【第3章 日米共同】
第20話
太平洋を南に下ること300キロメートル──。
30余りの島々からなる小笠原諸島の海域に《やたかがみ一号機》は墜落したのだ。
落下予測地点の算出は『D計画』のプロジェクトサイエンティストの加瀬が担当した。
《やたかがみ一号機》打ち上げの際、軌道計算を行ったのもまた彼だからだ。
「反応、出ませんか……」
海底探査プロジェクトを担当する御坂は、調査船《サルタヒコ》の船長、大河内民生に問うた。
大河内は海底をさらう海洋調査用ドローンから送られてくるソナーの反応をモニター越しに見つめている。
「出ませんね」
大河内はぽつりとこたえた。
口数の少ない男である。
小笠原海域の海底1000メートルは火山地帯で凸凹している。
ソナーの反応も乱れがちで、そこから海の遺物を探すのは困難を極めていた。
海洋科学技術センターの海洋技術部に所属する大河内は、この道30年の海底探査のプロフェッショナルだ。
歳は55歳。
薄くなった頭に赤黒く陽に焼けた肌、筋肉質のいかつい風体。
研究室にこもっている御坂の青白く細身の姿とは正反対の、海の男というより鬼軍曹いった風貌である。
御坂は腕時計に目を落とした。
午後4時過ぎ。
間もなく日が沈む。
今日の探査も終了だ。
御坂は「引き続きよろしくお願いします」と大河内に声をかけ、その場を離れた。
海底探査が開始され、すでに1週間が経過しようとしていた。
落下予測地点を中心に優先探索域を洗っているが、いまだ反応は見当たらない。
できれば海底にカメラを入れてすべての海底をくまなく調べたいところだが、荒天などの悪条件も勘案し、効率的に調べるためにはドローンによるソナーによる探査ののち、見込みのありそうなところでカメラを入れる、という方式だ。
しかし、この一週間、なんらソナーは反応を示していないのだ。
まさに途方もない大海原の前に御坂は圧倒されていた。
今回の海底探査プロジェクトは10日間の日程で行われる。
米国から打ち上げ分担の決定の期限設定もあり、宇宙開発戦略本部の臨時会までに、日本のロケットエンジン信頼回復のためのロードマップを示すためには、この10日間で見つけ、事故原因を究明せなばならなかった。
時間との戦い。
しかし、調査船が1日に探査できる範囲は最大でも10キロ。
天候次第ではそれができなくなる場合すらあった。
あと3日──せっかくつかんだチャンスを活かしきれないのかと、胸が焦げるような思いだった。
このままでは発見は難しい。船員の誰もがそう諦めていた。
そんな御坂のもとに、米国にいる國場から連絡があったのは7日目の探索も手がかりなしのまま終了した夜のことだった。
「米国からの情報供与?」
御坂は思わず聞き返した。
「ああ、いまそっちにデータを送った。米国海洋大気庁による太平洋の波のデータと、米国天文機関による落下予測地点を算出したスーパーコンピューターの演算結果だ」
「それって……」
「利用できるものは利用しようじゃないか」
慌ててノートパソコンを引き寄せる。
スマホを頬と肩で抑えながら、傾いだ体でパスワードを打ち込んで起動させると、國場から送られてきたデータを確認した。
すぐに海図と照らし合わせ、その予測海域を確認する。たちまち御坂の表情は暗くなった。
「どうした?」
と問う國場の声が電話の向こうから起こる。
「ええ……ちょっと問題がありまして……」
「問題?」
改めて御坂は、海図に人差し指を当てた。
その地点は数日前、大河内船長が探査を終えた海域だった。
そのことを國場に説明すると、
「なるほど……船長としては、おもしろくないな?」
沈んだ國場の声が返ってきた。
まずは一度予測海域全体をまわり、その後目ぼしい場所へ絞っていくのが海底探査の定石だ。
にもかかわらず、この一週間、探査結果を元に加瀬も再計算を繰り返し、落下予測地点は何度も変更されている。加えて限られた探査日程で船長や船員も急かされていた。
なのに、計算結果は前後し、何度も同じ場所を行ったり来たりして、非効率な探査が続いていた。
調査船が一日に探査できる範囲は限られているのにもかかわらず、だ。
そこへまた米国からの情報供与があったと、すでに調査を終えた海域に引き返すようなことになれば……。
しかし、確度の高い情報があるのに、それを使わない手はない。
残された時間はわずかだ。
選択肢はひとつしかない。次々に浮かぶ懸念を振り払うように御坂は、
「今日、会議を開いて説得してみます」といった。
「そうか……加瀬にも米国の情報を確認してもらったが、確度は上がっているとのことだ」
海図を見ながら御坂は、確かこの海域は水深が深いことに加え、火山地帯で起伏が激しく、探索が困難なだった場所だったことを思い起こす。
見逃している可能性はきわめて高い。
「わかりました。とにかく、こちらの日程も3日しかありません。船長と話してみます」
「ああ、ちょっと待てくれ」
電話を切ろうとした御坂を制した國場は、電話の向こうで誰かと話している様子だった。
くぐもった会話が遠くに聞こえるのに耳を澄ましていた御坂は、
「いま、柊さんに代わるよ」
と意外な國場の声をきいた。
「お久しぶりです、御坂さん」
「柊さん……」
「海底探査の話をきいて、いてもたってもいられなくなってしまって……」
柊がいった。
「もしかしたらお役に立てるかもしれないと思いまして」
「というと?」
「破壊司令でダメになっている可能性はありますが……《やたかがみ一号機》に搭載していた人工知能がもしかしたら使えるのではないかと……」
「《やたかがみ一号機》の人工知能……」
「水深1000メートルを超える海底で可能かどうかはわかりませんが、1億キロ離れた宇宙空間で通信するように組んだ機体です。いけるんじゃないかと思いましてね」
「海底で変形させれば、少しは探査がしやすくなるんじゃないかと。まあ、もし作動すればの話ですが……人工知能の呼びかけに必要なコマンドはこっちで組み上げました」
米国からの情報を手配してくれた國場と柊に礼をいって通話を打ち切ると、御坂はさっそく指揮調査室に詰めている大河原の元へいって、残り3日間の探査日程について話し合った。
当然、揉めた。
「反対です」
ひとしきり話を聞いた大河内は、筋肉質の腕を胸の前で組み上げ、
「米国からの情報供与が正しいといえる根拠は?」
と厳しい眼差しを御坂に投げかける。
顔に御坂への不信が滲み出ている。
大河内からすれば、探査を見逃したと言われているのに等しい。
この1週間、共に調査をしてきた大河内よりも、御坂は米国からの情報を信じるのか、という理不尽な思いだったに違いない。
「JAXAの計算でも、この地点の可能性がきわめて高いと考えています」
「ええ、知ってますよ」
わからない人だな、という苛立ちがこもった声で大河原はいった。
「だから先日も重点的に調べたじゃありませんか」
実はその海域はもっとも可能性の高い落下地点として、海洋調査ドローンのソナー探査のみならず、カメラを使った探索も行われた場所だった。
「ですが……見逃している可能性もある」
御坂は覚悟して口にした。
「もう一度、お願いできませんか?」
大河原が目を細める。
「俺を信用していない、ということですか?」
「そういう話をしているんじゃありません」
「それに、もしかしたら」
人工知能に呼びかけ、海底で変形させることができるかもしれないことを伝えた。
「だから、どうしてそういう情報があとからあとから出てくるんですか」
「申し訳ありません……でも、前回よりはずっと見つかる可能性が高くなる。お願いします。試させてもらえませんか?」
きっと口を結んだ大河内はしばらくこたえなかった。
「この海底探査に、JAXAは日本のロケット技術の興廃を賭しているといっても過言ではない。国産ロケットの信頼回復のためにも……お願いします。見つけたいんです……!」
「……別に俺だって邪魔をしたいわけじゃないんだ」
不承不承、大河内はこたえた。
「やらせてもらいます」
「ありがとうございます!」
御坂は大河原に深々と頭を下げた。
*
翌日。
空が明るみ始めた午前四時から調査船を引き換えさせ、米国からの情報を元にした新たな探査海域に到着すると、水深1000メートル先の海底をさらうべく、海洋調査ドローンを送り込んだ。
柊から送られてきた《やたかがみ》の変形コマンドも送信しているが、受信の反応はいっこうに見られなかった。
「やっぱだめですね」
大河内が指揮調査室のソナー画面を見ながら首を振った。
「そうですか……」
御坂は時計を見た。
午前11時。
すでに半日が経過している。
もはや探査日程は残り2日しか残されていない。
今日こそは、と奮い立って挑んだ探査だった。
空振りだった。
内心の失望は大きく、米国の情報供与と柊のコマンドにすがるような思いで臨んだ作戦も失敗の見込みが濃厚だった。
「どうします?」
このままつづけるか、と問う目を大河内が寄越す。
ソナーによる探査は非常に単調な作業が続く。
注意力が常に求められる。
見つかるかもしれない、という意欲が「どうせ見つからない」という士気が下がった状態では見つかるものも見つからない。
何か奮い立つような言葉をいわないと、心が離れていく──
焦れば焦るほど、頭の中は真っ白になる。
「門外漢が失礼を承知で申し上げるんですが……5日前、同じ区域の探査データと見比べてもらってもいいでしょうか?」
「ああ、いいですよ」
すぐに大河内が5日前に行った探査データを持ってきた。
両者を比較する。
「やっぱり、同じですね」
御坂がいった。
波形は5日前のデータと一致する。
つまり遺物はないということになる。
昨夜、あれほど強気に頼み込んでおいて、申し訳ないという思いで御坂が大河内に詫びようとして彼の表情を窺った。
大河内はデータに釘付けになっている。
「……どうかされましたか?」
「御坂さん、すみませんでした」
突然、大河内がごつごつした指先を波形データの1点に当てた。
「もしかしたら、見込みがあるかもしれない」
「船長!」
駆け込んできた船員が、
「《やたかがみ一号機》が変形コマンドを受信しました!」
御坂が駆け込んだ。
「受信したってことは……」
「《かいこう》を出すぞ」
電撃的に大河内が飛び出していった。
《かいこう》は《さるたひこ》が搭載する無人探査機だ。
最大水深7000メートルまで潜航、調査が可能になる。
家庭用発電機を2つ組み合わせたような形状の《かいこう》は、上部のランチャーと下部のビークルから構成される。
大河内の指揮で着水した《かいこう》は、深度2000メートル付近に達し、ランチャーから切り離されたビークルが着底したのは午後2時を回っていた。
日の入りまでわずかしかない。
時間との戦いだった。
変形コードを受信した《やたかがみ》は、本来であれば羽を広げるようにしてその平面的な構造を展開させるはずだが、破壊司令を受け、中枢部を残すのみとなった宇宙機は
「反応、出てます」
どうやら変形しようとしてできず、何度も動いているようだった。
行ける──油断すれば舞い上がってしまいそうな頭に、「冷静になれ」とひたすら言い聞かせつつ、御坂は固唾を呑んで見守った。
「まだわかりませんよ、御坂さん」
そういって大河内は肩をこわばらせる御坂の肩を叩いた。
「ゴミかもしれない」
海底の暗闇を切り裂くライトの明かりが、水深3000メートルを切り裂く。
ビデオカメラのモニタを見つめる御坂が「あっ」と声を上げたのは10分後のことだった。
「いま、明滅した明かりが見えました」
モニタを指差す。
大河内が指示を出して、接近する。
今過ぎた場所を数センチもどれ、と簡単に行っても、それが洋上のこととなれば別だ。
海は常に動いている。
どんどん流されて、10メートルぐらいはどうしてもずれてしまう。
操船技術が必要になるのだ。
そこを大河内は同じポイントに戻るよう手慣れた操船で《かいこう》を戻していく。
黒々とした岩礁に《やたかがみ》の一部、人工知能の部品が受信信号を発してLEDの光を明滅させている。
「あった!」
「そのまま進める。いけるな!」
時計に目を遣る。
午後3時を過ぎようとしていた。
日の入りまで時間がない。
ビークルが海底を探査してさらに30分が経過した頃、さらにソナーに大きな反応があった。
なにか大きな物体が存在する。
言葉少ない大河内がその反応の意味を御坂に語ることはない。
御坂は大河内の表情と、彼が船員たちに与える指示内容から判断するしかない。
頼む──今度こそは、と指揮調査室に詰めかける人員たちの意気込みが最高潮に達する。
「御坂さん」
大河内から声をかけられ、御坂ははっとした。
「見てください」
モニタに映り込んだ物体を指差す大河内は、
「これは……岩ではない、人工物だと思うんですが……」
エンジンの本体だった。
「間違いありません──《HⅢ-Bロケット》です」
まるで現実感の伴わないままにこたえると、指揮調査室がどっと沸いた。