【第4章 連結体】
第22話
調査の末、《HⅢ-Bロケット》エンジン不具合の原因が判明した。
推進剤の調整を行うバルブで不具合が発生していたのだ。
液体燃料と固体燃料を組み合わせた新技術での不具合だった。
これはシミュレーションでは決してわからないことだ。
ただちにエンジンの信頼性の向上を目指して改良計画が策定され、その結果は宇宙開発戦略本部の臨時会で報告された。
難色を示す意見も多々あった。
国の予算がつかない場合は、海底探査にも携わった民間企業が分担する案も出された。
結局、日本側のロケット分担については、日本が責任を全うするということで決定した。
原因究明によって得られたデータを元にロケットの開発を急ぎ、第三弾の日本担当ロケットの打ち上げは2035年12月に決定した。
NASAが進めていた『プランB』は一時凍結となった。
エドワード博士はこれで計画が継続できると國場に握手を求めてきたが、その本心は知れたものではなかった。
プロジェクト全体をAからFの6段階に区分けすると、『D計画』はいよいよ五番目の段階に突入した。
フェーズEの打ち上げ段階・射場整備──すなわちロケットの打ち上げ準備である。
2035年、8月。
《LPHA1》がケネディ宇宙センターから打ち上げられた。
地球を一周したのち、予定通りの飛行経路できっかり4分32秒後、ロケットの先端部分──貝合せのような構造のフェアリングに格納された宇宙機を分離すべく、つなぎ目を固定したボルトが火工品によって一気に吹き飛ばされた。
フェアリングがパカっと割れ、なかから《LPHA1》が分離。
そのまま宇宙空間を航行し、高度を上げながら1時間55分28秒後。
人工知能からの受信状態から正常に動作していることを確認されると、貝柱に似たその形状の内部から、十字方向に折りたたまれた骨組みを伸ばした。
こうして一次展開を終えた宇宙機は、ミウラ折りされた平面構造体を広げ、十字から田の形に展開した。
この大きな平面構造体はレーザーを受け止める鏡であるのと同時に、太陽電池パドルとしても機能する。
この後、異常が起きないか監視しつつ、静かな巡航が続き、打上から3週間後、イオンエンジンを起動、姿勢制御を行った。
これをもって、第一弾の打ち上げは計画通りに推移した。
日本側チームは一時帰国し、翌年に迫った打ち上げ計画を練り上げ、さらに米国と共同で初期運用及び定常運用に入る《LPHA1》の準備も進めなければならなかった。
そんな中、2035年12月。
《LPHA2》が打ち上げられた。
三機の宇宙機を宇宙空間で連結させるためには、高精度で狙った通りの軌道に乗せ、地球の横を通過させる必要がある。
そのため、プロジェクトサイエンティストで軌道決定を担当する加瀬とNASAのエフゲニア博士は連日、日本と米国感で連絡を取り合い、軌道計画を緻密に練り上げるのと同時に、一号機の微妙な軌道調整を行った。
『D計画』発動以来の、連日、管制室の慌ただしさだった。
先行する《LPHA1》の微細な調整が行われた後に打ち上げられた《LPHA2》は、地球への最接近点の高度誤差1キロという申し分のない精度で運用された。
あとは日本担当の《LPHA3》の打ち上げを待つのみとなった。
こうして2035年、12月──運命の日を迎えることになった。
*
「宇宙天気情報センターから警報が出ている……?」
吉信発射管制塔に詰めていた國場は、目を細めて聞き返した。
「太陽活動の活発化に伴う大量の荷電粒子の放出って……」
「観測史上最大クラス、との予報も出ている。打ち上げを延期するべきだ」
通話の向こう──打ち上げ後の《LPHA3》運用管制を行う筑波宇宙センターから電話を寄越した加瀬の事実をそのまま告げる声に、國場はしばらく言葉が出なかった。
日本時間19時30分。
打ち上げの最終決定を行う検討会でのことだった。
風、降水量、雲、雷、いずれの気象条件も良好。
ロケットエンジンの準備にも遅延はなかった。
しかし、いまになって太陽活動の活発化が問題になったのだ。
宇宙空間は、空気のない穏やかな無重力空間だと思ったら大間違いだ。
太陽をはじめとした恒星は天然の核融合炉だ。
荷電粒子が吹き荒れている。
太陽系外からはもっとエネルギーの大きい重粒子線が飛来してくる。
太陽は時々、フレアと呼ばれる表面爆発を起こす。
このフレアが地球に到達すると、地磁気は撹乱され、電離層が遠距離の無線通信などにも影響をあたえる場合がある。
宇宙空間でこのフレアを浴びれば、《LPHA》の人工知能にも影響を及ぼす。
電池の劣化も予想される。もし三号機を打ち上げた直後にフレアの影響で不具合が起これば、《LPHA1》と《LPHA2》はドッキングできぬままになってしまう。
「失敗すれば、すべてが水の泡だ。打ち上げを見送ろう」
加瀬が説得する。
「特に《LPHA》は巨大な平面構造体の宇宙機で、影響を受けやすい」
平面的な構造をくの字に組み合わせた《LPHA》は地球から照射されるレーザーを受け止めるべく、広い面で構成されている。
ということはその分、荷電粒子の放出に晒されやすいということになる。
「しかし──」
途中までいい差して、國場は拳に力を込めた。
打ち上げの延期はすなわち、今回の打ち上げ準備が無駄になることを意味する。
何千、いや何億の損失になるかわからない。また突き上げを食らう。
JAXAとしてもあとがないという状況で延期となれば、次にいつ打ち上げができるかわからない。
そうなれば、米国との約束を違えることになり──
「いえ、継続します」
國場が加瀬に反対する決断を下す。
しばらく返答のなかった電話口から、
「冷静になれ」
と加瀬が声を落とした。
「気持ちはわかるが、いまは確実性をとるべきだ。我々の目的はなんでもいいから打ち上げを成功させればいいわけじゃない。最終目的は《セクメト》の軌道変更だ。電子機器の不具合が予想されながら、打ち上げを強行するというのか」
「この機は逃せません」
國場はこたえる。「気象条件その他、打ち上げ条件には問題ありませんし、影響は軽微と考えます」
「《LPHA》は三機の宇宙機をドッキングさせるんだぞ?」
なおも加瀬は食い下がる。
「しかもその制御は人工知能が行う。太陽フレアの爆風で損傷を受けたらどうする?」
「判断はこちらに任せてもらえませんか?」
「4年前の失敗を繰り返す気か!」
遠慮なく加瀬が放った一言で、沈黙が訪れる。
「──悪い」
詫た加瀬は、
「だが、ここは慎重に判断するべきだ」
とさらに警告した。
國場も太陽フレアの影響の心配がないといっているわけではない。
多少の影響を受けようが、この機を逃せば打ち上げ自体が見送られる可能性もある。
どうしてそれがわからないのか。
國場は天を仰ぐ思いだった。
このまま言い合っていては埒があかない。
國場は自らに言い聞かせると、
「わかりました、柊さんにも意見をもらいます。少々お待ちください」
といって加瀬との通信を切った。
テキサス州ヒューストンにあるジョンソン宇宙センターの管制センターが《LPHA1》《2》の運用を担当している。
NASAに在中し、日本との共同運用の通信士として管制室に詰めている柊に國場は連絡をとた。
そこにはエフゲニア女史や米国側のフライトディレクタも待機しているはずだ。
「加瀬さんが太陽フレアの影響に懸念を示していまして……」
「こちらでも観測しています」
エフゲニア女史がこたえる。
「NASAの太陽調査衛星のデータによれば、確かに多少の影響は懸念されますが、《LPHA3》の軌道計画に影響がないのであれば、打ち上げ計画の続行をお願いしたい」
「荷電粒子の嵐の影響が考えられるのは……」
柊が考えられる事象を挙げるていく。
「人工知能の搭載メモリと、太陽電池の劣化、それに観測機器等への影響ですか……」
「人工知能が損傷を受ける、という事態は想定されますか?」
うーんと唸ってから、
「自己点検プログラムがありますからねえ」
と柊がこたえた。
「システム異常を感知した場合には《LPHA》はセーフモード(休眠状態)に入ってダメージを防ぎます。最悪、人工知能に損傷があっても、地球から書き換えは可能です」
「問題は替えの利かない電池の劣化だな?」
飛行主任が言い足す。
「その場合、イオンエンジンで航行する《LPHA》は電力不足でセクメトに到達できなくなるんじゃないのか?」
「そうならないための、三機分割じゃないんですか」
自信をもって柊が応じた。
「三機それぞれに電池がある。もし一部の電池がだめになっても、他の機の電力を流用すればいいんです」
「冗長性は完璧ということですね?」
エフゲニア女史も確認する。
「もちろん」
柊の答えに、國場はそっと安心材料を得た心持ちになった。
「いずれにせよ、太陽フレア発生の場合の各ケース別対処シュミレーションは進めておく」
飛行主任がいった。
「《LPHA1》と《LPHA2》は宇宙で待ってるぞ、ドクター・クニバ」
「私としても打ち上げは継続していただきたい」
結論付けるエフゲニア博士。
「……わかりました。ありがとうございます。では」
通信を切って時計を見やる。
深夜二時──そろそろ打ち上げの最終判断をくださねばならない時間だ。
國場はもう一度筑波宇宙センターの加瀬を呼び出して、NASAの考えをそのまま伝える。
それでも、加瀬は難色を示した。
「加瀬さん、NASAの太陽調査衛星のデータもあります。米国を信じましょう。一〇〇%の打ち上げ条件が揃うのを待っていられるほど、我々に時間的猶予がないことは、加瀬さんが一番よくおわかりでしょう」
すっと息を吸う加瀬の気配が電話越しに伝わってくる。
「《セクメト》がこれ以上、地球に接近すれば、人類は軌道変更そのものができなくなってしまう」
諭すように國場が重ね、数秒沈黙がつづいた。
「……わかった。忠告はしたぞ?」
そこで電話は切られた。
國場はモニターに映っている大型ロケット発射場第二射点で準備が進むロケットを見やった。
オレンジ色の投光器に照らされたロケットはいま、液体燃料の注入が行われているところだ。
大丈夫だ、行ける──心のなかでつぶやいた言葉とは裏腹に、國場の胸の内は重たかった。