【第3章 日米共同】
第13話
フロリダ州東海岸。
ケネディ宇宙センターは、滞在先のホテルがあるオーランドからだと車で約1時間。
南国を思わせるパームツリーが植樹される幹線道路を走り、インターナショナルドライブを走ること80キロの場所にある。
宇宙開発の歴史を切り開いてきた米国航空宇宙局。
ここから人類初の月面着陸ミッション『アポロ計画』や『スペースシャトル計画』が生まれた。
博物館や有人宇宙船の発射場、打ち上げ管制施設やペイロード整備系から構成される中核研究拠点だ。
敷地面積は五七〇平方キロメートル、東京ドーム一万二千個分という日本とは比べ物にならない規模だ。
「ミスター・クニバ!」
陽気に出迎えてくれたのはエドワード・グリーン博士だ。
「君たちと一緒に仕事ができることを幸運に思うよ」
エドワード博士の案内で最初に訪れたのはロケット開発施設だった。
電気コードと機械油の加熱した臭いが交じる独特の空気を感じながら、國場たちは巨大な設備群に呆然とした視線を注いだ。
「ロケット打ち上げは残念だったね?」
配慮しながらグリーン博士がきいた。
「早期評価の結果は出たのかい?」
「それが、海に沈んだロケットの回収が難航していまして……」
予算の関係で回収はできない、とはいえず、國場は言葉を濁した。
「そうか……早く原因究明ができるといいが」
「NASAの打ち上げ計画も、三段階で実施する方向で調整されているのですか?」
そう尋ねたのは加瀬だった。
「そうだね、重量の分散化はいいアイディアだと思う」
いったん言葉を切ったグリーン博士は、
「けど、すべての打ち上げをアメリカが負担することは現実的ではないと思うんだ」
と國場たちを見返した。
「それはどういう意味でしょう?」
問うた國場自身、エドワード博士の意図は察してはいる。
しかし、英語のニュアンスを確認するように慎重に言葉を選んできいた。
「どうだろう? 例えば第三弾ロケットの打ち上げは日本側が担当するというのは?」
意外な提案に國場たち日本側の科学者たちは驚きを隠せなかった。
「日本が?」
「一弾目ロケットは重量が最も大きくなるが、それ以降のロケットは段階的に軽量化していく。だったら、日本でも打ち上げられるだろう? アメリカは君たちのロケット技術を信頼しているんだよ」
打ち上げの負担を米国頼みにするのはやはり都合が良すぎるとは思っていた。
だが、数千億円を溝に捨てたと批判される『D計画』。
リスクが低いとはいえ日本で第三弾ロケットを打ち上げることが果たして可能かどうか。
「やります」と即答したい気持ちはありつつも、国内の調整に時間がかかれば、日米共同すら危うくなってくる。
あらたな懸念を抱えながら、一同は防塵服に着替え、研究棟の一角に案内された。
「ここに《LPHA》の実験棟を用意する予定だ」
「こ、ここで!?」
エドワード博士の言葉に柊が目を輝かせた。
JAXAの研究室とは予算も設備も規模の異なるこの場所で研究ができる。
柊は新しいおもちゃを与えられた子供のように観察の目を注ぐ。
「変形機構をもった宇宙機の開発なんて、日本人はすごいことを考える」
感心したようにグリーン博士がいった。
「《LPHA》には日本の神話由来の愛称がつけられる予定だったときいたが?」
「ええ、《やたかがみ》ですね?」國場がこたえた。
「その名称はアメリカ人には馴染みが薄い。どうだろう?《LPHA》のままで進めたいと思うが」
一瞬、柊の顔に陰りが走った。
投票で愛称を決めた日のことが頭をよぎる。
日本の工学技術の実証機としての想いを託したその愛称を捨てていいのか。
國場は柊の反応を窺った。
しかし、「ま、そうでしょうな」とすぐに納得した声を出した柊は意外なほどあっけらかんとしていた。
「問題ありませんよ。自分はここでもう一度、《LPHA》を完成させるだけです」
今回、日本は第三弾ロケットの打ち上げを担当するとはいえ、NASAのロケットに〝無賃乗車〟する形になる。
贅沢はいっていられない。
「ありがとう。思う存分に力を奮ってもらいたい」
そうして一通り実験棟を見学した一行がNASAの管制施設にたどり着いたときには午後を回っていた。
*
「《セクメト》の再発見……!?」
國場の声が会議室に放たれると、室内は一瞬、静寂に包まれた。
午後から合流したエフゲニア・リプニツカ博士が共有した観測データに、一同は驚かされた。
地球近傍小惑星《セクメト》が再発見され、しかもその軌道が前回よりも衝突確率が高まっているというのである。
「悪いニュースと良いニュースがあります」
事実だから動転しても始まらない。
そんな感じでエフゲニア博士は報告をはじめた。
「悪いニュースは、地球衝突確率が高まったことで、トリノスケールも引き上げられるでしょう。報道が加熱し、不社会不安を醸成する可能性もあるので公表は控えていますが……」
トリノスケールは十段階に分かれるリスク警告だ。
《トリノスケール・レッド8》。
衝突確率15%。
ついに最後の三段階――レッドゾーンに突入することになる。
「地球衝突コースの算出精度が上がったということはもしかして……」
加瀬が疑問の声を挟んだ。
「《セクメト》のスペクトル分析の結果が出たんじゃありませんか?」
エフゲニア博士がうなずいた。
「良いニュースは、《セクメト》のスペックが判明しつつあるということです」
パソコンを操作して、彼女は会議室の大型スライドに《セクメト》の観測合成写真と、近赤外線分光器、蛍光X線スペクトロメーターなどの光学観測装置によって判明したスペックを表示させた。
「今までの観測データより大きい……」
いつもは冷静な加瀬がめずらしく動揺した声を洩らした。
「500メートルと推定していたのに……観測よりも50メートル大きな天体だったのか」
天体の大きさが変われば、それだけ軌道変更に必要なエネルギーは変わる。
これまでの前提が覆りかねないデータだった。
これまで通りのレーザーの仕様で果たして軌道変更できるのか?
誰もが頭にもたげた疑問を口に出来ず、ただただスライドに目を注いでいる。
「本来でしたら、探査機を送り込んで詳細な分析をした上で、『D計画』の各開発ファクタの仕様を決定したいところですが、現状、見切り発車で動くしかありません」
「《LPHA》の打ち上げ時期はNASAではどのようにお考えですか?」
加瀬がきいた。
「2年以内に、と考えています」
エフゲニア博士の発言に日本側科学者はふたたび閉口する。
國場と加瀬は思わず顔を見合わせた。
「人類に残された時間は、決して多くはありません」
追い打ちをかけるようにエフゲニア博士はいった。
「2年以内に三機の《LPHA》を打ち上げなければ、軌道変更に必要なエネルギー量がさらに増大し、開発も困難となるでしょう」
7年前――室戸議員に説明していた加瀬の言葉が脳裏によみがえる。数ミリでも10年、20年と積み重ねれば軌道は大きくそれていく。
しかし、地球に接近しすぎた場合には――。
「どうやら《響20号》のスペック改善は必須のようだねえ……」
老眼鏡越しに鋭い目を上げて、白河が問うた。
「《セクメト》は地球に接近しています。この距離で軌道を変えるためには、ピーク出力2000兆ワットのレーザーを15分、照射する必要があります」
1秒間に1000発の高出力レーザーを照射する《響20号》。
現状、冷却の必要性から稼働時間は5分間に限定されている。
あと10分の延長──。
しかも開発期間はわずか2年弱。
また苦しい開発の壁が白河と大熊に突きつけられた形となった。
「利得媒質の研究はNASAのチームも協力させてもらいます」
いいですね、とエフゲニア博士が確認する眼差しを向ける。
「ええ、知恵は多いほうがありがたい」
悲観してもしかたないというように白河がこたえた。
「でも、センセイ……」
小声の日本語で制したのは大熊だった。
「それじゃ《響20号》の技術が、米国に……」
「いいんだよ」
ため息混じりに白河が遮った。
「日本だけじゃ、10年かかっても開発できないことを、アメリカさんとたった2年でやろうっていうんだ。わたしたちだけじゃ限界があるよ」
腕組みしながら話を聞いた大熊は、唇をかんで表情を硬くした。
「《響20号》の稼働時間を伸ばすということは、それを受け止める《LPHA》のほうも改良が必要になりますよね?」
柊が確認する。
「しかも、これ以上の大型化は避けたほうがいい──」
エフゲニア博士がうなずいた。
モジャモジャ頭をかきむしり、柊は仕様変更に早くも頭を巡らせていた。
日本側のロケット打ち上げ負担、《響20号》と《LPHA》の再開発……ふたたび目の前に大きな壁がいくつも、しかも同時に立ちふさがったようで、國場は暗い気持ちになった。
まずは目先の課題をひとつひとつ解決していくしかない。
切り替えるように内心にひとりごちた國場は、
「みなさん、よろしくお願いします!」
と頭を下げた。