【第2章 リフトオフ】
第8話
2029年12月。
地球近傍小惑星《セクメト》が再発見された。
世界各所の観測所によって得られたデータによれば、地球への衝突確率は9.1%となり、いよいよ《トリノスケール・オレンジ7》に突入した。
『D計画』第一弾の打ち上げは2031年4月に決定した。
國場はあと1年余りで3つの開発要素――高出力レーザー、光学フェーズドアレイ装置の宇宙機、そして打ち上げロケットの問題を解決しなければならなかった。
最初に難所を切り抜けたのは宇宙機の開発だった。
人工知能制御による三機のドッキング機構を開発し、ピーク出力2000兆ワットの耐久性能もクリアした《LPHA》は年の瀬も迫ったこの時期に完成をみた。
「投票を締め切ります」
なめらかな機械音声が告げる。宇宙機に搭載される人工知能の声だった。
衛星や探査機の名前は、打ち上げた後、宇宙空間で軌道に乗ってから事前に考えていた「愛称」として発表することが通例となっている。
『D計画』の当初から、光学フェーズドアレイ装置は《LPHA》と呼ばれてきたが、そろそろそれに代わる愛称を必要としていた。
この4年間、開発に携わってきた研究者たちの労をねぎらうレクレーションとして、國場は《LPHA》の愛称を投票で決めることにした。
「なら、投票結果は人工知能に選別してもらいましょう」
提案したのは柊だ。
こうして宇宙機に搭載する人工知能に投票の集計を担当することになったのだった。
柊の研究室スタッフたちがあわててスマートフォンでアクセスしている投票画面にそれぞれのアイディアを投稿する。
國場も考え抜いた愛称を急いで投稿した。
「それでは、開票作業を開始します」
ロード中と表示されるモニターを眺めながら、「いよいよですね」と柊が声をかけてきた。
プロジェクト開始したばかりのころは、エキセントリックでとっつきにくい印象があったが、開発の壁と苦難を共にしてくればもはや戦友とも呼べる仲だった。
「國場さんはどんなアイディアを?」
「僕は『ヤタガラス』にしましたよ」
國場がこたえた。
國場が考えたのは、三本足を持つ神鳥を、三機でひとつの光学フェーズドアレイ装置を構成する《LPHA》になぞらえたものだった。
「柊先生は?」
國場がきき返すと「『トリニティ』」というこたえがかえってきた。
「三位一体を示す言葉ですね?」
「それもありますが、元ネタは僕が好きなSF小説のタイトルからです
「投票結果を発表します」
ふたたび《LPHA》の人工知能が平坦な機械音声で呼びかけた。
みなが雑談をやめて、機械音声に耳を傾けた。
「厳正なる選考の結果――」
各アイディアの投稿の際、名前の由来なども投稿者は記すことになっている。
きちんと名称の由来まで人工知能が判別して、〝本人〟が納得のいく愛称を決定するのだ。
「――《やたかがみ》に決定しました」
研究室内のモニターに名称が表示され、拍手が起こった。
「日本神話における三種の神器のひとつであり、天照大神が岩戸隠れで世界崩壊の危機に瀕した際にはこの鏡の光の力によって世界を救いました」
「ぴったりの愛称だ」
國場に同意するように大きく頷いた柊は、
「《LPHA》改め《やたかがみ一号機》に搭載する測定器などの精査もまだ残っているし、ギリギリまで重量は切り詰めてみます。
だから――」
と真剣な声でいった。
「こいつを宇宙に連れてってやってください」
「ええ……御坂さんのエンジンチームとも最終調整に入ります」
國場はしっかりと柊の目を見据えてこたえた。