【第4章 連結体】
第26話
2036年、6月。
地球近傍小惑星セクメトまであと1000キロメートル。
接近フェーズに入った《LPHA》連結体搭載の光学カメラが、《セクメト》の姿を捉えた。
細かな砂利や砂に覆われた地表面。
山も谷もなく、平原が広がる差し渡し500メートルの小さな星は、真球に近い形状だ。
これまで小さな光点にすぎなかった人類史上最悪の厄災が、いよいよ人類の前にその全貌を現した瞬間だった。
「これが、《セクメト》──」
言葉を洩らしたのは國場だった。
大型スクリーンに映し出されたその姿に、筑波宇宙センターLPHA運用管制室の職員たち全員が息を飲む気配があった。
小惑星の研究者たちは、《セクメト》の発見以来、常にかの星の観測を続けてきた。
真球に近い形状であることは観測でもわかっていたが、その地表面がどんな状況であるかまでは掴めていなかったのである。
「レゴリスに覆われた表面が大部分を占めているようだな」
観測結果を眺めながら、加瀬がいった。
砂利や砂に覆われた岩盤という姿は、ほぼ野外実験の際の加瀬の見立通りだった。
「これならレーザーの照射も問題なさそうだ」
そういって加瀬は國場を見やった。
顎に手を当て、何やら考え込んでいる。
「どうした? なにか気になることでも?」
加瀬がきくと、
「真球に近い形状というのがどうも引っかかりませんか?」
と國場は懸念を口にした。
過酷な宇宙空間の環境では、隕石の落下によって地形が複雑化していくのが一般的だった。
それに楕円軌道をとっている惑星は遠心力で歪みが生じてくるはずで……。
それなのに、セクメトはまるで人工物とも思えるほどに完全な真球に近い形状なのである。
「歪まないのは中心部の核の硬度が高いから、とは考えられませんか? 例えば──」
「──ダイヤモンドのように?」
言い差した國場の言葉を引き取るように、加瀬がこたえた。
「たとえ硬度が高くとも、『D計画』の目的は軌道を変更させることだ。破壊ではない。重力測定の結果も出ているが、硬度の高い物質が埋まっているとの分析は否定されている」
「ええ、そうなんですが……」
言葉にできない不安が胸に広がっていく。
(NASAより緊急入電!)
上ずった管制官の声が國場の意識を現実に引き戻した。
今度は何だ──國場は身を硬くした。
*
「《LPHA》が予定進路から外れているな?」
テレメーターに送られてくる情報に目を通しながら、飛行主任がいった。
ジョンソン宇宙センターの運用管制室に詰めている管制官たちは、3億キロ離れた宇宙空間から送られてくる《LPHA》連結体からの情報に神経を尖らせていた。
接近フェーズに入った連結体は秒速9メートルからホームポジション──レーザー照射位置──である20キロ地点で相対停止させるため、減速させる必要があった。
いま、平面を組み合わせた《LPHA》連結体は、くの字型の形状である。
これがくるくるとまるでコマのように回転している──はずだった。
それがぐらぐらと回転軸が安定せず、倒れかけたコマのようになっている。
そのためホームポジションを目指すべき予定進路を外れているようだった。
通常なら、姿勢制御の必要が生じれば《LPHA》の人工知能の判断で、6基のイオンエンジンを噴射し、自動的に姿勢を直しているはずだ。それができていないということは……。
(姿勢制御装置で異常検知)
飛行主任の危惧が的中した。
《LPHA》の人工知能が異常検知のアラート音を響かせ、致命的ではないが、決して軽微ではない不具合を知らせてくる。
「ドクター・ヒイラギ、どう思う?」
太い腕を組み上げた飛行主任が柊に意見をきいた。
ドッキング以降、目立ったトラブルがなかっただけに、柊も不意を衝かれた心持ちだった。
「最近、駆動系の温度上昇が報告されていました。原因はそれでしょうね」
重々しく柊は推測を述べる。
「ズレが大きくなるにつれ、回転力を抑えるため、予定よりイオンエンジンに負担をかけていた。温度上昇も駆動系に負荷がかかっていたことで説明がつきます」
《LPHA》連結体は地球帰還を目的としていない。
地球とセクメトとをレーザーで結ぶ、ホームポジションにつけばそこで旅程を達成することになっていた。
いわばここが最後の踏ん張りどころだった。
地球から照射されたレーザーを《セクメト》へ集約するためには、精密な姿勢制御が必須だ。グラグラと反射板が揺れ動く状態のままでは、オペレーションに支障が生じる。
なんとしてでも姿勢制御は成し遂げなければならない。
「原因はわかったわ」
この世のものとは思えぬ透き通った白い額に血管を浮き立たせ、エフゲニア女史はいった。
「対策は? 姿勢制御が安定しないままランデブーを続ければ、《セクメト》と《LPHA》連結体の衝突、破損も考えられます」
「イオンエンジンが使えないとなると……」
モジャモジャ頭をかきむしりながら、柊は頭を抱えた。
冗長性を考慮してエンジンは六基あったはずだったが、《LPHA3》のドッキングの際にエンジンを2機失い、さらにいまもう二機が失われた。宇宙空間ではX軸、Y軸、Z軸の制御が必要だが、三方向の姿勢制御に二機だけでは運用は困難だった。
「問題はZ軸の制御だな?」
万策尽きたか感が漂う中、飛行主任がいった。
「ここをなんとかすればいい。違うか?」
縦軸のY軸、横軸のX軸に対し、Z軸は高さに当たる制御だ。
「地上からレーザーを照射して調整しては?」
エフゲニア女史が提案する。
「いえ、そもそも鏡が傾いた状態でレーザーを受けることは困難で……」
否定しながらも、柊は無意識に「レーザーが無理でも太陽の光は注いでいる……」
と口を動かした。
刹那、柊の頭にひらめきの閃光が起こった。
「太陽光圧……!」
そのアイディアに自分でも驚きながら、柊は顔を上げた。
「太陽光圧?」
怪訝そうに眉を上げたエフゲニア女史が聞き返す。
「《LPHA》連結体は、地球から照射されるエネルギー、すなわち光の波の性質を利用して、受け止めます。本来の使用方法とは異なりますが、太陽も光の波を発しているわけですから、二次元フェーズドアレイ装置の平面構造体にプログラムを走らせれば……」
どんどん柊は思考を走らせる。
電磁放射を受ける物体には圧力が働く。
これが太陽光圧だ。
帆に風を受けて海上をすすむヨットのように、太陽の光圧を二次元フェーズドアレイ装置に受けつつ、反射率を変更して姿勢制御を行う。
「そんなことができるのか?」
飛行主任が疑問の声を上げる。
にやりと自信に満ちた笑みを洩らした柊は、頭のなかでとある結論に達していた。
「太陽光圧を用いて姿勢制御を行う方法は、世界に先駆けて日本が独創的に開発してきたものですっ」
「それ以外に手段はなさそうね?」
エフゲニア女史が認めた。
ただちに柊の案が採用された。
ホームポジションへのランデブを強行するために、柊に与えられた時間は12時間。
その間に太陽光圧による姿勢制御を可能とするプログラムを走らせなければならない。
最初の打ち合わせで出てきた様々な事柄を検討し、再度フィードバックするための膨大な作業が山を作っている。
デスクにへばりついてとろまとめ作業を続け、続々と流れてくるテレメーターからの情報を仔細につぶしていくのは地道な作業だったが、パッチツールがようやく形になったのは翌10日のことだった。
(イオンエンジン、噴射)
(X軸修正、誤差0.1)
(続いてY軸修正)
まずは《LPHA》連結体の二次元フェーズドアレイの平面構造体──くの字型の外辺を太陽に向けなければならない。微細な姿勢制御を人工知能が調整する。
(入射光調整)
太陽光圧による発生回転力を制御するためには、光圧を受けるだけでは不足だ。
それでは押し出されるだけになってしまう。
そこで水車のようにくるくると回るためには、平面構造体の片側に圧を集中することで、発生回転力を得るのである。
(出射光、放射)
片側に受ける入射光の力を、もう片側から出射光を放射して補助する。
こうすることで徐々に回転力をうまく活用することができるはずで──
(《LPHA》連結体、傾き確認)
「やったか!」
テレメーターには微細な傾きが確認された。
太陽光圧は1円玉の約10分の一の重さを受けているのにすぎない。
(Z軸。姿勢制御に成功!)
ようやく安定した《LPHA》連結体に、管制室に詰める職員たちは安堵の息を洩らした。
「まだまだこれからよ」
どっと疲れた、というように椅子の背もたれに寄りかかった柊に、エフゲニア博士が声をかける。
「こんなことで気を抜いてもらっては困るわ」
航行する《LPHA》連結体が、ようやくホームポジション──セクメトから20キロメートルの位置についたのは、3日遅れてのことだった。