【第4章 連結体】
第23話
米国時間午前6時30分。
コロラド州シャイアン・マウンテン空軍基地。
寒さに凍えるロッキー山脈に朝日が昇りはじめた。
レーザー照射の野外実験に向かう幌付き軍用トラックに揺られていた白河は、國場からの電話連絡を受けた。
「予定通り、《LPHA3》の打ち上げを行います」
報告を上げてくる國場の声は硬い。「軌道計画通り進行すれば、明日には《LPHA》シリーズのドッキングに入ります」
「そうですか……いよいよですねえ」
白河は瞑目した。内之浦宇宙観測所の見学場から《やたかがみ》の打ち上げを見守ったのはもう4年前。
それから日々、汲々として、兎にも角にも研究開発に追われてきた。
「こっちの開発は順調ですよ。昨日も稼働時間は目標だった15分を達成しました」
《響22号》の最終調整の経過は良好だった。
ピーク出力2000兆ワットのレーザーを1000発/秒、連続15分稼働可能。
再稼働までには1時間の冷却を必要とするが、『D計画』で《セクメト》の軌道を変更するために必要な性能をこれで完璧に備えたことになる。
あとは打ち上げを待つばかりだった。
「米国側の反応はどうですか?」
國場がきいた。
「そりゃもう、連日、軍関係者が視察に来ていますよ。まったく、世界をより良くするためのレーザー核融合の技術だってのに……」
やれやれと白河が溜息をついた。
「國場さん。私はね、自分の思いとは裏腹に人殺しの道具を米国のために作ってやってる気分になって、とっても不安なんだ」
《セクメト》の軌道変更に成功した後、米国に建造した《響22号》をどうするのか?
プロジェクトの後期運用については後回しになっていた。
「『D計画』運用後の《響二二号》の活用については、廃棄も含めて提案しています」
日本の技術を守らなければならない。
そんな意気込みを滲ませ、國場がこたえた。
「連中にそのつもりはなさそうさね?」
「できうるかぎり、交渉します」
「頼みますよ?」
そう念を押してから、
「いやあ、愚痴っぽくなってすまないね」
と白河は謝した。
「いえ、そんな……」
「クマさんが日本に帰っちまってから、なんだか急に年寄りじみてきてねえ。あいつだって病と闘ってんだ。私がここで踏ん張らなきゃどうするって、言い聞かせてんだが……」
そういって白河は最後に病院を見舞ったときの大熊の変わり果てた姿を脳裏に呼び覚ます。
クマさんの愛称通り、大柄で頑強な体躯をした大熊がやせ細った姿は見るに耐えなかった。
「國場さん」
瞼をひらいた白河が、大熊への感傷を断ち切るように呼ばわった。
「必ず成功させましょう。《セクメト》の野郎をぶっ飛ばしてやるんだ。《LPHA》と《響二二号》でね」
「はい──」
「グッドラック」
そう言って白河は電話を切った。
*
(種子島上空は西高東低の冬型の気圧配置ですが、冷たい北西の季節風の影響は弱く、射場は安定した晴れ間が広がっています──)
緊迫した空気が流れる種子島宇宙センターの吉信発射管制塔で、御坂は気象衛星からの情報を確認した。
時刻は午後22時半。打ち上げまでいよいよ15分を切った。
正直、落ち着かない気分だった。
昨夜はとりとめのない想念が次々と頭に沸き起こって、明け方まで眠ることができなかった。
この胸のざわめきは寝不足のせいか? あるいは緊張で淀む管制塔の空気のせいか?
1秒ごとに刻まれていくカウントダウンと、打ち上げまでの確認作業に忙殺されながらも、油断すれば三年前の事故の記憶が御坂の頭をもたげてくる。
作業服のポケットに両手を突っ込む。
緊張で高鳴る心臓をなんとか沈めようと、御坂は渡航安全を祈願したお守りを握りしめた。
八咫鏡をご神体とする伊勢神宮のお守りだった。
米国が同じロケットで成功させたことを、日本が成功させられなかったら?
そんな重圧が御坂の両肩にのしかかってくる。
(ターミナルカウント作業、開始します)
打ち上げ8分前。
オペレーターの報告の声に御坂はひとつしっかりうなずく。
すぐに館内放送で打ち上げ8分前の通知を出す。
「御坂さん」
管制塔に控える國場が、緊張で強張る御坂の肩を元気づけるように叩いた。
「ここまで、よく耐えてくれました」
国産ロケットを断念せざるを得なかったことをいっているのだろう。
御坂は「いえ、最後までこのプロジェクトに関わらせていただけたことを感謝しています」とこたえた。
責任をとってJAXAを辞めることも考えた。
そんなとき、留意してくれた國場には感謝しかない。
そして、自分を信じて、再びチャンスまで与えてくれた。
なんとしてでもその想いにこたえたい──。
御坂は國場の言葉を内心に繰り返した。
理不尽な思いや不満、不安、すべてがないまぜになった内奥のわだかまりを解きほぐすように。
(警戒区域の安全、確認できました)
(五十九、五十八、五十七、五十六……)
ロケット打ち上げまで、一分を切った。
*
「はじまるな」
御坂との会話を切り上げ、自分のコンソールに戻った國場に声をかけてきたのは、エドワード博士だった。
「お陰でなんとかここまで漕ぎ着けました」
内心の動揺を見透かされないように、國場は注意しながら応じた。
國場もエドワード博士も、お互い目は合わせない。
視線は中央の大型モニターに映し出されている大型ロケット発射場第二射点のロケットに注がれていた。
(三十二、三十一、三十……)
機械音声のカウントダウンが時を刻み、技術者たちは息を詰めて見守っている。
隣で腕を組んで佇むエドワード博士の存在を、國場は一種奇妙に感じていた。
誠実な口ぶりで、温和な性格の下には狡猾な計算を働かせる恐ろしい獣が潜んでいる。
この一年でエドワード博士の印象は様変わりした。
むしろ、鋭利な刃物のようなエフゲニア博士のほうが、日本のモノづくりに理解を示してくれる味方とも思えて……。
思えば日米共同は、微妙に狂い始めた『D計画』という名の歯車を、必死で元に戻そうと奮闘する日々だった。
その歯車が、いまようやく噛み合って回り始めていて──
経緯はいろいろあったが、地球近傍小惑星《セクメト》の軌道を変える。
その思いは共にしているはずだ。
そこでようやく國場はエドワード博士にちらと視線を送った。
胸の前で腕を組んだエドワード博士も気配を察して、國場を見つめ返す。
「もはや米国と日本は一蓮托生(in the same boat)です」
國場はそのままの思いを口にした。
「一蓮托生(in the same boat)……」
咄嗟に思いついた一蓮托生の意訳をエドワード博士は噛みしめるように繰り返す。
「I see…In the same Rocket !(なるほど……それじゃ〝同じロケット〟ってわけだな)」
國場はふっと笑った。
カウントダウンはあっという間に20秒を切り、いよいよ10秒前を迎える。
頼む、成功してくれ──。
無意識のうちに國場は汗ばむ両手を握りあわせていた。
「大丈夫さ。必ず成功する」
祈る國場を勇気づけるように、エドワード博士がいった。
(フライトモード・オン)
オペレーターの声を合図に、夜空を背景に映るロケットの中央エンジン底部に火花が散り、閃光が起こった。
白い火花はやや紫がかった光に変化しつつある。
(9、8、7、6、5──)
(駆動用電池起動)
エンジン噴射の直前、船乗りが帆の調整をするように、ノズルの向きを調整する。
エンジンノズルの向きが狂えば、打ち上げコースから外れてしまうからだ。
次の瞬間、ボフン!と轟音を立て、さらにエンジン・スラスタからオレンジ色の焔が猛る。
(4、3、2──1)
(メインエンジン、スタート)
暗闇の中でぱっとまばゆいばかりの閃光が起こった。
真昼間のような明るさで周囲を照らす。まるで天翔ける竜がごとく、爆煙がもくもくと成長していく。
総重量数百トンの鋼鉄の塊が、ゆっくりと宙に浮かび、空を目指して伸び上がっていく。
(リフトオフ!)
行け、《LPHA》──。
3年間の思いのすべてを込めて、國場は強く心に念じた。
轟々とエンジンの燃焼音が空気を蠕動させ、ロケットはさらに加速していった。
エンジン音はキーッと切り裂くような高音域にシフトしていく。
打ち上げ成功のアナウンスが館内放送で流れる。
打ち上げ後のロケットの運用管制は筑波宇宙センターに移る。
それでもまだ喜ぶのは早い。
ロケットが《LPHA3》を切り離し、宇宙に届けるまでは……。
最大望遠で捉えたロケットの映像を魅入られたように追う。
國場は筑波宇宙センターの加瀬に念ずるように内心でつぶやいた。
(加瀬さん、よろしく頼みます……)
*
(40、41、42、43……)
打ち上げから早くも一分が経過しようとしていた。
機械音声のカウントダウンを聞きながら加瀬は、太平洋上を飛行するロケットの現在位置を確認しつつ、最大望遠で捉えるロケットの映像を見やった。
(ロケットは正常に飛行中)
(種子島の地上局はロケットの中継を行っています)
筑波宇宙センターの《LPHA》運用管制室には、各局からの報告が飛び交っている。
ミスが許されない職務を背負った職員たちの目は鋭く研ぎ澄まされている。
ヘッドセットに耳を傾けながら加瀬は、モニターの中のロケットを凝視していた。
夜空に彗星のようにエンジンの炎を曳くロケットの姿が、いよいよ星と見まごう小さな光の点となって消えていく。
さあて、ここからが勝負だ。
ロケットの現在位置や飛行高度、速度をグラフカルに表示させるコンピュータグラフィックに視線を転じる。
その脇にはタイムコードと共に軌道計画に基づいた打ち上げシーケンスの各段階が記されている。
(120、21、22、23、24、25、26……)
(固体ロケットブースター燃焼停止)
(SRBA第一ペア分離)
ツクシ状のロケット下部を囲むように配置された四基のブースターロケットから一対がパージされる。
(つづいて第二ペア分離)
身軽になったロケットは矢のように飛んでいく。秒速2キロメートルから倍の秒速4キロメートルへ加速する。
(小笠原局での追尾開始)
(打ち上げ後、3分経過)
いよいよ因縁の分岐点だ。
加瀬は息を吐き出しながら、念ずるような目をモニターへ送る。
打ち上げから3分40秒後。
ロケットはいよいよ大気圏を脱出。
ロケットの先端部分の外装、フェアリングを分離し、《LPHA》をむき出しにさせた。
前回、内之浦での打ち上げでは完全燃焼する前に第一エンジンが停止。
予定高度に達することなく、破壊司令が出た。
第一エンジンの燃焼停止まで、あと2分──。
針のむしろにいるような、引き伸ばされた時間だった。
(第一段エンジン燃焼正常)
(飛行経路も問題なし)
(高度、2400キロメートル……順調です)
ごくり、と加瀬はつばを飲み込んだ。
タイムコードを確認する。
──打ち上げから5分47秒後。
(第一段エンジン燃焼停止)
(第一段エンジン分離)
大型ロケットを分離させた機体はおよそ3分の1の短さになった。
切り離した運動ではずみをつけ、速度は秒速6キロに到達。
(第二段エンジン燃焼開始)
(グアム局、ロケットの追尾開始)
地球の裏側に回ったロケットは、内之浦、種子島の両局の捕捉範囲を離れていった。
代わりに小笠原局、グアム局からの追尾が開始された。
これで3年前の因縁は果たしたな、御坂さん──加瀬が心のなかで語りかける。
重力圏を抜けたロケットはいまや無重力空間で安定していた。
あと10分で《LPHA3》は分離される。
ひとまず打ち上げシーケンスはそこで完了だ。
心の余裕ができたところで、今度は新たな懸念、太陽フレアの問題がふっと浮かんだ。
「宇宙天気情報センターからの情報は?」
加瀬がオペレーターに確認する。
「活動領域2678にてクラスBの小さな活動は認められたものの、太陽活動は静穏状態が続いているそうです。しかし、高エネルギー電子の臨時警報は、現在も継続中です」
無用の心配だったか。
安心材料となる情報に肩透かしをくらいつつ、「動きがあり次第、知らせてくれ」と返して、加瀬はふたたびディスプレイを見上げた。
打ち上げから14分20秒後。
(第二段エンジン燃焼停止、エンジン・カットオフ!)
空気抵抗の存在しない宇宙空間を航行する《LPHA3》は、エンジンが停止してもそのままの速度で慣性飛行を続ける。
打ち上げシークエンスの最終段階。
まるで一時停止ボタンを押したかのように、〝そのとき〟を待つ運用管制室は静まり返った。
打ち上げから15分11秒後。
赤道付近を通過する直前、貝柱を思わせる形状の《LPHA3》が分離。
正常に分離が行われたことを示すデータを確認したオペレーターが、
(《LPHA3》、所定の軌道に乗りました! 打ち上げ成功です!)
と報告の声を上げる。
わっと運用管制室が沸いた。
加瀬に握手を求めてくる職員もいた。
だが、成功の余韻に浸るでもなく、加瀬は厳しい顔を終始、崩さなかった。
──これからが本番だ。
分離した《LPHA3》は四日間、航行をつづけ、それから《LPHA1》《LPHA2》とドッキングする。
《セクメト》の軌道変更。我々はそのスタート地点に立ったに過ぎないのだ。
そう、まだまだスタートにすぎない……。
加瀬は奥歯を噛み締め、まっすぐに虚空を睨みつけた。
*
「よしっ!」
歓喜が爆発し、誰彼ともなく抱き合う。
筑波宇宙センターの運用管制室からの、
(《LPHA3》の分離成功)
の知らせを受けてのことだ。
そのなかで、茫然とヘッドセットを外した御坂は、打ち上げに成功したという喜びより、憑き物から解放されたような心持ちだった。
自分の肩に感じていた責任という名の重み。
『D計画』だけではない。日本のロケット技術の開発の歴史という重みもあった。
それから開放されたのだ。
「御坂さん、おめでとうございます」
息を弾ませ、差し出された國場の手に、御坂ははっと顔を上げた。
國場の目が潤んでいる。
しばらくお互いに無言のままで、握手を交わした。
御坂の表情にもようやく笑みが広がった。
「夢じゃ……ないですよね?」
そんな言葉を御坂は洩らした。
「これから忙しくなるな?」
いまとなっては営業用とも思える笑いを張り付かせたエドワード博士が間に入った。
「《LPHA》各機の運用と並行して、プレス対応も考えなくちゃいけない」
宇宙開発が税金の無駄遣いではなく、意義のあることであることを広報しなければならない。
だから宇宙計画においてプレス対応は重要だ。
涙目を拭い、きりっとした目つきに変わった。
「我々は最初にして重要な関門を突破した」
國場は改めて思ったことを口にした。
確かに胸を撫で下ろしている猶予はない。
でも、いまこの瞬間ぐらいは勝利の余韻に浸ってもいいではないか。
せめてスタッフだけは……。
ほっとした雰囲気の漂う管制棟を眺めた。