【第1章 地球近傍小惑星】

第1話

 京都府長岡京市にある光響大学高エネルギーセンターで『|DALB《ダルべ》計画』最初の議員レクチャーが行われたのは、2025年4月上旬、桜が咲き誇るころのことであった。

『Deflecting Asteroids with Laser Beams』の頭文字からなる『|DALB《ダルべ》計画』は、衝突軌道をとる地球近傍小惑星に対し、大出力のレーザーを照射してその軌道を変更するというプロジェクトである。

 大学内の講義室は重々しい空気に包まれていた。
 スクリーンに映しだされた〝それ〟を男たちがじっと見つめている。

 息苦しさを覚え、ネクタイを少し緩めた|國場一臣《くにばかずおみ》はそっと息を吐き出した。

 いまスクリーンを背に〝それ〟の報告をしているのは、宇宙機応用工学研究系准教授で理学博士の|加瀬隼人《かせはやと》だ。
 國場よりもひと回り年上の48歳。
 細身のスーツに縁なしメガネをかけた加瀬は、話す言葉も身のこなしにもいっさい無駄がない。

「これが《小惑星2024PF3》――潜在的に危険な小惑星として監視対象となった地球近傍小惑星です。このままですと、地球衝突軌道をとるとみられています」

 地球からおよそ3億キロ。
 1メートル望遠鏡が捉えた宇宙空間の白黒画像は砂嵐一歩手前の解像度だったが、無数に瞬く星々を確認することはできた。
 数千、数万の光球の中、ほこりと見紛う小さな光点に矢印が突き立ち〝それ〟を指し示す。

「これが本当に地球にぶつかるというのか?」

 スクリーンを一瞥し、いかにもつまらなそうな表情できいたのは、衆議院議員の|室戸哲朗《むろとてつろう》だった。
 75歳とは思えぬバイタリティを象徴するような恰幅と力強い眉をした老人である。
 ごま塩の角刈り頭はやくざの幹部に見えなくもない。
 与党の国会対策委員長も務めたことがある重鎮だ。

 國場たちが所属する宇宙航空研究開発機構は内閣府、文部科学省、総務省、経済産業省が共同して所管する国立研究機関であり、省庁間でしのぎを削る予算を獲得するためには、政治家を巻き込んでいかなければならない。

 たとえ宇宙開発に興味のない議員であっても。

「隕石や彗星なんかとはちがって、小惑星なんだろう? なら地球に真っ直ぐビューッと向かってるってわけじゃないんじゃないかね?」

 加瀬を指差しながら室戸議員がきいた。

「地球近傍には1万を超える小惑星が楕円軌道をとって周回しています」

 天体力学、小惑星の軌道解析を研究する加瀬はスペースガードの専門家だ。
 準備していたスライドを表示させながら、

「小惑星のなかでも地球に衝突する可能性のあるものは監視下に置かれ、観測が続けられているんです」

 と解説を加えていく。

 太陽系の3Dモデリングの映像が流れる。
 何重にも交わる楕円軌道が表示され、小惑星の周回運動をシミュレーションする。

 そんな小惑星のひとつ、《小惑星2024PF3》と矢印を打たれた点の楕円運動のみが残され、地球に衝突するとみられるコースを描いた。

「アメリカ航空宇宙局発表の軌道計算によれば、地球に衝突する確率は5.5%だそうです」

「5.5%だと?」

 笑い飛ばすように「フン!」と鼻を鳴らした室戸議員は、

「なんだ、当たらんのじゃないか」

 としわがれた声でつぶやく。

「いえ、5.5%という数値は、けっして天文学的確率でというわけではありません」

 希薄な議員の危機意識を訂正するように、加瀬は強調した。

「今世紀中の衝突確率としては最高レベルの《トリノスケール・オレンジ6》に相当するものです」

「トリノスケール?」

「先週、国連宇宙空間平和利用委員会でスペースガードに関する決議がなされました。国際的非常事態を喚起するレベルであるとお考え下さい。もし地球と衝突すれば、人類史上最悪の災害になることは間違いありません」

 感情を排した事実のみを伝える声で加瀬がこたえた。

 パソコンの廃熱音だけがきこえる沈黙が流れる。

 そんな空気を変えるかのように、室戸議員は、

「核攻撃でなんとかならないのか。そういうハリウッド映画があったじゃないか」

 と政治家らしい雑な言葉を放った。

 國場は苦笑をこらえた。
 室戸議員がいっているのはおそらく『アルマゲドン』のことだろう。
 地球へ小惑星が接近する中、NASAにスカウトされた石油採掘夫が核爆弾で軌道を変更する話だ。

「熱核兵器による小惑星破壊及び軌道変更は不可能です」

 と加瀬。

「なぜだ」

「熱核兵器の破壊力の源は空気だからです。熱風と爆風を巻き起こす空気の存在しない宇宙空間では、核兵器による破壊力は期待できません」

「そういうものかね?」

 不機嫌そうにいい、室戸議員はぶすっとした。
 それから腹ただしいとでもいうように、

「で? いつぶつかるんだ?」

 と尋ねた。

「15年後の2040年4月と予想されます」

 加瀬がこたえたが、あくまで確率の範囲であるというニュアンスを含ませていた。

「そんなに先なのか?」

 と呆れるように室戸議員。
 すぐさま、ご説明します、と加瀬がスライドを操作すると《小惑星2024PF3》の観測画像が表示された。

 満点の星々に動きはないが、矢印で示された輝点は少しずつ移動し――消えた。

「ことの発端は昨年――西暦2024年6月。米国月惑星研究所の全天観測プロジェクトの中で、直径500メートルを越す小惑星が観測されたのです。《小惑星2024PF3》と仮称されたそれは、必死の観測もむなしく2日後には太陽の前を通過。猛烈な太陽の光に遮られてしまったのです」

「見失った、ということか?」

「はい」

「どうせNASAのことだ。大げさにいってるだけじゃないのか、え?」

 加瀬を追い詰めるかのように室戸議員が問うてくる。

「確かにこれまでも2004年に《アポフィス》という地球近傍小惑星が衝突軌道をとっているとして《トリノスケール・イエロー4》に適用されましたが、後日、ゼロにまで引き下げられたことは、あります」

 気を遣って加瀬はこたえた。

 我が意を得たりと室戸議員は、

「ほら見ろ。今回もその類いじゃないのかね?」

 短い首に埋もれた顎をしゃくって加瀬を追求する。

「残念ながら……今月に入って再発見された《小惑星2024PF3》の軌道を見る限り、予断を許さない状況であることに変わりはありません」

 新たに観測された《小惑星2024PF3》の合成画像が次々とスライドに映しだされる。
 軌道の予測線が地球に向かって伸びていた。

「軌道も一致しましたので間違いなく同一の地球近傍小惑星であることが確認されました。
 その他100件余の観測報告を元にNASAは衝突確率を修正し、5.5%という数値を発表しました」

 低く呻いてから、室戸議員は、

「地球のすれすれを通り過ぎていく……んじゃないのか? たったの5.5%だぞ?」

 と確認してくる。
 
 残念ながら、というように加瀬は首を横に振った。

「いまのうちに軌道を変えておけば、少ない労力で済みます。数ミリの軌道変更で済むんです。なぜなら、わずか数ミリのズレでも15年間のうちに大きくなって、完全に地球を逸れるからです。しかし、小惑星が地球に接近すればするほど、軌道を変えることは困難になります」

 今度は軌道変更のシミュレーション結果が表示された。

「タイムリミットは?」

 ようやく危機感が芽生えたらしい室戸議員が硬い声できいた。

「すでに時間的猶予はありません」

 淡々とした口調で加瀬がこたえる。

「30年前に発見する。これがスペースガードの対策方針でしたから」

「じゃあ、15年遅かったということか?」

「3年、いえ、5年以内には対策を講じなければなりません」

 すかさず加瀬は指摘する。

「そんなもの……日本でなくてもアメリカ様に任せておけばいいだろう。地球を救うが好きな連中にやらせておけばいいんだ」

 問題を押し付けるような口調で室戸議員はいった。
 平静を取り繕ってはいたが、表情には隠しようもない戸惑いが見て取れる。

 それは半ば予想されていた返答であった。
 予算規模も運用経験も劣る日本がわざわざ地球を救ってなんになるのか。
 国内の経済政策でひっちゃかめっちゃかだというのに、宇宙にかかずらっている暇はない――いかにも政治家らしい損得勘定だった。

 であるが故に、利を説けば味方になってくれる――國場のような政治的駆け引きとは無縁の研究畑の人間からすれば、こんなくだらないやりとりはうんざりだったが、予算を通さねばそもそもプロジェクトは立ちゆかない。

「米国も大型探査機を小惑星にぶつけて軌道を変更させるなど、対応策を検討していることは事実です」

「そうだろう? だったら連中に任せておけ」

 室戸議員が言い放つ。
 これで結論を下したとでもいうかのように、議員は腕を組んでまぶたを閉じた。

「しかし、ことは人類の存亡に関わる事態です」

 遠慮がちに加瀬は続ける。

「米国にだけ対策を任せておいて、もし失敗したら?」

「NASAが失敗するかもしれないことを……君たちにできるというのかね?」

 ぎろり、とまぶたを開けた室戸議員が、加瀬や國場たち研究者を順番に見ていった。

「はい。本日はそのためにご足労を願いました」

 加瀬はこたえて、國場たちに目で合図を送る。
 任せておけ、と各々が頷き合った。
 
 國場たちを試すような沈黙を置いてから、鋭い舌打ちを洩らした室戸議員は、

「まったく……とんでもないものを見つけてくれたものだ」

 と椅子の背もたれに寄りかかった。

「人類に厄災をもたらす可能性のあるこの小惑星はエジプト神話の復讐者、人類に審判を与える女神にちなんで《セクメト》と呼称されるに至りました」

 レクチャーを続ける加瀬が、古代の壁画に描かれた、ライオンの頭を持つエジプトの女神の横顔をスライドで示した。

「《セクメト》は『日本書紀』や『古事記』におけるヤマタノオロチに相当する神です。人類を抹殺しようとする神の遣い《セクメト》。人類は血に似せてつくらせたビールで彼女酔わせ、殺戮を止めさせる――」

「――で、君たちは『赤いビール』をつくろうとしているというわけだな?」

 加瀬から言葉を引き取った室戸議員が、ふたたび研究者たちを見回して確認する。

「それではここからはプロジェクトマネージャーの國場よりご説明をさせていただきます」

 そう応じた加瀬は、國場に説明を引き継ぐ視線を送ってきた。

 軌道計算を専門分野とする加瀬は理学系の研究者だ。
『DALB計画』ではプロジェクトサイエンティストの任にあたる。

 対してプロジェクトマネージャーを拝命した國場は工学系の研究者である。
 ひとつの宇宙開発プロジェクトには数百億、数千億という大規模な金額が動く。
 だからJAXAが宇宙科学プロジェクトを立ち上げる際には、宇宙理学委員会と宇宙工学委員会双方の厳しい評価プロジェクトを経なければならない。

 そうして選定されたのが、國場たちのワーキンググループだった。

「本計画のプロジェクトマネージャーを拝命いたしました國場です」

 國場は加瀬の言葉を引き継ぐ声を放った。

「『レーザー装置による地球近傍小惑星の軌道変更計画』、通称『DALB計画』をご説明します」

「……聞かせてもらおう」

 試すような口ぶりで室戸議員が促した。
 スライドが切り替わり、『DALB計画』の概要説明のための映像が流れる。

 地球から伸びたレーザー光を、宇宙空間に浮かぶ鏡──に相当する宇宙機──に反射させて、《セクメト》に照射するコンピュータグラフィックが流れた。

「本計画は3つの工学技術が直列につながったものです。まず、地球から照射する高強度レーザー設備《響20号》。本大学にて研究されているものです。こちらはのちほどご覧になっていただきます」

 光響大学の|白河隆史《しらかわたかし》教授に視線を送る。
 壁際に控える白河は60を目前にした線の細い男だ。
 色白で銀髪のマッシュヘアをきれいに整え、老眼鏡を鼻に乗せた彼は日本人というより英国人のようにも見える。

 軽く頭を下げる白河を目の端で確認しつつ、國場は説明の言葉を継いだ。

「ふたつめは光学フェーズドアレイ装置《|LPHA《エルファ》》です。『Large-scale nanoPHotonic Phased Array』の頭文字を略した《LPHA》は、全方位探査が可能なレーダー装置をレーザーにも流用したものです。粒子と波の特徴を併せ持つ光にもこの技術は応用可能で、宇宙空間に打ち上げれば地球からのレーザー照射を集約し、目標に反射させる鏡のような役割を果たしてくれます」

「それで? 3つ目は?」

「《LPHA》は100メートルを超す巨大な宇宙機です。この打ち上げのために大型ロケットエンジンを開発する必要があります」

「リスクが大きすぎるな……」

 室戸議員が首を左右に振って決めつける。

「国家経営的に考えれば、ひとつでも失敗したら立ち行かない危険な賭けは見送るべきであって、それこそ賢明な選択というものだ」

「お言葉ですが……」

 國場は室戸議員を見据えていった。

「『世界初』が『世界一』なんです」

「……どういう意味だね?」

「日本が少ない予算と人員に乏しい技術蓄積で米国に負けない世界第一線の結果を出すためには、〝米国がやりたがらないこと〟をやるしかないのです」

 うーむと唸って腕を組み直した室戸議員が、

「結局、リスクを取るしかない、ということか」

 と洩らす。

「それでも──」

 國場が訴える。

「後追いや追従ではない、世界初の取り組み──日本の工学技術実証の場として、『DALB計画』は意義のあるものであると確信しております」

 会議室に明かりが灯り、移動の準備が始まった。
 不満げにやれやれと大きなため息を吐き出した室戸議員が最後に立ちあがると、男たちは特殊実験棟へ向かった。