PHASE=009 オペレーション・パワー・グリッド(前編)相互接続を回復せよ! Laser-Triggered Lightning
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16:30PM 聖光学園中学校 体育館裏上空(作戦開始30分前)
朝から降りつづいた大雨は小降りになり、京都は小雨に煙ぶっていた。
空はコンクリートで塗り固めたような鈍[にび]色で、吹き荒れる強風が低層雲をどんどん押し流していく。
もうすぐ、暴風雨[テンペスト]がくる——。
天候は〝嵐の前の静けさ〟と呼ぶべき小休止に入っていた。
大雨警報を受け、各小中高の生徒たちは緊急下校を余儀なくされた。
だから下校時間にもかかわらず、通学路に子どもたちの姿はなかった。
道路を行き交うタクシーやバス、車も鳴りを潜めている。
街にはただ、雨風が建造物に、看板に、道路にしとしと降りそそぐ音だけが、縦横無尽に暴れ回っている。
嵐を前に、ほぼ無人となった下鴨の空——分厚い雲間を縫って飛ぶ3つの光があった。
魔光少女に変身し、鋼鉄のほうきとも呼ぶべきフォトナイザーにまたがる紅光響と石英すみれ。
それに提灯の先端を灯して少女たちを導く《アンコ》だった。
小雨でじっとり戦闘服[バトル・ドレス]を湿らせた響たちは、肌にまとわりつく濡れた服の不快感に耐えながら、黙々と作業に徹していた。
響、すみれ、《アンコ》——3者の利得媒質[オプト・クリスタル]から発した光を結束させて、光貨物網[レーザー・カーゴ]を形成していたのだ。
響たちのレーザー・カーゴに乗網するのは、ケイ素生命体の恒星間宇宙船《ダイソン》の残骸だ。
本来、《ジェイド》と相互接続[コミュニケート]し、彼らの〝巣〟——心の座として機能するはずの《ダイソン》は、制御不能[アウト・オブ・コントロール]に陥り、地球に墜落。
侵略モードに移行した宇宙船は、 強力な外宇宙のレーザー攻撃によって京都の町を焼き尽くすところだった。
魔光少女に変身し、《ダイソン》を破壊した響は、外宇宙からの漂流者《アンコ》とともにこの残骸を聖光学園中学の体育館の裏山に移送した。
それから約3ヶ月。
光学的遮蔽工作[コンシールメント]によって透明になった宇宙船は、定期的に《アンコ》の手による修繕を受けていた。
学校の裏山で秘密裏に修復していた宇宙船を運ぶ理由——それは間もなく京都市にやってくる暴風雨と無関係ではなかった。
(思ったより雷雲内の電位推移がはやいな……)
《アンコ》は細かな口ひげをぴんと逆立てて媒質通信[オプト・リンク]を飛ばす。
途端、ストロボを焚いたような強烈な光が雲間を照らし出した。
「きゃっ!」
思わず響がびくっと身を縮め、雷鳴の爆音に備える。
まぶたを閉じても目に焼きつくような閃光だった。
ところが、雷鳴は轟かなかった。
轟音をともなわないこの稲妻は、京都市から離れた場所で雷雲の活動が活発になっていることを示唆するものだった。
雲が反射板[リフレクター]の役割を果たし、遠方で起きた雷の光を反射したのだ。
だとしても、予断は許されない——。
(作戦開始時刻を、15分早めよう……)
必要最低限の会話だけで《アンコ》はリンクを締めくくった。
これまで、現れた《ジェイド》を倒すしかなかった魔光少女たちにとって、今回の暴風雨は、はじめて攻勢に転ずるためのまたとない好機[チャンス]だった。
それどころか、制御不能[アウト・オブ・コントロール]となって京都に散らばった《ジェイド》の相互接続[コミュニケーション]を回復し、一網打尽に捕捉・尽滅できる唯一の解決策[ソリューション]だった。
3:00AM 紅光家響の部屋(作戦開始14時間前)
ぬめり気のある平たい〝何か〟が、すやすやと眠る響の頬をぺたぺたと小刻みに叩いてきた。
重たいまぶたをうっすらと開ける。
ベッドで横になる響の横で、《アンコ》が尾ひれを振っている。
「もう! 何してるの!? 起きちゃったよお……」
眠たい目をこすりながら、響はむにゃむにゃと口内を鳴らした。
時計を確認する。
「午前3時ぃ!? 何考えてるの!?」
尾ひれを振るのを我慢して、《アンコ》が恥ずかしそうにリンクする。
(すまん、自分でもうまく説明できないのだが……君たち人間の感情でいえば、遠足前の子どものような感懐とでもいうべきか……ざっくばらんに言えば、わたしはいま、〝テンションが上がってる〟状態なんだ)
(どういうこと……ふはあ……)
たまらず響が大きなあくびを漏らす。
(……嵐が近づいている)
(だから?)
(おそらく、雲のなかの放電現象が原因だろう)
(放電……って、雷ってこと? たしかあしたは暴風雨になるって夕方のニュースでいってたけど……)
(なんということだ……)
(え?)
(わたしはチョウチンアンコウの外見を有し、こうしてきみと話をしているが、思考しているのはあくまでチョウチンアンコウではなく、わたしの背中に張りつく自律制御[セルフ・ガバナンス]型の群[スウォーム]兵器《ジェイド》だ。つまり、わたしは《ジェイド》である……)
突如、饒舌に語りはじめた《アンコ》の話を頭に入れようと、響は必死に眠気と戦う。
(響、大切な話だ。いいかね? 私とおなじように、嵐を前にして、ほかの《ジェイド》も〝テンションが上がって〟いたとしたら、どうだ?)
《アンコ》の話の落としどころがわからず、響は眉根を寄せた。
(思い出して欲しい)
《アンコ》が辛抱強くつづける。
(《ジェイド》は本来、光エネルギーを吸収すべく宇宙に放たれた兵器だ。制御不能[アウト・オブ・コントロール]になったいまも、彼らは光を求めて京都に散っている……)
ようやく眠気から醒め、思考を紡げるようになってきた響が疑問を差し挟む。
(京都市中に散らばった《ジェイド》たちが、雷の光を吸収しようとして反応してるってこと?)
(少なくともわたしは——わたしの背中に張りつくこの翡翠石は、本能[プログラム]のおもむくままに、雷の高エネルギーを吸収しようとして、うずいている……)
(《ジェイド》たちが雷の高エネルギーを吸収したら、エントロピーの限界を超えて、オプト・クリスタルが闇に……ブラック・ホールに転移しちゃう!?)
(それは心配ない。雷の電力は一般家庭電力の約2ヶ月分程度だ。われわれ《ジェイド》は、それとは比べものにならないくらい莫大な恒星が発するエネルギーを採取するために設計されている)
(じゃあ……)
(ピンチではなく、好機[チャンス]だということだ。京都に散らばった《ジェイド》がいっせいに雷に反応し、この高エネルギーを吸収しようとする。ということは、彼らを一網打尽にするまたとない絶好の機会ということにはならないか?)
(でも、どうやって……?)
(《ジェイド》はオプト・クリスタルのレーザーによって稲妻を誘雷するだろう)
(レーザー誘雷……)
(レーザー誘雷とは、本来、誘雷塔先端に大出力のレーザーを集光してレーザープラズマを生成。雷雲まで光が到達することによって、雷電荷を中和させ、落雷エネルギーを吸収する——。
この原理と同じように、京都中にいる《ジェイド》が、雷雲に向かって避雷針代わりのレーザーをいっせいに進展させたらどうなるか。想像してみて欲しい)
1点に向かって直進レーザーが収斂されていく——。
美術の時間に習った2点透視図法[パース]を想像[イメージ]した響の脳裡で、線と線とが交わり、格子[グリッド]を形成する。
頭のなかでイメージが形になるのをじゅうぶんに待ってから《アンコ》がつづける。
(各地点より進展したレーザーとレーザーが交錯し、光格子[パワー・グリッド]を結ぶ。
この結び目[ノード]を引き揚げ、《ダイソン》と結線させれば、相互接続[コミュニケーション]を復活することができるのではないか……)
(そうすれば、《ジェイド》を制御[コントロール]できる……)
はじめて《アンコ》が興奮している意味を理解したかのように、響が言った。
16:45PM 大文字山(作戦開始15分前)
発達した分厚い雨雲が墨色に染まる。
大きくて重たい雨粒は、急激に大地へと降りそそいだ。
地面はうっすら水たまりの膜で覆われ、落ちた雨粒が跳ねて小さな水柱を立てていた。
斜めに吹き荒れる大雨のなか、蜂の巣[ハニカム構造]の集積体である恒星間宇宙船《ダイソン》は、大文字山の火床に設置され、響たちによって仮設誘雷塔へと改築されていた。
天へと伸ばすその先端で、レーザーを上空へと進展させる集光鏡[ミラー]を設置する響とすみれが作業をつづけている。
「ねえ、響……」
濡れた前髪をかきあげて、すみれが響に尋ねた。
「散らばっている《ジェイド》を集める今次作戦——。ってことは、《ジェイド》が京都に散らばっていることを前提にしてるってことだよね? でも、疑問に思ったことはない? 《ジェイド》って、わたしたちの身の回りにばかり現れている気がしない?)
たしかにすみれの指摘はもっともだった。
学校に現れた《ジェイド》はもちろん、地下鉄に現れたモグラ《ジェイド》も、水族館に現れたイルカ《ジェイド》も。
偶然にしては、できすぎている。
(すみれちゃんは、わたしたちと《ジェイド》を戦わせるために、誰かが横やりをいれてるんじゃないかって感じてるってこと?)
(作為的だとは思わない? ほんとうに《ジェイド》は制御不能[アウト・オブ・コントロール]なのかな?)
響の脳裡に〝黒い魔光少女〟の存在が浮かぶ。
しかし、彼女が《ジェイド》を操っているとして、響とすみれに《ジェイド》と戦わせて、得することとはいったいなんなのか……?
相互接続[コミュニケーション]を断絶した《ジェイド》は、見境なく光を吸収しようとする。
それ以上の意図が果たして存在するのか……?
紡いだ思考を断絶するように、《アンコ》のリンクが入ってきた。
(響、すみれ、作戦概要を伝える!!)
2
17:15PM 大文字山(作戦開始時刻)
《アンコ》は、《ダイソン》仮設誘雷塔の足下で響たちの作業が完了するのを待ち構えていた。
(落雷エネルギーを吸収しようと、市内各地点より複数体の《ジェイド》が放つであろう誘雷レーザーが上空で交錯し、光格子[パワー・グリッド]を結んだ瞬間、地上よりモード同期[ロック]レーザーを射出。
《ダイソン》仮設誘雷塔の集光鏡を通じて増幅されたモード同期レーザーはCPA[チャープパルス]増幅され、雷雲へ進展する。
つづいてこのCPAレーザーが落雷エネルギーを中和、空振りに終わった各地点《ジェイド》たちのパワー・グリッドの結束点[ノード]をフォトニック・アンプリファによって引き揚げる)
(つまり、引き網漁みたいに《ジェイド》を一気に捕まえるってことね?)
作戦を理解していることを示すように、響が応える。
(その通りだ。そうして最後に《ダイソン》とパワー・グリッドを結線させて《ジェイド》の相互接続[コミュニケーション]を復活させる)
少女たちの覚悟を窺うように、《アンコ》がそこでリンクを区切った。
(やれるかね……?)
(世界から切り離されて、ひとりぼっちになってる《ジェイド》たちの接続を繋ぎ直すことができれば、もう地球上の生き物と結合した敵を倒さなくて良くなる)
フォトナイザーを握り直した響がリンクした。
(大丈夫。絶対、成功させる……)
(わたしも……響がいっしょなら……やれると思う)
すみれが響につづいて意気込みを表明する。
(——では、作戦決行だ。担当を伝える! すみれ、きみにはモード同期レーザーの射出を頼みたい)
響ではなく、自分が指名されたことに驚くように、すみれは自分を指さした。
(わたしが?)
疑問に答えるように《アンコ》が言う。
(集中力の持続力は、すみれのほうが上だからな)
(悪かったわね、飽きっぽくてぇ……)
響が片頬を膨らませて口をすぼめる。
(光の痕跡[トレイル]を〝読める〟響には、きみにしかできないことがあるんだ……)
《アンコ》が意味深に前置きした。
(きみには、落雷エネルギーを吸収しようと誘雷レーザーを伸ばす《ジェイド》たちの機先を制し、彼らを一網打尽にして欲しい)
(フォトニック・アンプリファでパワー・グリッドを引き揚げればいいのね?)
フォトナイザーをしっかりと両手で構えて、響が応じる。
しっかりと頷いた《アンコ》は、指揮官さながらに宣言した。
(オペレーション・パワー・グリッド、発令!)
(了解!)
響がフォトナイザーにまたがって、急速反転。
遠雷轟く空高く急速上昇した。
いっぽう、バッターボックスに入る前の野球選手がごとく、すみれはフォトナイザーを振ってその先端に内蔵[ドープ]された紫水晶[アメシスト]を《ダイソン》仮設誘雷塔へと差し向けた。
防眩バイザーで顔を覆い、思念を集中させて、モード同期レーザーの発射カウントダウンに入る。
(響、すみれ、頼んだぞ……)
仮設誘雷塔の操作盤[コンソール]にとりついた《アンコ》が、祈るようなリンクを飛ばした。
コンソールのモニターには、雷雲の発達状況と《ダイソン》の状況[ステータス]が表示[ディスプレイ]されている。
シュミレーションよりも早く、雷雲はその上層と下層とで電位差違を増大させていった。
ゴゴゴゴゴォォォォォォォ……。
お腹まで振動が伝わってくるような、大きな遠雷が轟いた。
刹那、モニターが警告を発するように真っ赤に染め上げられていく。
(雷雲内、電位差急上昇! 来るぞ!)
空を覆う重たい雨雲によって真っ暗闇になった市内の各地点から、淡く、か細い緑色の光が堰を切ったように伸びはじめた。
真っ黒い空に緑色の光格子が形成される様は、粗いドットのマイコン画面に表示されるプログラミング画面のようだった。
上空で交錯した緑色の光軸が細かな格子柄——パワー・グリッドを結びつつあった。
(モード同期レーザー、発射!)
途端にすみれが宣言し、仮設誘雷塔の先端めがけてモード同期レーザーを発射する。
《ダイソン》仮設誘雷塔に設置された複数の集光鏡がすみれのレーザーを反射し、CPA[チャープパルス]増幅させる。
《アンコ》の見つめるモニターには、複数個の集光鏡を通過するごとにエネルギーの嵩[かさ]を増していく様が克明に記録されていた。
(いけるぞ、あともう少しだ……)
祈るような《アンコ》のつぶやきがリンクに乗る。
それは響たちも同じ想いだった。
次の瞬間、CPA[チャープパルス]増幅によって限界点に達したモード同期レーザーが仮設誘雷塔からほとばしった。
最大出力で放たれたレーザーが雨雲に向かって昇天していく。
みんなの祈り、願いを込めた光の柱は、曇天の空に屹立し、直後に瞬く落雷のエネルギーをすべて中和する……そのはずだった。
(別地点より高出力レーザー反応!?)
《アンコ》のコンソールが、さらに別の警告画面に塗り替えられてしまう。
(どういうこと、《アンコ》!?)
上空ですみれたちの様子を見守りながら、響が現状把握を促す。
間もなく大文字山南西方向から、暈[かさ]をつけた黒い光が射出されたのが目に見えた。
黒い光——。
相反するようだが、そうとしか形容できない、真っ黒い光が、狙い撃ちするように大文字山へと直進し、《ダイソン》仮設誘雷塔めがけて進展してくる。
(反[ブラック]レーザー……超純度高密度吸収性ケイ素結晶体がなければ、発射できないはず……)
慄然と《アンコ》がつぶやいた。
(まさか……ありえん! 《ジェイド》を制御[コントロール]しているとでもいうのか!?)
(何なの、これ!?)
響はフォトナイザーで光の障壁[バリア]を形成し、すみれたちを守ろうとした。
紅いバリアにぶつかった黒いエネルギー帯は、火花を散らすようにほとばしった。
紅と黒。
プラスとマイナスで色分けされた電線のように、くっきり色分けされたエネルギー勢力が互いにせめぎ合う。
どこまでも長く伸びる剣のように鋭く進展した黒色の光の奔流は、紅水晶[ローズ・クォーツ]が形成した光エネルギーを吸収しはじめた。
(エネルギーが……吸い取られてる!?)
どんなに踏ん張ってもどんどん小さくなっていく自分のバリアに焦燥感を募らせ、響は叫んだ。
(ダメ! 逃げて!)
間もなく、響のエネルギーを吸収した反[ブラック]レーザーはバリアを突破し、大文字山に直進した。
死守しきれず、はじき飛ばされた響が振り返る間もなく、南西方面から猪突した黒いレーザーが、火床との間に橋をかけるようにして両地点をつないだ。
直後、爆発に山が激しく震えた。
もくもくと立ちのぼる爆煙に包まれた周囲一体は、完全に視界を奪い、すみれと《アンコ》の安否を不明瞭にした。
(すみれ、《アンコ》!)