【第5章 星を動かすもの】
第28話
(電磁波の乱れで、観測できず……)
(周辺宙域にガスも発生している模様……)
「確認を急いで下さい。各局観測施設にも支援要請をよろしくお願いします」
國場が指示を出す。
《LPHA》連結体の放ったレーザーがセクメトにどのような影響を与えたか。
筑波宇宙センターの運用管制室は観測作業に追われていた。
ところがピーク出力2000兆ワットという人類の消費電力をも上回るレーザーによって発生した強力な電磁波の影響から、《LPHA》連結体との高速通信も確立されない状態だった。
(《響22号》、照射限界です!)
「了解しました、白河さんにもよろしくお伝え下さい」
約15分に渡って照射を続けた《響22号》が停止し、冷却に入る。
10年前、《響20号》の試作段階では30分に1発しかピーク出力2000兆ワットを創出できなかった。
運用時間の課題をクリアし、よくここまでやってくれた。
静かに瞑目した國場は、胸の裡で白河と大熊に感謝を伝える。
ここまでの道のりは、長く険しいものだった。
改めて深い感慨を抱きながら國場は、砂嵐状態のモニタを見つめ、管制官たちの報告の声に耳を立てた。
だが──本当に成功したか?
ぬか喜びに終わるのではという不安も同時に押し寄せてくる。
振り子のように揺れ、とらえどころのない中途半端な気分をさまよった國場は、
「どう思います?」
と隣に立つ加瀬に尋ねた。
セクメトの軌道が変わったか、である。
加瀬は眼鏡を押し上げ、首をかしげた。
「楽観はできんが、いまは成功を祈るしかない……というのが現状だな?」
祈るしかない。
加瀬の言葉を口中で繰り返し、しばし結果を待った。
(グアム局、小笠原局より観測結果入電!)
その一声で室内が慌ただしくなった。
中央モニタには《セクメト》の合成観測写真が表示される。
各局の観測結果が続々と届くなか、加瀬は直ちに現在地から目標天体の軌道計算に入った。
すでに割り出されている《セクメト》の軌道計算を元に、現在位置をプロットする。
そのプロットした位置から現在観測されている位置がずれていれば、軌道は変更されたことになる。
ベクトル変化が軽微なため、計算は難航しそうだった。
待つこと10分余り。
永遠とも思える時間だった。
はやる気持ちを抑え、國場は結果を目の当たりにしているはずの加瀬の表情を窺った。
厳しい顔がみるみる曇っていく。
──いったい何が起きたというのだ?
加瀬の様子から最悪の結果を読み取った國場は、思わず生唾を飲み下した。
「加瀬さん、軌道計算は──」
問う声が擦れる。
ゆっくりとモニタから顔を上げた加瀬の目は、どこか空虚なの色をたたえていた。
「失敗だ」
加瀬は結論だけを述べた。
「失敗……?」
聞き返した國場に「軌道は数ミリしか変わっていない」と応じた加瀬の声は、心なしか震えていた。
「《セクメト》は依然、地球衝突軌道をとっている……」
驚愕とともに、國場は目を見開いた。
一瞬、頭がパニックになりそうになる。
「どういうことです、2000兆ワットのレーザーを照射しているのに……」
やっと反論めいた言葉を口にした國場は、しかし、途中で口を噤んだ。
2000兆ワット──それは人類が持てる最後の力だったはずだ。
それがだめだったとするならば……。
固く唇を引き結んだ加瀬にそれ以上の説明は期待できなかった。
少なくともいまの段階では。
國場はモニタに大写しになっている合成写真を穴が空くほど凝視する。
すぐに國場も異変に気がついた。
地球近傍小惑星 《セクメト》。
その観測写真はこの10年、何万回と眺めている。
それまで白い光点だった《セクメト》が、明度を増しているように──
「光ってる……?」
モニタからふたたび加瀬に目を転じる。
コンソールの前で加瀬は茫然としている。
そんな無防備な加瀬を見るのは初めてのような気がする。
「ああ……今までの観測結果よりも反射能が変化している」
「どうして……」
反射能とは小惑星の分類に用いられる基準のひとつだ。
地球から遠く離れた天体の観測には、スペクトル分析──太陽、あるいは付近の恒星の光をどのくらい反射して輝いているかによって、その星の主成分を分析する。
輝度を増した《セクメト》の意味するところは……
(《LPHA》連結体との通信回復。カメラ映像、来ます!)
國場の疑問にこたえるかのようにモニタに回されたのは、《LPHA》連結体が捉えたセクメトの映像だった。
NASAとJAXA同時に中継されているその画像がモニタに表示された途端、おお、とどよめきが起こった。
それまでレゴリスに覆われた岩石といった形状だった《セクメト》とはまったく異なる小惑星が、そこに浮かんでいた。
鮮やかなエメラルドグリーンをきらめかせる地表面。
鏡面のように磨き上げられた天体表面を持つ、さながら宇宙に浮かぶ翡翠の宝石だった。
さらにその表面には孔雀の羽を思わせる縞模様──擬態模様にもみえるそれは一種の恐怖感を粟立たせて……。
「拡散表面か……っ!」
さも手痛い失敗だといわんばかりに、加瀬は顔をしかめた。
「平滑なランバート面を持つ地表面がレーザーを散乱し、威力が減殺されたと考えられる……」
あまりのことになんと返せばいいのかもわからず、國場は沈黙した。
「小惑星帯で衝突を繰り返すうち、地表面を摩耗し、同時に粉砕した砂が堆積して、《セクメト》は丸みを帯びていったのかもしれない……」
人類の叡智をもってしても敵わぬ相手。
古代エジプトのセクメトの神話通り、まさに人類に鉄槌を下す復讐神だった。
「まだだ……」
絶望で目の前が真っ暗になりそうな思いだったが、國場は頭を振って恐れを締め出そうとする。
まだだ。
まだ《LPHA》連結体は健在。
《響22号》も稼働可能なはずで──。
想定外の事態に右往左往するなと自身に言い聞かせた國場が、次の作戦を提案しようとした。
そのとき。
「NASAから入電!」
管制官の声にはっとして、國場はヘッドセットを耳に当てる。
受信相手はシャイアン・マウンテン空軍基地にいる、エドワード博士からの通信だった。
(《響22号》の冷却が終了次第、第二回目の照射を行う)
米国の威信をかけ、世界中が注目するこのプロジェクトにミスは許されない。
言外の気配にエドワード博士の焦りを察した國場は、
「しかし……」
と懸念の声を上げる。
高い反射能を持つ現在のセクメトに対し、ふたたびレーザーを照射して見込みがあるだろうか?
頭に浮かんだ疑念を口にするのをためらっている間に、
(今の照射で数ミリの軌道変更は確認できた。あとはこれを繰り返し、数ミリを積み上げていくしかない)
とエドワード博士。
「わかりました。よろしくお願いします」
國場はこたえて、通信を切った。