【第5章 星を動かすもの】

第30話

「実は申し上げたき儀がございまして……お邪魔してもよろしいでしょうか?」

『D計画』プロジェクトマネージャーの國場からの電話は、その日の午後にかかってきた。

 その日──2036年8月。
 うだるような暑さの永田町の議員会館12階の事務所にいて、秘書から取り次がれた電話をとった室戸は、憤然とした鼻息を洩らして秘書にスケジュールを確認した。

 日米が国の威信をかけて挑んだ『D計画』は、超高出力レーザー施設の一部炎上によって暗礁に乗り上げたときいている。

 また金をせびりに来るつもりか?
 差し迫った國場の声を訝りながら室戸は、30分だけ面会を許した。

 レーザーによる軌道変更の失敗。
 あれからもう2ヶ月が経過した。

 本当に地球に小惑星が衝突するのか?
 室戸は、クーラーの効いた室内から永田町の道路を見やった。

 そこには、相も変わらず人々の営みがある。
 どんなデータを突きつけられようとも、まったく現実感が沸かない。
 何度目になるだろう。
 室戸はやれやれと大きな嘆息を洩らした。

 果たして國場たちは約束の時間きっかりに訪ねてきた。
 國場のほかにプロジェクトサイエンティストの加瀬。
 それともじゃもじゃ頭の研究者風の男。
 たしか柊とかいったか?

 手土産すら持たず、國場は開口一番、

「時間がありませんので手短に申し上げます」

 と切り出した。

「また金が必要といい出すんじゃないだろうな? それに『D計画』の件、どう落とし前をつけるつもりなんだ、貴様は!」

 原因糾明のだみ声を上げる室戸の相手もそこそこに、加瀬や柊が秘書に頼んで、部屋の片隅にあったプロジェクターを出してきた。
 國場が自らのパソコンを接続する。
 室内の明かりを落とすと同時に映し出されたのは、左手に地球、右手にセクメトと《LPHA》連結体を配したコンピュータ・グラフィックだった。
 プロジェクターの光が室内の男たちを照らす。
 室戸はやれやれと溜息をついた。

「『D計画』の打開策──その素案です」

「《セクメト》の軌道変更は失敗した」

 諦めの悪い連中に教え諭すように室戸はいった。

「もはや《響22号》は稼働不能。あとは《LPHA》をぶつける以外にほか、手立てはないんじゃないかね?」

 軌道変更に失敗した《セクメト》は現在、ふたたび太陽の陰に隠れてしまった。
 小惑星を追跡するように、《LPHA》連結体も航行しているが、イオンエンジンの動力源である電池は消耗し、命運つきかけている。

 聞けば米国はすでに『プランB』を推し進めているという。
 宇宙機を小惑星に衝突させる。
 そのため《LPHA》連結体の運用方針を巡って日米で揉めていると耳にしたことを思い出した。

 レーザーは諦めろ、と口を開きかけた室戸を遮り、國場は意外すぎる言葉を放った。

「これが、我々で練り上げた『D計画』の修正案──『パワーグリッド作戦』です」

 画面が変化した。
 地球をレーザーの網が覆い──《LPHA》連結体に光軸を伸ばす。
 そして収斂されたレーザーが《セクメト》を直撃し……。

「毎秒/1000発、ピーク出力2000兆ワットの超高出力レーザーを生み出す《響22号》は稼働再開まで半年以上の年月がかかります。そこで、1ヶ月以内に実現可能、かつ確実な再計画案がこのオペレーションです」

「確実、か」

 鼻で笑った室戸は執務椅子に背を預けた。

「まあ、聞こう?」

 笑われた國場は気にもせず、

「世界中のレーザー核融合施設のレーザーを、上空に配した《LPHA》に集約。公転軌道面に集め、三億キロ離れた《LPHA》連結体まで届けます」

「レーザーを組み合わせれば強度を増す──その性質を利用した作戦です」

 加瀬が解説を加えた。

「だが、《セクメト》の反射能が予定よりも大きかった、という報告を受けているが?」

「たしかに点による照射だと、レーザーは拡散してしまいます」

 室戸の反論に応じたのは柊だった。

「だったら、ビーム経を広げればいいんです。〝点〟ではなく、〝面〟によるレーザー照射です」

 さらに画面が変わり、レーザー強度を示す関数が表示された。門外漢の室戸にはさっぱりだったが、どうやら面発光のレーザーは一点に集約させるレーザービームよりも威力が拡散しずらいことを示す図のようだった。

「ボールを打つならバットよりラケットというわけです」

 大学時代はテニスを嗜んだ室戸の心をくすぐるかのように、柊は付け加えた。

 対して室戸はそんなおべんちゃらにはごまかされん、という硬い声で、

「しかし、ビーム径を広げるのはいいとして、《LPHA》連結体は面発光の想定はされているのかね?」

 と懸念を示した。

「《LPHA》の平面構造体をリプログラムする必要がありますが、理論上は可能です」

 飄々と柊はいってのけた。

「世界中のレーザー施設から照射すると簡単にいうが……」

 室戸は人差し指を振り上げた。

「そもそも『D計画』の意義は日本の工学技術を世界に知らしめるという部分にあったんじゃないのかね? 日米共同となっても、日本の貢献度は認められてきた。しかし、それが世界中の力を合わせてとなれば、日本の技術的優位が失われはせんか?」

「いいえ、失われません」

 國場は断言する。

「なぜなら、世界をひとつにまとめあげるのが、日本だからです」

「日本がリーダーシップで世界をまとめあげる……そんな絵空事が実現すると、本気で……君は本気で思っているのか、え?」

「そうでなければ、私たちはここにはいません」

 毅然と國場はこたえた。

「ただ、先生にはこれから外交工作をお願いせねばならないですが」

「外交工作だと?」

「はい」

 この地球を動かす──そんな信念を宿した國場たちの真っ直ぐな目を受け止めた室戸は、ようやく彼らがいわんとすることを理解した。
 どうやら純粋な想いだけではなく、それなりに汚れ仕事も覚悟してのことらしい。

 ただ、その汚れ仕事を請け負う身をこの老体に押し付けようとは……。

 なかなか骨のある男だ。
 國場の厚かましさに、腹が立つより晴れ晴れしい、というようにフン!と鼻を鳴らした室戸は、

「土下座外交と経済協力という名のカネのばらまきか……」

 と半ば呆然とつぶやいた。
 なぜ面会の時間を作ってしまったのか。軽く後悔の念が室戸を襲う。
 晩節を汚してでも、やりがいのある仕事か?
 自問した室戸はすぐに自答の声を國場に放った。

「わかった。批判はこのわしが……室戸哲郎が引き受けよう」

「感謝します」

 國場たちがいっせいに頭を下げた。

「そんな食えんもんはいらん!」

 ぎろり、と室戸は國場を睨めつけた。
 頭を上げた國場もしっかり室戸の目を受け止める。

「なんとしてでも《セクメト》を動かせ!」