PHASE=020 魔光少女失格 Requiem for a Dream
1
「響−! 早く早く!」
ゆう子先輩の呼ぶ声で響は目を覚ました。
ベッドから身を起こし、周囲を見まわした響は、寝ぼけ眼をこすり、ゆう子の声が窓から聞こえることを知覚する。
「ゆう子……先輩?」
窓に目を向ければ、まぶしい朝日がカーテン越しに差し込んでいる。
「もう、なにやってんの、響! みんな待ってるんだから!」
ゆう子につづいて、すみれの声も聞こえてくる。
これは夢だ。夢に違いない。だってすみれは……。
断定する一方で、響はたったいま脳裡をかすめた考えから目を背けた。
夢であってもいい。
どうせならこのまま目覚めなければいい。
目覚めたばかりの瞳には明るすぎる白さに目を細めつつ、響はカーテンを押し開けた。
そこで、目が覚めてしまった。
(作戦を伝える!)
事務的にすぎる《アンコ》がうつろな瞳の響に説明をはじめた。
響はいま、琵琶湖のほとりにあるキャンプ場に立ち尽くし、《アンコ》の声を聞き流していた。
作戦開始までの数十分間、うとうとして短い昼寝を貪った響は、媒質通信[オプトリンク]を通じて作戦開始を伝える《アンコ》の声で現実に引き戻されたのだった。
(琵琶湖水質の形成過程と変動機構のプロジェクトでは、レーザーと光ファイバーを組み合わせたセンサーで、個々の植物プランクトンの蛍光および散乱光をとらえて粒径解析と固体密度を現場で連続的にはかろうとするものだ……響、聞いているのか?)
(つまり光ファイバーのレーザーでプランクトンを集めて、稚魚の餌にしてるってことでしょ?)
(うむ……)
なにか言いたりない様子の《アンコ》が渋面をつくり、説明をつづける。
(近ごろ、琵琶湖の発光現象がニュースで取り沙汰されている。水面が翡翠色の燐光を放つ、とね。おそらくこれは、水質調査の光に反応した《ジェイド》が、プランクトンと結合したために起きたものだろう)
(で? わたしはプランクトンを殺せばいいの?)
(無数の粒子をいちいち相手していたのでは、埒があかない)
(わたしは別にそれでもいいよ。どうせ……)
(どうせ、なんだ!?)
響の不満顔を受け止めた《アンコ》が、言葉の先を促して、気まずい沈黙が流れた。
(……ちゃんと作戦がある)
気持ちを切り替えた《アンコ》がつづける。
(光に反応するプランクトン《ジェイド》を、ポリゴンレーザーによって集約。一気に殲滅する)
(ポリゴンレーザー?)
(多面体の利得媒質を使って、誘導レーザーを乱れ撃ちするんだ)
ディスコを怪しく照らすミラーボールを想像した響は、(どんなに敵に集られて、タコ殴りにされたって、わたしは死なないもんね?)と皮肉を洩らした。
(プランクトン《ジェイド》に戦闘能力はほぼないはずだ)
(〝はず〟? それが作戦と呼べるの!?)
今度は《アンコ》が押し黙る番だった。
京都に散らばった外宇宙の自己制御[セルフ・ガバナンス]型群[スウォーム]兵器《ジェイド》の尽滅。
魔光少女に与えられた使命をまっとうすべく、響は孤軍奮闘してきた。
かつて同じ魔光少女だったすみれが闇に飲まれて消滅し、ゆう子は戦闘中に失明して戦線離脱。
あとに残ったのは、響だけだった。
しかも、幸か不幸か、響は意志を光に変換し、体を再構築[インスタンス]した際、光と影で構成されるいわば幻と化し、老いず死なずの無敵の魔光少女になっていた。
だが——戦友を失い、終わりの見えない《ジェイド》との戦いは次第次第に響の精神を蝕みはじめ、あんなに活発だった彼女がいまでは皮肉屋になってしまっていた。
《アンコ》との関係も良好とはお世辞にも言えず、いつも二人の間にはピリピリと緊張した空気が漂っているのだった。
《アンコ》は《ジェイド》出現の情報がもたらされた時以外、響の前に姿をあらわさなくなり、いつも響のリュックサックに隠れて行動をともにしていたのはすでに遠い過去のこと。
響と《アンコ》の間には、拭いがたい反発心が芽生えはじめていたのだった……。
(そうやって都合が悪くなると何も言わなくなるのね?)
痛いところをついたという確信と、もっと《アンコ》を言葉で傷つけてやりたいという残酷な思いとが響の胸を突き上げた。
だってだってだって——
わたしはもっともっともっと苦労しているし、痛くてつらい思いを味わっているのだから!
(あなたはそうやって安全な場所でわたしが苦しむ姿を眺めているといいわ!)
《アンコ》を見下ろした響は、憎しみをこめて言い放った。
(見せてあげるわよ……無敵になった魔光少女の戦い方を!)
一方的にオプト・リンクを打ち切った響は、キャンプ場に反響するような大きな声であえて変身した。
「オプト・クリスタル・プリズムアップ!」
唱えた途端、響のふたつくりの髪にオプト・クリスタルの髪留め[バレッタ]がきらめき、揺れ動く光の乱反射を浴びて戦闘服[バトルドレス]を身にまとう。
キャンプ場になっている浜辺を走り、響は深紅のドレスが濡れるのも気にせず、湖のなかにダイブしていった。
すでに生命体の概念を超越し、光と影の幻になった響に、呼吸は不必要だった。
一心不乱にフォトナイザーにまたがって湖の底を目指していく。
水深約15メートル。琵琶湖の淡水のなかを水圧にまけず駆け抜けた響は、《アンコ》が作った多面体利得媒質[ミラーボール]を展開した。
「ポリゴンレーザー!」
響がフォトナイザーに思念を送ると、多面体利得媒質[ミラーボール]から色彩がフーガ模様になってほとばしり、遠くで鮮やかなエメラルドに、すんだアメジストに変転していく。
七色に変化する光が淡水中のプランクトンや水中塵に乱反射しはじめる。
刹那、淡く燐光を放つ蛍のような光が湖のあちこちで発光をはじめる。
「来なさい、《ジェイド》!」
響は全身を声にして叫んだ。
「ぶち殺してやるうううううううううう!!」
まるでそれはイナゴの大群が田畑を食い荒らすかのようだった。
湖の各地点で発光しはじめたプランクトン《ジェイド》が、ポリゴンレーザーの誘導によって響1点に集まり出したのだ。
プランクトン《ジェイド》群が響の美しいドレスを射貫き、傷つけていく。
たとえ擦り傷程度の痛みであったとしても、同時に何千何万何億匹もの微生物に噛まれたたとしたら、その痛みは想像を絶するものだ。
「きゃあああああああああああああああああああああああああああああああ」
響は水中で痛みをこらえ、それでも死なない体を恨めしく思いながら反撃を開始する。
市街地はともかく、湖のなかならば被害を気にする必要もない。
響はフォトナイザーを振りまわしてプランクトン《ジェイド》を尽滅すべく魔光を連射した。
「フォトニックアンプリファ!」
微少であるが故、貧弱な《ジェイド》たちはいともたやすく死んでいく。
殺すたびに、響はすっと胸の重しを一瞬、忘れられるような気がしてくるのだった。
《アンコ》を傷つけるだけでは、腹の底で煮えたぎる響の怒りは収まらなかった。
丁度いい——《ジェイド》も倒せて、ストレスも発散できる。
「ははは! 死ね死ね死ね死ね!!
みんな死んじゃええええええええええええええええええ」
なにが楽しいのか自分でもわからないまま、響はフォトナイザーをめちゃくちゃに振って魔光を撃ちはなっていった。
生きるも死ぬも、響の一振りしだいで決まる世界。
神様になったような気分だった。
まるでその快感は、病みつきにさせる中毒症状を持っているかのように響を蝕んでいた。
結局、響は湖のプランクトン《ジェイド》を殲滅してもなおフォトナイザーを振るいつづけ、琵琶湖に棲息する魚や植物をも皆殺しにしてしまった。
2
(響、あの戦い方は、なんだ!?)
琵琶湖から上がってきた響の姿を認めた《アンコ》が、開口一番、オプト・リンクを通じて訊ねてきた。
「なにって……なにか気にくわないことでも?」
深刻な表情を結ぶ《アンコ》を、響は涼しい顔でやり過ごす。
「言われたとおり、《ジェイド》は倒したじゃない」
なにを言っても無駄か。あきらめの色が《アンコ》の瞳に一瞬浮かび、長い息を吐き出させた。
つづいて空を仰ぎ見る。
(いまの響を見たら、さぞすみれは残念に思うだろうな……)
「だれが、こうさせたの?」
響がすかさず反論する。
「わたしたちに魔光少女という宿命を勝手に背負わせて、自分の思い通りにならなくなったら、気に入らないって言うの?」
(響……)
《アンコ》はそれでも辛抱強く諭すように語りかけた。
(かつての君は、天真爛漫で、いつも溌剌としていて、前向きで……)
「だれだって、友達をあんな失い方したら……自分の体が怪物になったりしたら、こうなるわよ!」
声が裏返る寸前の絶叫に近い声で響は訴えた。
「なんで! なんでわたしばっかこんな目に遭わなきゃなんないの!? なんで? ねえ、なんでなの!?」
(もういい! 十分だ!)
《アンコ》が言下にさえぎった。
(たったいまより、魔光少女の任を解く!)
さすがに咄嗟の《アンコ》の言葉は響をひどく動揺させた。
「任を……解くって……」
(さあ。オプト・クリスタルを返してもらおう)
「《ジェイド》は……どうするの?」
どうせ自分に頼るしかないのだ。
多少は冷静さを取り戻した声で響が訊ねた。
(貴様が知ったことか!)
もはや親友ではなく、袂別宣言に近い《アンコ》の物言いだった。
(魔光少女の資格もないのに、首を突っ込むな)
「責任は……」
どうやら本気で魔光少女を解任するらしい《アンコ》の底意を確かめながら、響は言葉を重ねた。
「わたしをこんな体にした責任は、どうとるの!?」
(そもそも光の意志となり、友人を、先輩を助けたいと言い出したのは君自身だ)
怜悧[れいり]な事実を《アンコ》に突きつけられて、響は二の句が継げなくなった。
(そして、意志を再構築し、恒星間宇宙船《ダイソン》の暴走を止めたのも、君自身の意志によるものだ。
むしろ、わたしは問いたい。
君自身の責任を、な!)
「い……いらないわよ、こんなもの!」
悔し紛れにそう言い放ち、響は紅水晶[ローズクオーツ]を砂浜に叩きつけた。
(それでいい)
《アンコ》はそこでいったん言葉を切ってからつづけた。
(さらばだ、プリズム☆響)
紅水晶[ローズクオーツ]を提灯の先端に吸収すると、《アンコ》は空高く舞い上がり、飛び立っていこうとする。
「ちょっと待ちなさいよ!?」
響が《アンコ》を呼び止める。
「ここからフォトナイザーもなしに、どうやって帰れっていうの……!」
「親御さんに迎えに来てもらうのだな……」
紅水晶[ローズクオーツ]を持たない響には、オプト・リンクは通じない——そこで《アンコ》は声を大きくして言った。
「響。君が魔光少女として《ジェイド》と戦ってきたこの一年はけっして無駄ではなかった……と思いたいがな」
そんな言葉を残し、《アンコ》はその場から帯びたっていった。