【第2章 リフトオフ】
第10話
2031年、10月。
午前6時半。
内之浦宇宙観測所の空は秋晴れで、真っ青に澄み渡っていた。
(《やたかがみ一号機》打ち上げ最終判断の結果を連絡します――)
発射官制室から発信される女性オペレーターのアナウンスが流れはじめた。
この声は内之浦宇宙観測所の施設内全館放送となっている。
(現在、各系共最終確認を実施中です。
また警戒区域の安全が確認されており、気象条件も支障がないことが確認されました。
よって、《やたかがみ一号機》を搭載した《HⅢ-Bロケット》の打ち上げを午前7時に開始します……)
あと30分――。
管制室で放送をききながら、青いJAXAの作業着姿の技術者たちが打ち上げ準備に追われていた。
最後の開発ファクタ、50トンを超す大型宇宙機《やたかがみ一号機》の打ち上げに耐えうる新型《HⅢ-Bロケット》は、大型ロケットエンジンの開発プロジェクトとしてすでに2000億円近い開発費をかけ、八坂重工と開発中だったHⅢロケットシリーズを改良したものだ。
「せめて試験機を打てればよかったんですが……」
國場が御坂に声をかける。
1回の打ち上げに50億円近いコストがかかる大型ロケットエンジンは、そうやすやすと打ち上げられるものではない。
それなのに、『D計画』では今回の第一弾に続き、第二弾、三弾と打ち上げるのである。
試験機を飛ばす予算など確保できるはずもなかった。
「最初から潤沢な予算をもって開発してるロケットエンジンなんてありはしませんよ」
御坂は管制室のモニターに視線を走らせた。
画面には、白煙をたなびかせるロケット発射台が映し出されている。
つい数時間前まで八坂重工の技術者たちが確認作業をしていたのが夢のようだ。
いまは直前に出された総員退避命令によって、射場は無人と化している。
「八坂重工さんもがんばってくれています」
ロケット発射台に《HⅢ-B》を建ててからすでに2ヶ月。
振り返るように 御坂はいった。
ロケットはたくさんの部品をひとつひとつ手作業で組み立てていく。
御坂をはじめ八坂重工の技術者たちエンジンチームは合宿のように準備の日々を過ごしてきた。
疲労を溜め込んだ表情をしている者は、誰もいない。
むしろその顔には希望と自信に満ち溢れている。
そんな彼らを頼もしく感じ、國場は打ち上げ前の緊張が気持ちほぐれたような気がしてほっと息を吐いた。
『D計画』の中心メンバーでいま、管制室にいるのは國場、御坂。
あとはエンジン担当の技術者が大半だった。
柊や大熊、白河たちは数百メートル離れた見学場から《やたかがみ一号機》の発射場を見守っているはずだ。
「加瀬さん、現状問題は?」
管制室から筑波宇宙センターへ通信確認する。
ロケットが最終燃焼を終えて軌道投入が終わると、筑波宇宙センターに管制指令が移る。
よって《やたかがみ一号機》の軌道決定を担当する加瀬は打ち上げ後の誘導のため管制室ではなく、筑波宇宙センターで指揮をとっている。
気象状況からタイムスケジュール通りの打ち上げが決定したのが今日未明の午前2時。
そこから秒単位のスケジュールで最終確認に追われる加瀬も、相変わらずクールに「問題ない」と短くこたえる。
「《やたかがみ一号機》の人工知能と、《HⅢ-Bロケット》の連動も問題ありませんよ」
続けたのは柊だ。
今回の打ち上げでは莫大な推力を得るため、《やたかがみ一号機》側の化学エンジンも使用する。
そのためロケットの自律点検プログラムと《やたかがみ》の人工知能とがうまく連動する必要がある。
(Xマイナス25分)
5分おきにアナウンスする機械音声は、《やたかがみ一号機》の人工知能のものだった。
「〝彼女〟は順調のようですね」
人工知能を女性に見立てて御坂がいった。
「《やたかがみ一号機》の打ち上げ、よろしくお願いします」
柊が御坂の手をぐっと握る。
しっかり頷き返した御坂に頭を下げ、國場たちは後方の控え席に腰掛けた。
*
(Xマイナス10分)
カウントダウンを続ける機械音声が告げると、続いてJAXA職員のアナウンスが見学場のスピーカーから響き渡った。
(内之浦観測所総合管制室から《やたかがみ一号機》の打ち上げ状況をお伝えしております。
間もなく打ち上げられる機体は関係者による最終的な確認作業が続けられており、現在のところすべて順調との報告を受けております……)
内之浦観測所の見学場で、大熊は目を細め、遠くに屹立する《やたかがみ一号機》を眺めていた。
「父さん、これ……」
娘の声にはっとして振り返る。
長女の大熊|寛子《ひろこ》が水筒のコップを差し出していた。
コップの中ではコーヒーが湯気を立てている。
「ん、あんがとな?」
カップを受け取って、啜る。
寛子が昨夜、ドリップして淹れたものだ。
カフェでアルバイトしている娘のコーヒーはプロのバリスタ並の香ばしさだ。
それになにより、人の温もりも感じられて、身体が暖められていく心地だった。
「いよいよだな……」
無精髭の残る顎をさすりながら、大熊は三脚にカメラを固定した報道陣の列を眺めやった。
望遠鏡のようなレンズを装着したカメラがずらりと並んでいる。
リフトオフの瞬間を捉えるためだ。
小惑星衝突という地球規模の危機に立ち向かう、世界的にも関心の高い宇宙プロジェクトというだけあって、海外メディアの姿もあった。
「あのロケットに搭載されている宇宙機が、父さんのレーザーを受け止めるんだよね?」
寛子がきいてきた。
「ああ。レーザーの光は指向性が強いけど、地球から3億キロも離れてしまえば拡散してしまう。
だから《やたかがみ》が中継基地になってくれるんだ」
「ふーん」
大熊の影響か、理工学系の大学に進学した娘は、今回の打ち上げに興味をもってくれているのか?
利得媒質の研究に没頭し、思春期の娘とはあまり触れ合う時間もなかった。
寂しい思いもさせてきただろう。
妻はもはや呆れ半分で大熊を受け入れてくれているが、娘のの心の裡は知る由もなかった。
だからこそ、大熊は娘にこの打ち上げの瞬間をぜひとも見てもらいたいと思っていた。
思春期の自分が、大きな衝撃を受けたように……。
《響20号》開発の経緯は、次世代クリーンエネルギーであるレーザー核融合の過程で生み出されたものだ。
だが、そもそも大熊がどこまでも伸びるレーザーの可能性に興味を持ったのは、NASAのアポロ計画がキッカケだった。
月面に反射板を置き、三十八万キロ離れた地球からその反射板をめがけてルビーレーザーを照射。
レーザーが反射して地球に戻ってくるまでの時間を計測して、光速×時間×2分の1で地球から月面までの距離を割り出すというものだった。
あのとき感じた宇宙計画の壮大さは、拭い難く胸に焼きついている。
その自分が、いまは宇宙計画に参画している──運命的なものを感じつつ、自分が子供の頃に感じた宇宙開発への夢を、娘にも感じて欲しい。
そんな思いで 大熊は、見学場に彼女を連れてきたのだった。
改めて大人びた娘の横顔を大熊は見やった。
「父さんたちの技術がこれから世界を救うんだ。
寛子にはその瞬間をどうしても見て欲しい」
うん、とこたえた娘は、父と並んで射場の《やたかがみ一号機》を眺めた。
*
(《やたかがみ一号機》は、本日7時30分からターミナルカウントダウン作業を開始し、現在はその最終段階にあります。
打ち上げ8分前より、打ち上げに向けた秒読みが開始されます……)
緊張を帯びてきた職員のアナウンス放送が見学場に流れた。
あと8分──腕時計を確かめてから白河は、大熊が連れてきた従業員たちに顔を上げた。
京都の片隅でひっそりと営業する工場の大熊電機の従業員はわずか30名。
重機部品や潜水艦の下請け部品を製造する会社だ。
従業員のほとんどは職人気質で無口な者が多い。
打ち上げを見守る彼らは黙って思い思いに《やたかがみ一号機》を眺めている。
「センセイ、打ち上げは大丈夫なんですか?
新型ロケットで、しかも試射もできなかったってききましたけど……」
社内では番頭さんと呼ばれている初老の従業員が心配そうにたずねてくる。
大熊に習って従業員たちまで白河のことを「センセイ」と呼ぶ。
「日本のロケット打ち上げ技術は九十八%を越えている。
大丈夫だよ、きっと」
安心させるようにそういうと、白河は白煙をたなびかせはじめた《やたかがみ一号機》のロケットに視線を戻した。
自分たちの生み出したレーザーで世界を救う──そんなことでやっていけるのか。
たくさんの人に心配半分、嘲笑半分で疑念の目を向けられてきた。
大学内でも疑問の声を上げるものがいないのかといえば、嘘になるだろう。
それは大熊の会社も同じだったろう。
大学とちがって大熊電機は営利企業だ。
利益を出さねばならない。
収益の見込みが『D計画』にあるのかといえば、それは疑問だった。
だが、幸運にも大熊電機はなんとか食いつないではいけている。
宇宙開発に参加する意義。
それを従業員全員に確かめてもらいたい。
白河が大熊に、従業員を見学場に連れてきてはどうか、と提案したのはそんな思いからだった。
「社長、娘さんとのデート楽しんでますかね?」
従業員がきいた。
「ああ……今日ぐらいは親子水入らずで過ごさせてやりたいね」
大熊と寛子。
2人の姿を白河は眺めやった。
大熊には苦労をかけた。
父親不在で娘さんも寂しい思いをさせてしまっただろう。
これはささやかな罪滅ぼしだ。
「柄じゃないね、こういうのは」
娘との時間を演出してやる。
そんな気を利かせる自分に苦笑した白河は、
(打ち上げ5分前です。
宇宙機系準備完了、自動カウントダウンシーケンス開始)
という女性職員のアナウンスをきいた。
続いて、人工知能の平坦な機械音声のカウントダウンが秒を刻んでいく。
(285、84、83、82、81、80、279……)
さっと澄み渡った青空を仰ぎ見た白河は、祈る気持ちでぎゅっと拳を握り合わせていた。
*
(液体燃料系準備完了)
(フレームインジェクター、冷却開始)
(モーターカーテン運転開始)
(打ち上げ一分前です……)
官制室内に慌ただしく技術者の報告の声が重なる。
あと数十秒後には《やたかがみ一号機》は打ち上げられる――居ても立ってもいられないとはまさにこのことだ。
この焦燥感を、國場はロケット発射後のオペレーションを頭に思い起こすことで紛らわそうとした。
打ち上げ計画は秒刻みで進行する。
リフトから一時間47分15秒後、計画通りであれば12時17分15秒に《やたかがみ》はロケットから分離され、地球近傍小惑星《セクメト》の軌道変更の大航海に乗り出す。
残り30秒を切った。
カウントダウンを読み上げる人工知能の声と、女性オペレーターによる報告の声。
それと世界配信向けの翻訳者の放送以外、全員が息を詰めて射点のロケットを凝視している。
(16、15、14、13……)
(フライトモードオン、起動用電池起動、アクティベーション)
ロケットの最底辺部のロケットエンジンからは細かな火花が確認できた。
エンジンが起動したのだ。
同時に冷却するための白煙が立ち上り、いよいよ発射に向けての最後のカウントダウンに突入していく。
いよいよ十秒前のカウントダウンが開始される。
「9! 8! 7! 6! 5!」
(全システム準備完了、オールシステム・レディ)
中央の巨大なエンジンバーニアからドッと深紅の火炎が噴き出す。
急速に温度を上昇させる炎は深紅から青紫に変色し始めた。
「4! 3! 2! ――1!」
「メインエンジン起動」
それを合図に四基の補助エンジンからオレンジ色の閃光が起こった。
ふわっと持ち上がったロケットが、同時にもくもくと発生した白煙を背に空に伸び上がっていく。
「固体燃料点火、リフトオフ!」
ゴゴゴゴゴッとすさまじい轟音を空に響かせ、閃光の糸を弾いて《やたかがみ一号機》が発射された。
まるで巨大な煙の柱に押し上げられるように、やや傾き加減で天空へと飛んでいく。
(《やたかがみ一号機》は、2031年10月27日、午前7時に内之浦観測所より打ち上げられました――)
全世界へ向け女性オペレーターのアナウンスが流される。
「7、8、9……」
その間も、1秒ごとに定められたスケジュールをこなすため、人工知能による カウントダウンは発射後も続いている。
斜めに飛んでいった《やたかがみ一号機》のロケットは、もはや澄んだ青空に溶け込んで、視界から姿を消した。
ここからの誘導はは望遠カメラの映像と現在位置を示すデータが頼りだ。
「順調だな……」
喜ぶのはまだ早い。
思わず声を出した國場が自らを戒める。
(89、90、91……)
(固体燃料燃焼終了)
(固体燃料分離――ジェットソン)
望遠カメラの映像では、空に瞬く光が三つに分かれた。
補助エンジンを切り離し、身軽になった《やたかがみ一号機》はさらなる高みを目指していく。
(制御系正常)
(推進系正常)
(現在、高度一10キロメートル)
大気圏外まであと10キロ地点。
あと100秒もすれば第二段ロケットに引き継ぐことになる。
そのときだった。
「燃焼停止!
燃焼停止です!」
上ずった技術者の声と共にエラー音が管制室に響き渡った。
モニターに駆け寄った御坂が、第一エンジンが自動的に燃焼停止したことを伝える通信MECOを確認する。
國場の血の気が引いた。
第一段ロケットはまだ動いてもらわなければ予定の軌道に乗らない。
打ち上げ計画に狂いが生じ始めた。
燃焼停止に続いて高度が下がり始め、ロケットが安定を失いはじめていることを知らせる異常メッセージが管内に響き渡る。
「システムブラックアウト……復旧しません」
(こちら筑波宇宙センター!
國場、確認しているな?)
差し迫った加瀬の声が決断を急いでいた。
(|破壊指令《デストラクト》だ)
破壊指令とは、打ち上げに失敗し、制御不能になったロケットが地上に落下するのを防ぐため、あらかじめ搭載してある爆薬で、ロケット本体を粉々に破壊することであった。
現在、《やたかがみ一号機》のロケットは太平洋上にあった。
ここで爆破すれば被害は出ない。
しかし――
(國場、きいているのか!)
時間にすれば数秒の沈黙だった。
断腸の思いで國場は、
「御坂さん、破壊指令です」
と震える拳に力を入れていった。
「……っ!!」
御坂が人工知能に命じる。
慌ててコマンドを入力すると、人工知能は(Good by……)と短い返答を返した。
2031年10月27日午前7時32分。
《やたかがみ一号機》ロケットは空中で破壊され、太平洋の海の底へと沈んだのであった。