PHASE=021 閉じた系 Biosphere2
すべてのはじまりは、密閉されたレーザー植物工場[プラント]だった。
コンピュータにより完全に制御されたその工場では、温度、光、二酸化炭素、培養液などの環境条件を好適に制御・抑制し、施設内で作物を天候にあまり左右されることなく、省力的に生産することを目的とした研究が進められていた。
コンピュータの処理装置をはじめ、照明器具といった精密機械が放つ多量の熱放射を軽減するために、天井には巨大な空調設備が唸りをあげている。
大きなファンが回転し、まるで怪物の咆吼のように空気を蠕動[ぜんどう]させているのだ。
陰鬱な赤色半導体レーザーの照明に照らされた室内には、複雑化し、密集した植物群系[バイオーム]が形成されており、太陽の光に一度たりとも当たったことのない植物たちが生い茂っていた。
まるでそこは、深紅の照明に照らされたクラブで、いっせいに観客が手を伸ばしているようにも見える。
その工場が真っ赤なのには理由がある。
そもそも植物が緑色をしているのは、太陽光から養分を生み出す葉緑素を持っているからだ。葉緑素は赤色と青色の光を吸収しやすく、なかでも光合成や光形態形成に大切な赤色の光がもっとも植物の成長を促進するからだった。
ところが、この真っ赤なレーザー植物工場にあって、淡い翡翠[ひすい]色の燐光[りんこう]を放ついくつかの物体があった。
——《ジェイド》である。
魔光と呼ばれる外宇宙の光テクノロジーによって生み出された自己制御[セルフ・ガバナンス]型群[スウォーム]兵器《ジェイド》は、光をエネルギー源とし、光を吸収することで、その動力源としていた。
彼らは、エネルギー調達の目的で恒星間宇宙船に積載されていたが、地球に不時着した際に、プログラムに異常を来たし、相互接続[コミュニケーション]を断絶してしまった。
結果、京都中に散らばることになったこの無人兵器群は、光を求め、京都中のあらゆる炭素生物と結合し、これまであまたの事件を引き起こしてきた。
それが、である。
いま、またひとつの《ジェイド》が、まったく偶然に、レーザー植物工場に侵入してしまった。
光を動力源とする彼らにとって、そこは楽園[オアシス]だった。
赤色半導体レーザーの光に照らされた《ジェイド》は、思うままにそのちいさな体にエネルギーを蓄えていった。
本来、新星爆発[スーパーノヴァ]の高エネルギーを魔光と呼ばれるインフラに転換できる彼らにとって、レーザー植物工場で蓄えられる光エネルギー量はたかがしれていた。
ところが、まるでコップに注いだ水があふれ出すように、赤色半導体レーザーの光を吸収し、魔光に変換された光は、とんでもない創発[エマージェンス]を引き起こした。
光を吸収する《ジェイド》と。
光を吸収して生育する植物群系[バイオーム]とが。
生存目的を合致させた両者が結合をはじめて、かのダーウィンが『種の起源』でいうところの「生物が互いにおこなう相互適応・相互進化」すなわち共進化[コー・エボリューション]を誘発したのだ。
植物と結合したことで、茎[スチーム]を通じたネットワークを形成した彼らは、工場のみならず、京都市内、日本全国、否——地球上のありとあらゆる植物群系[バイオーム]と結合した。
そう、それが、すべてのはじまりだったのだ。
昆虫や鳥の大群が、まるでひとつの意志をもつかのように、植物群系[バイオーム]と結合した《ジェイド》たちも、制御不能[アウト・オブ・コントロール]の混沌[カオス]のなかで、ある意志を創発[エマージェンス]するに至った。
光を吸収するのに邪魔な存在を排除する——それはすなわち、自分たちの生存を脅かす人類への宣戦布告だった。
人々は、まさか植物が意志を創発するとは夢にも思わなかったし、ましてやその爆心地が、京都のとあるレーザー植物工場[プラント]だとは思いもよらないだろう。
意志を持った植物、バイオーム《ジェイド》は、レーザー植物工場[プラント]からその触手を伸ばしはじめていた。
その日、7月14日——京都は祇園祭の宵山を迎えていた。