【第1章 地球近傍小惑星】

第6話

 内閣府宇宙開発戦略本部会が開かれたのは、12月半ばのことであった。

 場所は地下鉄国会議事堂駅前から徒歩数分。
 霞が関のビル内。

 文科省や経産省などの関係各省と内閣府の審議官、それに副本部長である官房長官が出席し、『D計画』プロジェクトチームから國場と加瀬の2名が出席している。

 この会議の場で『D計画』の意義を認めてもらわなければ、プロジェクトは立ち行かなくなる。
 審議の遅れは予算に直結し、打ち上げの遅れは計画遂行に大きく影響するからだ。

 何としてでも認めてもらわねばならなかった。

 しかし──。

 文科省が渋ったのはやはりロケットの打ち上げ回数であった。

「一度ですませられないのでしょうか? 打ち上げ回数が多くなればなるほど予算もかかるし、失敗の可能性も増える」

「その認識は間違いです」

 國場は訂正する声を上げた。

「《LPHA》は一号機の重量を最大に想定しており、段階的に重量を減らしていけば、打ち上げリスクは回を追うごとに低減させることができます」

 國場の説明を受けても、文科省の次官は厳しい顔を崩さない。

「ですが、限られた打ち上げ機会を『D計画』に独占されれば、他の宇宙プロジェクトに影響が出ます。これはいかがなものかと……」

「JAXAでは、今後5年『D計画』に打ち上げ機会を一極集中します。すでに企画調整委員会の了承は得ております」 

 報告して國場はチクリと胸が痛んだ。

 この先5年間、自分たちのプロジェクトがJAXAの予算をほぼ独占するのだ。
 もちろん「地球を救う」という大義名分があったればこそだが、この異例の大英断がくだされた陰には、多くの研究者たちの理解と協力が必要だった。

「しかし、ねえ……」

 言葉を濁らせた文科省の次官が不満げな溜息をつくのを横目に、國場は2ヶ月前の研究者とのやりとりを思い起こしていた。

     *

《LPHA》の変形合体―――。

 『D計画』のロケット打ち上げ回数が増えたことによる、御坂の懸念が的中した。

 打ち上げ時期の問題である。

 この数年の日本の宇宙関連予算の削減は極めて厳しい。
 打ち上げタイミングがズレてしまえば、次の機会まで待たなければならない。

『D計画』では3回にわけて《LPHA》を打ち上げなければならなかった。
 いつまでも国の予算が出なければ打ち上げ時期が遅れ、ひとつでも打ち上げられなければ、プロジェクトは立ち行かない。

 プロジェクトサイエンティストの加瀬が《セクメト》の軌道計算を試みた結果、軌道変更のチャンスは2034年までに実施できなければ、現状のスペックでは困難となる。

 残された時間はあと8年であった。

 JAXA内の研究者たちは、日本の単独プロジェクトが世界を救うという意義に賛同してくれた。

「自分たちのプロジェクトは後回しにしてもらっていい」

 彼らのプロジェクトへの理解によって、宇宙工学委員会と理学委員会ともに『D計画』の一本化が進んだのである。

 宇宙理学委員会では科学的ミッションが、宇宙工学委員会では工学的ミッションが提案され、宇宙研の企画調整委員会で両者のどちらを選抜するかの議論を行い、内部で決定される。

 ここで『D計画』にリソースを集中させることが認められたのだった。

「無茶な計画を考えるものだな…‥同じ科学者としてお前には驚かせられる」

 別の探査機プロジェクトを起案していた先輩研究者には、企画調整委員会がはねてからそういわれた。

「打ち上げ能力に不安のある巨大な宇宙機を複数機にわけ、変形合体させる計画。まるで空想科学小説の世界だ」

 呆れ半分、といった口調の先輩研究者に、國場は「はあ……」と苦笑いで返した。

 一人の研究者が関われる探査機プロジェクトは限られている。
 ただでさえ少ない機会を奪おうというのだ。
 もし自分が我慢しなければならない立場だったら……?
 そう思えば先輩研究者には申し訳ないという思いしかない。

「他の計画には負けたくはない。自分のプロジェクトにも理学的意義があるものと自信と誇りを持っている。だが―――」

 いい差した先輩研究者は、恐縮していた國場を勇気づけるように背中を叩いた。

「――お前に負けても仕方がない、と思うよ。なにせ、我々日本人の技術が地球を救うんだからな」

 立場上はライバルとなる先生からの言葉は、國場の胸を大きく揺さぶった。

「ありがとうございます、ありがとうございます……」

 國場は何度も頭を下げた。
 
 もちろん、すべての研究者が両手を挙げて賛成したわけではない。
 警鐘を鳴らす研究者もいた

「『D計画』はいわば次世代の原発であり、抑止力ともなりえる」

 小惑星にレーザーを照射することが可能ならば、《LPHA》を使って地上に高出力レーザーを向けることも理論上は可能だ。
 光の速さで攻撃可能な抑止力の存在は、政治問題にもなりえる。

「海に囲まれた我が国が敵を作ってはならない――」
 
 研究者は宇宙機を激突させるプロジェクトに変更するべきだと主張していた。

 だが、かつて二度も原爆を落とされ、原発事故をも体験したこの日本であるからこそ、核廃棄物のないクリーンな核融合システムを宇宙プロジェクトで証明することの意義は大きい。

 JAXAがもてる観測データと、モノ作りが渾然一体となったまさに「理工一体」の体制が自分を後押ししてくれている。
『D計画』にはJAXAの研究者たちの総意が詰まっているのだ――ここで退く訳にはいかない。
 思いを新たにした國場が顔を上げ、役人たちに相対した。 

 いま國場が相手にしているのは日本の中央省庁。
 前例至上主義、事なかれ主義のお役所の連中を説得できるのか。

 リスクの塊のような『D計画』を……。

 いや、やってみせる。

 やらなければならないのだ。

 自らを鼓舞した國場は、出席者たちに訴えた。

「『D計画』の最終目的はたったひとつ――《セクメト》の軌道変更であります。しかし、いくつもの開発要素が複雑に入り組んだ今回のプロジェクトにリスクを感じている方も少なくないと思います」

 出席者の面々の顔を見やりながら、國場は説明した。
 副議長を務める官房長官は無表情のまま説明を聞いている。

「今回のプロジェクトでは、段階的な工学的・理学的意義が設定されています」

 國場が示したスライドには、光響大学の《響20号》が映しだされた。

「まず第一に、《響20号》の改良です。ピーク出力二〇〇〇兆ワットの連続運用を可能とすることで、現在は研究の段階に過ぎない次世代クリーンエネルギーの開発が可能となります。安全でクリーンな原発を日本が開発することの意義は計り知れません」

 続いてのスライドで示されたのは、3Dシュミレーションの映像だ。
 複数回にわけて打ち上げられた《LPHA》一号機から三号機が、ミウラ折りされた平面構造部を広げ、地球の周回軌道上でドッキング。
 変形合体を遂げた《LPHA》はそのまま《セクメト》へ向かう。

「これまで、国際宇宙ステーションの電池交換のためにドッキングさせることはありましたが、三つに分かれた宇宙機を周回軌道上で展開、ドッキングさせるという試みはなされたことがありません。まさに世界初の試みです」

 國場の説明の間にも、シミュレーションは続く。
 くの字の平面的な宇宙機《LPHA》が《セクメト》へ接近。
 地球から照射された《響二〇号》のレーザーを受け止めた《LPHA》は《セクメト》へ向けてレーザーを一極集中させる。

「そして、ピーク出力二〇〇〇兆ワットを超えるレーザーの遠距離照射と、光学フェーズドアレイ装置の実証実験も兼ねた地球近傍小惑星の軌道変更」

 焼かれた小惑星の周回軌道を示す楕円が歪み、地球衝突軌道から逸れていくことが示される。

 スライドが終わり、國場は三本指を立てて、

「以上、三段階の各ステージごとに日本独自の宇宙開発プロジェクトとして、意義のあるものと考えます」

『D計画』のプレゼンテーションが終わり、國場は席についた。
 このあとは官房長官から全体の総括がはじまる。

「宇宙開発戦略本部会の結論を申し上げます」

 官房長官の声に國場は姿勢を正した。

「我が国の工学実験を推奨すべきとの見地から、宇宙開発戦略本部会においても、ぜひ承認したい案件と考えます」

 思わず握った拳に力が入った。
 よし、と口に出しそうになった國場に水を指すように、官房長官の声は続いた。

「しかしながら、我が国の予算規模から大きく逸脱したプロジェクトであることはやはり看過できないものでして、限られた枠組みのなかで最大限の努力をするべきだとのご意見はごもっともなものと思われます」

 雲行きが怪しくなってきた。
 持って回ったような答弁内容に、國場は一転、胃が絞り上げられるような感覚に襲われた。

「『D計画』は3機のロケットを打ち上げることが前提となります。もし、一基でもロケットの打ち上げに失敗した場合、そこで本計画を中止する、ということでいかがでしょう?」

 國場は言葉に詰まった。
 もともと『D計画』は失敗が許されないプロジェクトだった。
 しかし、こうして失敗した時点での計画中断を宣告されると、複雑な思いがする。

「先ほど國場プロジェクトマネージャーからあったように、本計画の最終目的は小惑星の軌道変更にあり、この目標達成のために地に足の着いた実施計画である必要があります」

 議場に居合わせる役人たちも不承不承というようにきいている。

「また予算承認の遅れがプロジェクト事態の、機会損失につながることは承知しております。國場さん。検討してもらえますか?」
 
 念押しの言葉に國場は頭を縦に振るしかなかった。