【第5章 星を動かすもの】
第33話
作戦開始30分前。
計算通り《セクメト》の姿が観測された。
電池節約のためにセーフモードに入っていた《LPHA》連結体も起動し、そのカメラから鮮やかなグリーンに輝く《セクメト》の姿を地上に送り届けてくる。
「おいでなすったか……」
國場が唸るようにいった。
「現状の軌道のままでは、地球への衝突確率は67%。六割を越えている」
それはもはやトリノスケールが想定していた警戒レベルを遥かに超えるものだった。
加瀬の軌道計算の正しさは、予定時刻通りに姿を表した《セクメト》自身が証明してみせた。
作戦は、なんとしてでも成功させねばならない。
「しかし、もし作戦が成功しても、軌道結果がでるのは来年だ」
人類の命運をかけた作戦を前に、相変わらず加瀬の言葉は落ち着いている。
「『パワーグリッド作戦』後、起動計算に必要な観測ができぬままに、セクメトはふたたび太陽の陰にかくれる。そして、今度姿を現したときは──」
「──人類に残された時間は3年だ」
加瀬から言葉を引き取った國場がいった。
「3年で対策を講じるのは事実上不可能ということですか」
「どうするんだ? もしそれで失敗だったとわかったら──」
「決まっています」
國場は即答した。
「それでも別の作戦を立案するだけです」
「あきらめず、ただひたすらに、か?」
加瀬が問う。
「ええ……」
まったく根拠もなく、つぶやかれたその言葉に加瀬は呆れるしかなかった
「相変わらずだな」
「加瀬さんも力を貸してください」
「俺はもう歳だ」
そういって加瀬は眼鏡を押し上げ、皺を刻んだ頬を歪ませる。
もう加瀬も58歳を迎えていた。
「最近、徹夜が堪える」
「なら、フレックスタイム制を導入しますか」
面白がるように國場はこたえる。
鼻で笑った加瀬は、
「お前は鬼だな……」
といって静かに笑った。
その直後、
(作戦時間です)
とオペレーターの緊張した声が放たれた。
國場と加瀬は決然たる表情で、情報が飛び交う中央モニタを見上げた。
「『パワーグリッド作戦』、開始してください」
國場が号令した。
作戦が、開始された。
(各局よりレーザー照射を確認!)
(レーザー、公転面へ収束!)
世界各地から空に向かって照射されたレーザーは、公転軌道上に配置された各二次元光学フェーズドアレイ装置拠点に集約され、そこから3億キロ離れた宇宙空間──《LPHA》連結体へ送られていく。
各国を代表する施設から放たれたレーザーを組み合わせ、ビームの網目を形成する。
『パワーグリッド作戦』の開始だった。中空に大出力レーザーを放ち、電磁波を放つため、この作戦時間中は全世界の航空機が『D計画』のために欠航となっている。
まさに地球全土を巻き込んだ作戦であった。
(現在、レーザー収束、10億キロワット毎秒)
集約レーザーの強度は、各拠点基地で計測している。
日本が運用担当する木曽根の地上用《LPHA》集約場からモニタリングされているデータを眺めながら、國場は双眸に力を込めて見守った。
(各レーザー施設連射稼働時間、限界を迎えつつあります!)
「まだだ!」
國場が訴えた。
「連結体にピーク出力2000兆ワットを送り届けなければ意味がない! こらえるんだ!」
《響20号》がそうであったように、毎秒/1000発のレーザーを、ピーク 出力2000兆ワットで照射し続けられる稼働時間には限りがある。とはいえ、想定出力に達しなければ、《セクメト》の軌道変更はかなわない。この機を逃せば、人類は軌道変更の機会を失う。妥協は許されなかった。
(公転面でのレーザー収束、ピーク出力1000兆ワットを突破!)
(レーザー照射、全局確認しました!)
(限界時間まで、あと5分……想定の出力に達していません)
予定量に達しないまま連結体へ照射すべきか?
國場は躊躇った。
いや、ダメだ。
すぐに思い浮かんだ譲歩の念を打ち消す。
なにか打開策はないのか?
ここまで我々は乗り越えてきたというのに……。
そのとき、國場の耳朶を打ったのは、想定外の管制官の声だった。
(中国、ロシア方面より、予定量以上のエネルギー量を確認!)
「中ロが?」
国連の宇宙空間平和利用委員会で可決された全世界各国の『D計画』への協力要請だったが、日米主導の『D計画』に最後まで否定的だったのが中国・ロシアだった。
その中ロの予想以上のエネルギーを得られたのは……。
「室戸さんだろう」
片頬を歪ませ、加瀬がいった。
「中ロの交渉には最後まで手間取っていたが、協力を引き出してくれたんだろう」
ぐっと目をつむり、室戸議員に謝意を伝える。
(レーザー、ピーク出力2000兆ワット突破! いけます!)
「レーザー照射を開始!」
合図とともに、公転面に設置された拠点施設から、レーザーが打ち上げられた。
加瀬の軌道計算通りの弾道を描いた幾筋かの光軸は、途中でビーム結合され、3億キロ離れた1点へ──《LPHA》連結体へ収束される。
ここから柊が再プログラムした面発光レーザーが活躍する。
連結体に到達したレーザーは二次元光学フェーズドアレイ装置に組み込まれた素子上で変換され、ビーム経を広げたレーザーがセクメトを飲み込む。
光の帯に飲まれた《セクメト》は、毎秒/1000発、ピーク出力2000兆ワット──人類消費電力の一〇〇〇倍──をぶつけられ、数十メートル軌道を押されるされるはずだ。
たとえ反射能を持つ地表面の拡散力をもってしても。
そして、数十メートルのズレは、地球への衝突可能性時期として想定される2040年には何十キロにも累積され、地球の脇を通過していくはずで──。
(《セクメト》の軌道変更を観測! 距離、数メートル!)
おお、と運用管制室がどよめく。
3億キロ彼方のタイムラグにどぎまぎしながらも、少しずつ、確実に、と祈るように國場は何度もつぶやいた。
(あと一息だ!)
(レーザー、照射限界時間を迎えます!)
(グアム局、木曽根局、レーザー停止!)
(地上照射エネルギー、急速低下!)
まるで突然、魔法が解けてしまったかのようだった。
レーザー網を形成していた中空のビームは消え去り、観測データも静まり返った。
(セクメト、観測圏外へ!)
「出来得る限りの観測を! 各局追尾急いでくれ!」
加瀬の指示が飛ぶ中、國場は両手を強く握りしめ、もはや祈りというより執念に近い感情が、國場の体から飛び出していくようだった。
動け、動け、動いてくれ──。