナとヒロを手信号で呼び寄せた。
ナナが『オプト・クリスタル』に感応して、鉄扉に備わっている電子錠を開錠しようとアクセスする。そこへ「動くな!」と警告する声が起こって、加奈は咄嗟にナナとヒロを庇って両手を広げた。駆けつけた憲兵の銃弾が数発、加奈の腹部と肩にめり込む。
「加奈さん!」
そこで背後の電子錠が開いて、油圧式の扉がさっと開く。短機関銃の銃弾が雨のように降り注ぐ中、壁や床に着弾の火花を爆ぜ、三人のすぐそばをかすめていく。ヒロは加奈を担いで鉄扉を通り抜けた。確認すると、ナナがすぐさまサーバールームの鉄扉を閉鎖し、隔壁を下ろした。しんと冷たいサーバールームには、所狭しと処理装置が並べられ、積み上げられている。
加奈は重傷だった。もはや自分の力で立ちあがることもできず、顔色は青ざめ、出血はひどかった。
「加奈さん、手当をしないと……」
言いながら、それが無駄なこととわかりつつも、ヒロが言った。そんな彼を叱りつけようと加奈は、
「わたしに構うな……とっととデータリンクを掌握しろ!」
と途切れ途切れに言った。
「ここは戦車兵器のデータリンクの中枢部だ……やつらも無茶はできないだろう……」
加奈の推測を裏づけるように、銃撃の音はすぐさま止んだ。
促されたナナが操作卓(コンソール)に取り付き、『オプト・クリスタル』を介して、売国奴(マゴット)の地下工廠でも最高度のセキュリティが施されている筒状戦車兵器のLANにアクセスする。画面には怒濤の勢いでコマンドが流れ、複数のタスクウインドウが折り重なって表示され、画面を埋め尽くしていく。複数のファイルを同時に、高速でハッキングを仕掛けていき、バッチ処理できるものはオートプログラムに任せ、ナナは戦車兵器のデータリンク掌握を急いだ。
「まったく……お人好しの日本人たちを蔑んできたこのわたしが、いちばんのお人好しだったとは……笑いぐさだな」
「え?」
止血しようとするヒロの手を、加奈が押しのけた。
「よせ、もう手遅れだ。それに……」
加奈はふんと鼻で笑う。
「わたしはな、『かの国』の諜報員(スパイ)だ」
「なにを……急に……」
「艦長を殺し、《エスピランサ》を爆破したのはこのわたしだ……」
戸惑うヒロにはお構いなしに、薄れゆく意識のなかで加奈は、言葉を紡いだ。
「わたしは明るい未来などいっさい信じない人間だ。明るいも暗いもない。ただ、生き延びるだけだ。わたしにとって現実世界とはそういうものだった……。だが、わたしが出会った日本人たちは、将来の日本、世界を輝かせるためになにかを求めている民族のように思えた。きわめて利己的で個人主義を貫く『かの国』とは大きく異なる点だ。私自身、『滅私奉公』が美徳などナンセンスだと思っていた。だが、いまは違う。他人のため。見えざる誰かのため……。そこには希望があるんだと気づかせてくれた。わたしはそこに、一縷の望みを託したい……」
腹部を押さえ、最後の力を振り絞って立ちあがった加奈は、よろめきながら一歩を踏み出す。
「肩を……貸せ」
売国奴(マゴット)、諜報員(スパイ)……。加奈の告白をいまだに信じられず、頭のなかで整理もできていないヒロは、ただ言われたままに加奈に肩を貸した。そうして彼女は、コンソールにとりつくナナの背後から腕を伸ばした。
「『かの国』の諜報員(スパイ)でなければ知り得ぬ情報――おまえたちに、戦車兵器のデータリンクを預ける」
ナナの耳元でやさしくそっとささやいた加奈は、キーボードを叩いて、自作したコンピュータ・ワームを起動させた。データリンクの制圧を完了したかのように、複数開いていた画面がいっせいに消え去り、『complete』の文字が表示される。
「見せてくれ、希望を……わたしは……」
そこで加奈は力尽きたようにその場で瞼を閉じ、床に崩れた。
「加奈さん!」
不敵に笑うその死に顔は、二度と目覚めることがなかった。