PHASE=012 武装地帯 Force of Will
1
大文字山から見渡す京都市の夜景は、烏丸[からすま]のオフィス街を中心にきら星のごとく瞬いていた。
今、魔光少女の変身を解き、緑色の制服をまとった紅光[くれみつ]響と石英[せきえい]すみれたちは、大文字山の火床を目指してゆるやかな山道を歩かされていた。
時折、林の暗闇の向こうから獣の鳴き声がこだまし、風になびくのとは明らかに違う挙動で草や笹が不自然に揺れる……。
桂イノベーションパークで正体を現した黒い魔光少女——黒森ゆう子は、父・黒森博士率いる特殊部隊ともども響たちを包囲し、恒星間宇宙船《ダイソン》が光学的遮蔽工作[コンシールメント]されている場所まで案内するよう強要した。
黒森研の特殊部隊が携行するレーザー機関銃の銃口は、一分の隙もなく響とすみれの背中に突きつけられている。
《アンコ》は提灯の先端に灯る利得媒質[オプト・クリスタル]で一行を先導せざるをえなかった……。
黒い魔光少女と黒森研の特殊部隊が携行する重機関銃——。
それは《ジェイド》と結合させることではじめて携帯可能になったレーザー兵器だった。
光線[レーザー]銃は本来、巨大な発電所に匹敵する出力を持ちながら携帯可能な動力源がなければ兵器としては無意味[ナンセンス]だ。
それを可能にしたのが外宇宙の未知の光テクノロジー、魔光だった。
黒い魔光少女の反[ブラック]レーザーと、レーザー兵器で武装した特殊部隊。
抵抗したところで彼我兵力差は歴然であり、響たちは一瞬で灰にされてしまうだろう……。
「速度を緩めるな!」
隊員の声で現実に引き戻された響の意識が、あらためて押し当てられた銃口の重みを知覚させる。
響は殿[しんがり]を務めるゆう子にちらと目を向けた。
表情を消した先輩は傍らの黒森博士に寄り添うようにして歩いていた。
響の視線に気づいた黒森博士がまた不気味な引きつり笑いを見せる。
(《アンコ》……ゆう子先輩はほんとうに《ジェイド》と結合していないの?)
前に向き直った響が《アンコ》に媒質通信[オプト・リンク]を送る。
(《ダイソン》を攻撃してきたことからもそれは明らかだ。
《ジェイド》は母艦である《ダイソン》を破壊できないようプログラムされているからな)
《アンコ》は特殊部隊に気づかれないよう暗号鍵[プロテクト]をかけてリンクした。
(《ダイソン》を破壊されたら、《ジェイド》の制御不能[アウト・オブ・コントロール]を修復することはできなくなる?)
(ああ。《ダイソン》はキミたち人間で言うところの集団深層無意識を司っている)
(集団深層無意識……)
(世界各国の神話や死後の世界に共通項が見られるのは、そういった集団深層無意識下で人間の精神がリンクしており、どこかにその雛形[アーキタイプ]が存在するからだという……)
(じゃあ、この人たちが《ダイソン》を破壊した後は?)
(これはあくまで憶測の域を出ないが、携行可能なレーザー兵器を開発している黒森研は、人間との共存を選択するだろう)
(共存……)
(正確には共存という名の実行支配だ。
彼らは人間と結合し、地球を破壊するよりも人間を乗っ取るほうが合理的だと考えたのだろう)
(乗っ取る……?)
オプト・リンクと同時に、黒森博士についての情報が響の脳内に流れ込んでくる。
(黒森博士はアメリカ国防高等研究計画局[DARPA]でレーザー核融合の研究をしていたそうだ。
特殊部隊に《ジェイド》を結合させることができたのも、そういった繋がりがあったからだろう。
レーザー兵器のテクノロジーを背景に、博士は——いや、《ジェイド》は、この世界で最も力を持つ軍隊に影響力を持つようになる……)
(そこで邪魔になるのが《ダイソン》なの?)
(われわれ《ジェイド》は、あらゆる惑星のあらゆる環境に適応すべく柔軟性が与えられている。
生物や無機質と結合し、創発[エマージェンス]が可能なのはそのためだ。
しかし、《ジェイド》を束ねる精神の座——《ダイソン》には適応力が求められていない。
人類の雛形[アーキタイプ]が揺るがないようにね。
それ故、《ジェイド》の新たな方向性を打ち出す警備[セキュア]プログラムたる彼らはこの惑星の生存競争を生き延びていく上で不要であると考えるようになったのだろう……)
ほどなくして一行は大文字山の火床に到着した。
「設計士[アーキテクチャ]」
着くなり黒森博士が《アンコ》に結合する《ジェイド》本来に組みこまれているスイートとしての名前で呼んだ。
「《ダイソン》の光学的遮蔽工作[コンシールメント]を解いてもらおう?
苦り切った《アンコ》が進み出て、透明な壁を見上げるような挙動で起動パスワードを唱え出した。
「ÉpÉXÉèÅ[ÉhÇïé¶Ç≥ÇπÇÈ]
そのとき、ネオン管が発するような放電音が響たちの耳を劈[つんざ]いた。
途端、透明になっていたはずの《ダイソン》が、砂嵐[ノイズ]まじりに可視化される。
ハニカム孔で埋め尽くされた楕円形のそれは、先の戦闘で一部が破壊されていた。
焼けただれ、黒焦げて歪んだハニカム孔が瘴気[しょうき]を含んでいる。
途端、黒森研の特殊部隊が隊列を組んで、レーザー機関銃を構えた。
「やれ」
黒森博士が短く言い放つ。
同時に居並ぶ銃口から翡翠[ひすい]色の励起光が迸[ほとばし]った。
沈黙を守る《ダイソン》は光障壁[バリア]を展開することなく直撃を受ける。
レーザーによって加熱された特殊装甲がオレンジ色に焼かれていった。
「出力を上げろ!」
黒森博士がまた叫んだ。
銃口から走る翡翠色の励起光の帯が太くなり、《ダイソン》への攻撃が強まっていることを伝えた。
それでも持ち堪える《ダイソン》をじれったく思ったのか、傍らで待機する娘に博士が言った。
「ゆう子、頼む」
「はい……」
ゆう子先輩が黒水晶[モーリオン]を取り出した。
間もなく《ダイソン》が加熱されるオレンジ色に照らされたゆう子先輩が黒い魔光少女に変身する。
円筒型[シリンドリカル]の超純度高密度吸収性ケイ素結晶体を操る黒い魔光少女が、綱引きのようにフォトナイザーを構え、彼女の周りに浮かぶ結晶体が衛星のように周回運動してから直列に並ぶ。
「ブラック・ソリッド・マキシマム!」
黒水晶[モーリオン]から放たれた励起光が結晶体を通じて反[ブラック]レーザーを放った。
その大出力のレーザーが直撃すれば、《ダイソン》は破壊される……そのはずだった。
黒いレーザーが放たれた直後、《ダイソン》がゆっくりと起き上がり始めたのだった。
何が起きているのか——?
響が《アンコ》に視線を投げた。
彼はただならぬ表情をしていた。
可視化された恒星間宇宙船が、その焼きただれた鋼鉄の割れ目から、泡立つような翡翠色の柔肉を増殖しはじめた。
七曲がりになった柔肉はその先端を幾何学模様[アラベスク]に枝分かれさせながら触手を伸ばし、腕状突起を創発[エマージェント]する。
そのしなやかで柔和なそれは、女性のやわらかな腕を想起させた。
翡翠色の柔肉の表面にちらちらと点滅する緑色の光点は、船内に残存していた《ジェイド》群に他ならなかった。
大地を揺らし、腕状突起を使って身を起こした《ダイソン》が創発した触手で特殊部隊をなぎ払う。
抵抗した隊員のレーザー機関銃の火花が連続して咲いた。
だが、隊員たちの苦労もむなしく、彼らは柔肉の触手の先端から放たれたレーザーを照射されると、膝からがっくり倒れてしまった。
まるで魂を吸い取られたように……。
「オプト・クリスタル・プリズムアップ!」
響とすみれがオプト・クリスタルに叫んで魔光少女に変身する。
宇宙船——否、もはや怪獣のように変貌を遂げた《ダイソン》に、フォトナイザーを構えようとしたそのとき、宇宙船は黒森博士めがけて攻撃を開始する。
風を切って博士に迫る触手の存在に気づいたゆう子は、その身を父の前に投げ出す。
《ダイソン》の触手がゆう子にからみつき、縛りあげていく。
黒い魔光少女をがっしりと捉えた《ダイソン》は、再び翡翠色のレーザーを先輩に照射した。
次の瞬間、ゆう子先輩は特殊部隊の男たちと同じように、ごろん、と地面に転がった。
「響! 君もやられるぞ!」
次々に迫る触手を躱[かわ]しながら、響は黒森博士の姿を探す。
博士はその場から立ち去ろうとしていた。
だが、《ダイソン》は見逃さない。
黒森博士にも同じようにレーザーを照射すると、突然《ダイソン》は活動を停止した。
2
まるで魂の抜け殻のようにその場に立ち尽くす黒森博士とゆう子先輩を前に、響たちは戸惑いを隠せなかった。
「いったい、なにが起きたの……?」
(スローライト[slow light]か……)
《アンコ》が《ダイソン》を見上げてリンクする。
(光の速度は、光が通過する媒質の屈折率に比例して遅くなる。
媒質の屈折率を何らかの要因で高くすることによって、光の伝播速度を遅くすることができるんだ)
(要するに、《ダイソン》の中に先輩たちが——光となった〝意志〟が閉じ込められたってこと?)
すみれが確認する。
(〝意志〟を光に変換し、オプト・クリスタルに送り込むのは危険だ。
ケイ素生命体は予測不能の意志という名のエネルギーを制御できなかった。
結果、銀河系に特異点[ワームホール]を生みだしてしまった……)
(じゃあ、どうするの?)
すみれが問うて、ふっと沈黙が降りた。
《アンコ》が響に決断を促すように向き合った。
(……響、《ダイソン》を破壊してくれ!)
(先輩を助ける方法はないの?)
(魔光のテクノロジーによって、〝意志〟を《ダイソン》のプログラム内にアップロードするしかない。
《ダイソン》の中にいる彼女の〝意志〟を連れ戻し、肉体に再構築[インスタント]すれば、あるいは……)
(やるわ)
響が即答し、《アンコ》がまごつく。
(反レーザーを打ち負かしたとき、君も体験しただろう。
オプト・クリスタルに思念を送り込めば、どんなエネルギーの創発がおこるかわからない。
危険だ……)
ゆう子先輩の反レーザーをはじき返した響は、怒りにまかせて紅水晶[ローズ・クォーツ]に思念を送り、莫大なエネルギーを創発[エマージェンス]させた。
たしかに、オプト・クリスタルに人間の感情を送り込むことは危険なのかもしれない。
でも、だからこそ起こせる奇跡もあるのではないか。
破壊だけではない、奇跡を——。
すみれと《アンコ》を守るために、敵の攻撃をはじき返した響のように。
(それでも私は先輩を助けたい!)
響がリンクする。
(先輩ひとり助けられなくって、どうして京都の町を救えるの!?)
無言で《アンコ》が響に背を向け、変わり果てた《ダイソン》を見上げる。
(わかった。信じよう。人類を。
魔光少女の奇跡を……)
リンクしてから《アンコ》は外宇宙の言葉で何やら唱えはじめた。
「à”éuÇÉIÉvÉgÉNÉäÉXÉ^ÉãÇ…çûÇflÇÊ」
途端、変身を解いた響が膝をついてその場に倒れた。
フォトナイザーを地に落とし、紅水晶[ローズ・クォーツ]が地に転がった。
「響!」
すみれが響に駆け寄る。
直後、宙に浮いていた《アンコ》も急に意識を失って地面に倒れた。
光が、天から降ってくる——。
一瞬、目もくらむほどのまばゆさに包まれ、前後不覚に陥った響が意識を取り戻す。
彼女の〝意志〟はいま、光に包まれて《ダイソン》のプログラム内を漂っていた。
果てしなくつづく広大な空間——まるで太平洋にぽつりと放り出されたようだった——に光軸が幾筋も幾筋も走っている。
だが、光軸は決して無造作に線が絡み合っているわけではなさそうだった。
厖大[ぼうだい]な光軸すべてに存在意義があり、すべてが計算されて配置されている。
可視化された《ダイソン》のプログラム内に光の〝意志〟となって浮かぶ響の目の前に、同じように〝意志〟となった《アンコ》が現れる。
(時間がない……。
私は水先案内人[エージェント]として君を先導する。
君の先輩の〝意志〟のみを見つけ出し、再構築[インスタンス]するんだ)
そうリンクして、《アンコ》が《ダイソン》のプログラム——光軸の集積体に向き直った。
ハニカム模様の集積体にはアラベスク模様を描く防壁[ファイヤーウォール]が幾重にも織り込まれている。
その防壁[ファイヤーウォール]のひとつに向かって呪文のようなパスワードを唱えると、まるで織り込まれた絨毯の糸が解けて空中分解していくように、通り道を穿[うが]った。
(いくぞ、響!)
(任せて!)
そこからは一気呵成[いっきかせい]だった。
文字通り光の速さで《ダイソン》内のプログラムを疾[はし]る響と《アンコ》は、中心部にばく進していった。
突然、ビープ音が響の脳内にこだました。
プログラム内に空間が一気に陰鬱な紅い色に染めあげられていく。
(どうしたの!?)
(特殊部隊と結合していた《ジェイド》たちが、《ダイソン》に取り込まれて本来の活動を開始したようだ……)
(結合していた《ジェイド》……警備[セキュア]プログラムの!?)
(《ダイソン》に取り込まれ、元の鞘[さや]に収まったらしいな。
不正侵入を検知したようだ……)
《アンコ》が声を一段落とした。
(これより《ダイソン》の中心部——もっとも警備が厳重な武装地帯[セグメント]に突入する!)
またひとつ、防壁[ファイヤーウォール]を抜けた途端、オタマジャクシの大群が泳ぐ水槽に頭を突っ込んだように、翡翠色をした警備プログラムの《ジェイド》が征矢[そや]のごとく追ってきた。
光より速くは走れない——。
つまりこれ以上速くは突破できないということだ。
(響はこのまま速度を弛めずひたすら中心部をめざせ!
振り向かずにだ!
たとい魔光が万能であっても、プログラム内ではプログラム言語以外に攻撃手段はない……)
(私は逃げるしかないってことね……?)
危険は重々承知だったが、それでも響は緊張せずにはいられなかった。
(敵は私が食い止める!)
そうリンクした《アンコ》が響の前方から離脱し、背後に迫る幾筋もの奔流[ほんりゅう]に振り返った。
(džǻÇΩÇÃê_ÅAéÂÇÃñºÇÇ›ÇæÇËÇ…è•Ç¶ÇƒÇÕÇ»ÇÁǻǢÅB)
海を分かつ大魔道師のように《アンコ》が唱えると、堰を切って迫る光の軍勢が割れ、一瞬だけ攻勢を弱めた。
だが——。
プログラム内に浮かぶ《アンコ》の〝意志〟が突然、固まった。
数千数万のタスク処理に負荷が掛かった《アンコ》がプログラム内でフリーズしてしまったのだ。
響の〝意志〟はじりじりと背後に迫る警備[セキュア]《ジェイド》たちの気配を感じていた。
(速く——)
響は祈るように念じる。
眼前には最後の防壁[ファイヤーウォール]が現れた。
《アンコ》が穿った防壁[ファイヤーウォール]のワームホールは、しかし、いま警備[セキュア]《ジェイド》たちによって閉じられようとしていた。
次第に狭まっていくワームホールを目指して、響はひたすら趨[はし]っていった。
(速く、速く、もっと速く———!!)
響は内心に叫んだ。
ワームホールが閉じてしまうまさにその瞬間、ぎりぎりで響は最後の防壁[ファイヤーウォール]を突破した。
ようやくプログラムの中心部に到達した響の目に飛び込んできたのは、まるで蜘蛛の巣に引っかかった昆虫のように捕らわれるゆう子先輩だった。
彼女は光の繭[まゆ]に抱かれている。
(ゆう子先輩!)
光の繭[まゆ]に触れたそのとき——。
響の脳内に、ゆう子の〝意志〟が流れ込んできた。