【第4章 連結体】
第24話
《LPHA》の運用は5つの段階に画然と分かれる。
第一段階は《LPHA1》から《LPHA3》までの三機の巨大宇宙機を打ち上げるまで、第二は三機の接近、第三にドッキング、第四は作戦運用(『D作戦』)、そして作戦終了後の5段階だ。
宇宙空間を先行する2つの宇宙機──《LPHA1》と《LPHA2》は、、無事ドッキングを成功させた。
残すは《LPHA3》のドッキングのみだった。
*
事件が起きたのは、《LPHA3》の打ち上げから4日。
2035年12月13日、午前6時。
《LPHA3》のドッキング4時間前のことだった。
筑波宇宙センターの運用管制室。
問題が起きたとき、四列に並んで座る管制官たちはちょうど交代要員との引き継ぎ連絡をしているとろだった。
最初にトラブル発生を知らせたのは、運用管制センターで《LPHA》から送信されてくるデータをプロットしていたモニタだった。
《LPHA3》とのデータ送受信が停止し、ドロップアウトが起きていた。
ただちに警告ランプの一つが点滅し、人工知能がなにか異常を検知し、異常箇所を特定しようと自己診断プログラムを走らせ始めていた。
いったい何が起きているのか。
引き継ぎ間際で油断していたというのもあったかもしれないが、管制官たちは計器の不調によるトラブルであると事態を楽観していた。
《LPHA1》も《LPHA2》にも異常がなかったのに、《LPHA3》だけに問題が起こるはずがない。
宇宙と地上との間で通信システムに以上があるだけだ。
すぐになんとかなる……。
ところがトラブル発生から5分が経過し、ついに警告ランプの明滅が緊急警報が室内に響き出すと、彼らの顔色はさっと変わった。
「國場さんと加瀬さんに第一報緊急連絡……非常事態だ。それと……NASAにも」
管制官はトラブルフローに従い、連絡を回し、対応に追われた。
「これは星じゃありません」
そう補足した管制官は一枚の白黒画像を差し出した。
「《LPHA3》のスタートラッカの画像です」
無数の白い光点が常闇の宇宙空間に散らばるそれは、《LPHA3》の観測カメラが捉えた最後の画像だ。
「光点のほとんどは、カメラ受光器にぶつかった粒子が作り出したものです」
「やはり太陽フレアの影響か……」
ため息混じりにつぶやいた加瀬は、眼鏡を押し上げ、宇宙天気情報センターからの情報を一瞥した。
トラブル発生から10分。
仮眠室から駆けつけた加瀬はネクタイもつけないままの開襟シャツ姿で、管制官たちの状況説明を聞いていた。
「加瀬さん……すみませんでした」
重々しい口ぶりで國場は謝した。
打ち上げ直前の加瀬の懸念が的中した形になったからだろう。
「いまは対処方法を検討することに専念しよう」
前向きに加瀬はいった。
「当て推量や楽観は事態の悪化を招くだけだ。確実な情報をくれ。NASAにも説明がつかない」
トラブル発生の第一報連絡は入れていたが、短時間でより具体的な状況把握と対応策を説明できなければならない。
「つい数十分前に発生した太陽フレアの影響で荷電粒子の嵐が《LPHA3》を襲いました」
管制官が早口に報告する。
「粒子の反射と星の反射のせいで、星図が読み込めなくなっている、ということですね?」
國場が確認した。
「つまり現在位置がわからなくなって──セーフモードに入った可能性があるということですか」
《LPHA》は、カメラの画像により星の位置を監視して現在の位置や姿勢を確認している。
それがスタートラッカだ。
宇宙で航行するのにこのスタートラッカがなければ正確な現在位置をつかめない。
わからなければ、宇宙機同士をドッキングさせることはできない。
最悪の場合、《LPHA1》《LPHA2》を損傷させる恐れすらある。
「セーフモードに入った《LPHA3》の再起動を試みていますが、未だ反応がなく……」
「柊さんはなんといってる?」
「それがNASAで対応策を考えているとのことでして……」
「大気圏外といえども、完全な真空状態ではない」
加瀬は室内の大型スクリーンを見上げた。
右に地球、左に《セクメト》を配した縮尺図には、ドッキングした《LPHA1》、《2》と、《3》が映し出されている。
「若干ではあるが、空気抵抗を受け、減速している。このままセーフモードの状態が続けば《LPHA3》は次第に減速していき、機体は高度が下がる。そうなれば所定の軌道からはずれ、ドッキングはできなくなる」
いよいよ空気が重苦しくなる中、「なんとしてでも、《LPHA3》を回復させるんだ」と國場は管制官たちに指示した。
トラブル発生からすでに三十分が経過しようとしていた。
*
ジョンソン宇宙センターのオペレーション棟には窓がまったくなく、三〇万キロかなたの宇宙を飛んでいる《LPHA》の状況を知るすべは、部屋の正面にある五面の大きなスクリーンだけだった。
塹壕と呼ばれる運用管制室の最前列には、宇宙船の軌道を担当しているエフゲニア博士、飛行主任、そして通信士の柊が、管制業務に忙殺される日本側チームのてにあまる、長期的な計画の立案をつづけようとしていた。
「対処フローは再起動させるか、再プログラムさせるかですが、いずれも数日はかかります。なにせ《LPHA3》が地球の陰に入ってしまったら、通信はできなくなりますから」
解説したのは柊だった。
地球公転面にある日米双方の通信施設をつかっても、一日に通信できる時間は限られている。
その限られた時間で対処をするのだ。復旧作業はどうしても日数を要する。
「ドッキングを諦める、という手は?」
飛行主任が第2案を俎上にのせる。
「現状の《LPHA1》《LPHA2》の連結体だけで作戦を実行するのはどうです?」
「それでは《響二二号》の大出力レーザーを受け止められない」
直ちに柊が首を振る。
「軌道変更するためのエネルギーが足りないでしょう」
四年前、もしも日本が《やたかがみ》の打ち上げに成功していたら──《セクメト》の軌道変更はわずか数ミリで済んだはずだった。
しかし、いまや《セクメト》は地球に接近し、その軌道変更には数十メートル以上、軌道から移動させなければいけなくなった。500メートルを超す小惑星を数十メートル動かす。
しかも何億キロも離れた宇宙空間にある小惑星を、である。
現状のスペックでもあるいは厳しい……。
「日本側はなんといっている?」
飛行主任が問うた。
「延期を提案してきています。通信状態が安定するまで待ってほしいと……」
日本側の柊は、申し訳なさそうに報告する。
「ランデブ予定を引き伸ばすことはできません」
軌道計画を担当するエフゲニア女史は主張した。
「《セクメト》へ向かう航行予定が大幅に遅れることになりますから」
地球近傍小惑星《セクメト》はすでに地球衝突まで10年を切っていた。
衝突確率は15%。
この数字はかなり危険なものだ。
時間が経てばそれだけ軌道変更に必要なエネルギー量は大きくなる。
現状の人類が取れる手立てを逸脱してしまう。
「……日本側の報告次第ですね」
トラブルの対処を話し合う、日本側との電話会議の時間となった。
柊たちはヘッドセットを耳に当てた。
*
「当初予定していたランデブキャプチャは事実上、不可能です」
そう國場が切り出す。
NASAとの対策会議の席上である。
ランデブキャプチャとは、ロボットアームを伸長し、把持してから結合するという方式だ。
日本が開発したこの技術は、いまや国際宇宙ステーションにおけるスタンダードとなっている。
通信回復ができない《LPHA3》はいわば制御不能の状態。
つまり減速もできないということだ。
秒速8キロメートル、地球を90分で1周するという速さで航行している《LPHA3》にロボットアームを伸ばせば、破損するに決まっている。
《LPHA3》のドッキングを強行する。
それがJAXA・NASA双方の基本方針だった。
「そこで、ご提案するのが《LPHA1》《2》の連結体との同期です」
同じスピードで動く電車同士は、止まって見える。
そう、宇宙機三機が同じ速度で航行すれば、ドッキングは可能になるのではないか?
エフゲニア女史が否定する。
「制御不能の《LPHA3》の減速が不可能である以上、ミッション自体を危険に晒すことになる」
「それでは、復旧作業を姿勢制御系に集中させ、《LPHA》を減速。低衝撃型ドッキング、手動操作によるドッキングしかほかに方法はありません」
加瀬は思わず顔をあげた。
《LPHA》の開発意義である人工知能による自動制御を否定しようというのか。
それでは実証機としての有用性を失うことになりはしまいか──。
加瀬は正気を疑ったが、國場の意気込みに気圧された。
これは自分たち日本人技術者たちの正念場だ──そんな意気込みが見て取れる。
日本の工学技術の実証。
世界に知らしめる。
國場の決断は、『D計画』本来の意義を思い出させるものだった。
「それ以外にドッキングを強行する手立てはありません」
疑念の目を寄越すエフゲニア女史に、國場はねじ込むようにいった。
「わかりました」
やや長い沈黙の後、エフゲニア女史が決断した。
「ただし、少しでも危険があった場合は、ドッキングは断念。《LPHA1》《2》のみの運用に切り替えます」
「ええ……姿勢制御の復旧を急ぎます」
そこで電話会議は終了した。
管制官たちはみな顔が青ざめている。
「日本の技術など鼻から当てにしていない、という口ぶりだったな?」
加瀬がきいた。
「ああ、だからこそ」
國場は加瀬のみならず、管制官たちにもきこえるようにいった。
「見せてやろうじゃないか、日本人の底力ってやつを」
國場の言葉で、運用管制室が一種の昂揚感に包まれた。
──やってやる。
絶望感に打ちひしがれていた運用管制室は一転、活気が戻ってきた。
*
事故発生から2時間。
管制官たちは真剣な眼差しで点検作業に没頭し、息詰まる緊張感がみなぎっていた。
(これより《LPHA3》運用計画フェーズ2へ移行します。ランデブ開始)
(了解、《LPHA3》、ランデブ位置へ)
地球の周りを周回するLPHA連結体の下を潜るようにして、《LPHA3》が減速しながら位置を調整する。
(《LPHA》連結体、コンタクト正常)
先にドッキングした《LPHA1》《2》の人工知能の状況が、運用管制室でモニタリングされる。
忙しく確認の目を左右に走らせ、國場は各員に指示を飛ばしていく。
「カウントダウン、スタート」
(《LPHA3》、結合部開け)
(《LPHA3》、結合部確認)
地上からの指示に遅れること15分。
《LPHA》連結体の定点カメラの映像から、國場は《LPHA3》が指示を受け取り、ドッキング態勢に入ったことを確認した。
「本来ならここで人工知能の同期に入りますが、省略。速度調整、姿勢制御、手動操作へ移行」
國場が令し、管制官たちが報告の声を上げる。
リアルタイムで現状を把握できないこの場面でも、コンピュータグラフィックをモニタで確認し、制御を試みなければならない。
いま《LPHA3》は、連結体とほぼ同じ速度で上下に並走しはじめた。
(ランデブ、完了)
「了解しました、運用計画フェーズ3へ移行。ドッキング開始」
思わず拳に力がこもる。
國場は緊張で震える息を吐き出した。
(姿勢正常……角度修正、毎秒二・五度)
(X軸調整……)
地上から遠隔操作している《LPHA3》が、徐々に《LPHA》連結体との間を狭めていく。
もしここで《LPHA3》の姿勢制御が乱れ、《LPHA》連結体を破損させるようなことが起これば、すべてが水の泡だ。
不安に襲われそうになるのを必死にこらえながら、國場はモニタを見つめた。
(LPHA連結体まで、あと10メートル)
(ターゲットマーカー確認)
LPHA連結体の機械音声が応答する。
定点カメラが送ってきた映像には、ドッキングのためのいち合わせの十字線が《LPHA3》に向かって照射されている。
人工知能が制御するLPHA連結体の十字線と、手動操作の《LPHA3》の十字線が合わさればドッキング成功となる。
はずだった。
突如、アラート音が鳴り響き、異常を検知した人工知能がメッセージを読み上げる。
(エラー発生。ドッキング不可能……)
十字線がなかなか合致しないようだった。
地上の指令は15分後に《LPHA3》に届く。
やはり〝ズレ〟が起こるなかでの制御は無理なのか。
(これ以上、制御不能のまま《LPHA》連結体へ接近することは認めません)
エフゲニア女史が通信に割って入った。
(ただちに作戦を中止してください)
どうすればいい?
もはや脳内は血が出るほど回転していたが、國場はなんら解決策を考えつくことができない。
やはり無理か──エフゲニア博士のせっとく声に答えようと口を開きかけたとき、
(スタートラッカだ)
と放った柊の声を國場はきいた。
(人工知能は反応しないが、スタートラッカは地上と交信している)
確かに、荷電子が乱れ画像認識を狂わせた画像を《LPHA3》は送ってきている。
(連結体とスタートラッカを同期させれば、連結体の人工知能が自立運転で《LPHA3》をキャッチできるはずです!)
柊の発案中にも、
(連結体との距離、八メートル)
(ドッキング限界まで、あと六〇秒……)
と英語と日本語の報告の声が混ざる。
(無理よ!)
声を上げたのはエフゲニア女史だ。
(もうツールはこっちで組み上げてます!)
音声に混じって、柊のキータイピングの音がきこえる。
(連結体と《LPHA3》のスタートラッカを関連付けさせる画像認識のアルゴリズムを走らせます)
(柊さん、おい願いします)
國場のゴーサインに、
(あと三十秒……)
と追い打ちをかける報告の声が重なる。
(信じろ、なんて不確かな言葉は聞きたくありませんね?)
エフゲニア女史が作戦を強行する國場に弁明を求める。
(《LPHA1》《2》のドッキングを成功させたのは、柊さんのプログラムです)
すかさず國場が応じた。
(頼むぜ、ルーキー……)
行き詰まる交信のやり取りに割って入った飛行主任が、柊に声援を送る。
(接近、五メートル。あと四、三、二――)
入電音が、響き渡った。
(ロック完了! ドッキング、成功です!)
どっと歓声が上がる。
(ミッション・コンプリート……ヒューストン、ドッキング確認)
(《LPHA3》固定を確認……)
人工知能の機械音声が次の巡航フェーズへ向け準備を始めることを告げる。
(《LPHA》連結体、受動サマール・コントロールロール開始)
《LPHA》は平面的な宇宙機であるため、太陽熱を吸収して発熱を防ぐために船体を回転させる必要がある。
それが受動サーマル。コントロールだ。
なんとか切り抜けたか。
どっと疲労が押し寄せてくる思いだったが、國場はなんとか気を張って、管制官たちをねぎらった。
《LPHA》連結体は一路、《セクメト》へ向け航行を開始した。
ここから《LPHA》連結体は光学複合航法――「光学航法」と「電波航法」を組み合わせた自律航法機能――で宇宙をゆく。