【第1章 地球近傍小惑星】
第5話
その夜、國場と御坂、加瀬の三人で飲み屋に繰り出した。
相模大野の駅前にあるチェーン展開する居酒屋である。
金曜の夜ということもあり狭い店内には会社帰りのサラリーマンや大学生のにぎやかさがあったが、國場たちのテーブルはそこだけ異空間のように重く沈んでいた。
ことん、とビールジョッキを置く音だけが騒がしい店内で妙に耳を打つ。
(あと5年、か……)
國場は心のなかでつぶやいて、ため息を洩らした。
軌道変更の機会は限られている。
だが、まずは技術的課題を解決する前に、人間関係を構築しなければならない。
そこで親睦を深めようと柊も誘ったのだが、あっけなく断られてしまったそれも「行きたくありません」という直截ないい方だった。
まあ、外堀から埋めていくしかない――自答する己に、そんな時間があるのか? とさらに自問して、國場は溜息を重たくさせた。
そんな國場の肩を加瀬が叩いた。
プロジェクトマネージャーがそんな弱気でどうする、と慰めるようなタイミングだった。
「ま、柊先生は三顧の礼で迎え入れるしかないさ」
『三国志』の劉備元徳は天才軍師・諸葛亮孔明を迎え入れるため、断られても3度草廬に足を運んだ。
それに習って國場も……。
「気難しい方ですけど……悪い人じゃなさそうですよ」
御坂がいった。
「少なくとも趣味は合いそうですし」
柊の研究室にはたくさんの特撮モノやロボットアニメのフィギュアが飾ってあった。
どうやら柊はそこからインスピレーションを得ているらしかった。
「御坂さん、すみませんでした。せっかく時間調整していただいたのに……」
打ち上げる宇宙機の仕様も決まらないままでは、ロケットエンジンの開発もしようがない。
申し訳ない思いで國場は頭を下げた。
「いえ、プロジェクトに参加させていただけて、光栄に思っています。なんせ我が国が十トン超えの宇宙機を打ち上げたことはないことですから」
日本のロケットエンジン開発はすでに大型化から小型化へ舵をとっている。
高コストが批判の的となるからである。
そんな規模が縮小傾向にあったロケットエンジン開発部門が、ふたたび大きなロケットを打ち上げられる。
そこに御坂は意義を見出してくれているようだった。
「エンジンについては八坂重工さんにも協力を仰いでおきます。新型ロケットエンジンの開発経験は貴重なノウハウになります。腐らずがんばりましょう!」
まるで危険を楽しむ冒険家のように、わくわくしてたまらないというような御坂の言葉に救われるような思いだった。
「ええ!」
明るくこたえた國場は、ジョッキを飲み干して次の一杯を注文する。
「でも、NASAの動きは気になりますね。巨大な宇宙機を小惑星にぶつける、という計画はどのくらい動いてるんでしょうか?」
一転、御坂は不安を口にした。
もし日本よりも先に米国が小惑星軌道変更プロジェクトを立ち上げれば、『D計画』もその必要性を失う。
「宇宙機の特攻は開発リスクは少ないかもしれないが、工学的にも理学的にも得られるモノは少ない。いってしまえば、ぶつけるだけだからな」
國場とは反対にちびちびと日本酒を啜る加瀬が自分の見解を述べた。
加瀬は米国が競合相手になるとは考えてはいないようだった。
しかし、世界初が、世界一――その世界初を米国に掠め取られ、後塵を拝した日本の宇宙開発が悔しい思いをしたことは幾度となくある。
「工学的意義も理学的意義も『DALB計画』にはある」
國場は静かに力強くいった。
「このプロジェクトで得られたノウハウは今後、日本が技術立国として世界を牽引していく布石となるはずです」
「光で世界を救う、か?」
加瀬が苦笑とともにきいてくる。
それは國場の口癖だった。
「ええ、僕はそう信じています」
熱っぽく語った國場に、御坂は大きく頷いて同意した。
「國場さん!」
ガラガラっと居酒屋の引き戸を開けて飛び込んできたのは柊だった。
モジャモジャの髪をかき乱しながら、
「國場さん!」
と騒がしい店内を探す。
興奮した形相の柊に驚きながらも、御坂が、
「こっちですよ、柊先生」
と手を挙げる。
ズンズンと人をかき分け、柊が國場たちのテーブルにやってきた。
「どうかされたんですか?」
席を薦めながら國場がきいた。
柊は立ったままテーブルに手を突くと、
「変形合体ですっ!」
と目を輝かせて訴えた。
柊の発想の飛躍に驚きを隠しきれず、國場たちの反応が一拍遅れる。
「変形合体……?」
加瀬が眉をひそめる。
「日本のロケットエンジン技術でも打ち上げ可能な方法は、複数の《LPHA》を打ち上げて、宇宙空間で合体させるんです。もちろんひとつひとつの宇宙機はミウラ折りにして小型化します。つまり――変形合体!」
「柊さん……」
素っ気ない態度にあまり乗り気ではないのかと邪推した自分が恥ずかしい。
柊は彼なりに解決方法を考えてくれていたようだった。
「なんだよ、ノリノリなんじゃないか…‥」
苦笑いの加瀬が洩らした。
「御坂さん、どうですか!」
國場が御坂に向き直って訊ねた。
小さく頷いた御坂は、
「おもしろいかもしれません」
といって笑った。
「やっぱり柊さんは悪い人じゃなかった」