魔光少女 プリズム響

PHASE=022 秘密の花園

2015年7月。

夏本番を迎えようとしている京都の蒸し暑さをものともせず、ひとりの少女が小学校の校門を駆け抜けていった。
いったん通り過ぎてから、きちんと後退して振り返った少女は、校門の脇から下校する児童たちを見送る教頭先生に「さようなら!」と元気よくあいさつしてから、ふたたび裏山へとつづく坂道をのぼっていった。

赤いランドセルを揺らす少女の名は、日野ひまわり。
ポニーテールの髪には彼女の名前とおなじひまわりをかたどった髪飾りがとめてあり、黒目がちな目は、いま好奇心でおおきく見開かれていた。

ひまわりは、見つけてしまったのだ。
学校の裏山にある、みんなには内緒の場所——《秘密の花園》を。

今日も学校が終わると、一目散に彼女はその《秘密の花園》を目指して走っていたのだった。

それはまったくの偶然だった。
授業中、なんとはなしに窓の外を眺めていると、新緑の緑が燃えさかる裏山の一角に、うすぼんやりと桜色と紅色、黄色がせめぎ合うように咲く場所があったのだ。

学校帰りに寄ってみればその裏山の一角は、見たこともないような光景が広がっていた。
梅と桜と紅葉とひまわりが咲き乱れていたのだ。
四季を代表する花や葉がそれぞれ咲き乱れ、紅葉し、そして急速に枯れ、また芽吹いているのであった。

ひまわりはみんなにも知って欲しかった。
だから友達や先生や両親に話したのだ。

「学校の裏山に、四季折々の花や葉っぱが咲き乱れている場所があるんだよ!」

でも、ひまわりの話を聞いたみんなは一様におなじ反応しか示さなかった。

「そんなこと、あるわけないよ」

(きっとこれは、神様が私だけに見せてくれているプレゼントなんだ)
ひまわりはそう考えるようになった。
自分だけの《秘密の花園》。

だから今日もひまわりは、学校が終わるとまっすぐ家には帰らずに、《秘密の花園》へ向かっていったのだった

写真に納めようとしたこともあったが、なぜか《秘密の花園》に電子機器を持ちこむと作動しなくなり、壊れてしまう。

しかたなく絵を描いてみんなにこの場所のことを伝えようともしたのだが、彼女の画力では、四季折々の花が同時に咲き乱れた景色に説得力を持たせることはできず、絵を見た先生は、二週間に一回、学校に派遣される精神科医のカウンセリングを受けたほうがいいと薦める始末だった。

どうやったら、このすばらしさを伝えられるだろう?
額に玉のように浮かぶ汗を腕で拭いながら、ひまわりは《秘密の花園》でおおきく息を吸った。

新緑の緑の青臭さと。
桜のほんのりした香りと。
枯れ葉や松ぼっくりの杉を思わせる匂いとが渾然一体となった芳醇な香りを胸一杯に吸い込んだ。

ごろん。
ランドセルを放って極彩色のお花畑に寝転がる。
今日は体育でプールの授業があったせいか、体全体が重く疲れ切っていた。
重たくなった目蓋は耐えきれずひまわりの瞳を覆い、彼女は遅めのお昼寝を貪った。

目が醒めると、夕暮れ時だった。
早く帰らなきゃ、とお花畑から身を起こすと、蛍のように淡い翡翠色の光を明滅させる昆虫が、周囲を飛び交っていた。

夕暮れ時のお花畑に漂う蛍という光景は幻想的で、いっしゅん、ひまわりはまだ夢のなかにいるんじゃないかと思ってぎゅっと頬をつねってしまった。

夢じゃない。
翡翠色の光の明滅を繰りかえす昆虫たちを眺めているうちに、ひまわりは一歩、一歩と自然と足が動いているのに気がついた。

早く家に帰らなきゃ。
体に命じているつもりが、言うことをきかずにまったく別の方角を目指している。
《秘密の花園》の中心部——おおきな桜の木に向かっていったひまわりは、ちがう、そっちじゃないと必死に抗ったが、それでも体は自由にならなかった。

操られている。ようやく自分の体の異常事態に気がついたときには、すでに遅かった。桜の木が突然、動きだし、木の枝がまるで波打つ触手のようにくねくねと動きはじめた。

食べられる——木が人間を食べるなんて聞いたことがない。でも、桜の木はひまわりに向かっていっせいに触手を伸ばして、彼女を捕らえようとした。

(目を醒ませ、少女よ!)
途端、ひまわりの脳内に男の人の無機質な声が響き渡り、彼女を動揺させた。

(目は醒めてるけど、体が言うことを利いてくれないんです!)

次の瞬間、ひまわりに襲いかかってきていた触手が、割り込んできたレーザー光線ですぱっと切断されてしまう。

レーザーが放たれた方角に目を向けると、そこにはチョウチンアンコウが宙に浮かんでいたのだった。

(少女よ、いますぐ魔光少女に変身するんだ!)
そう言ってチョウチンアンコウはひまわりに黄色いきれいなクリスタルを放った。

両手で黄色のクリスタル——黄水晶[シトリン]を受け取ったひまわりは(変身?)と聞きかえす。脳内に聞こえる声に言い返そうと念じると、自然と自分の声がどこか遠くへと送られていったようだった。

刹那、ひまわりは、周囲を漂っていた翡翠色の光が突然、一点に集まり、桜の木の中心部に結合するのを目撃した。

(な、なに!?)
(《ジェイド》だ!)
(《ジェイド》?)
(この場所の花を咲かせている敵だ! いますぐここを焼き払うんだ!)
(《秘密の花園》を!?)
(《秘密の花園》……なるほど、この場所を君はそう呼称しているんだな?)
(あなたがやればいいじゃない)
(私の出力では、やりきれんのだ……)

桜の木が殺人的な素早さで触手を伸ばし、ひまわりの足下に激突させる。
お花畑の花がえぐられ、地面が掘り返されてしまう。

シトリンを抱えたままその場から走り去ろうとしたひまわりは、自分の体が言うことをきくことを知覚して、はっとなった。

(体が……戻った!)
(《ジェイド》の催眠術にかかっていたんだ)
チョウチンアンコウがひまわりについてくる。
(いますぐ変身して、敵を倒してくれ!)

(私には……無理です!)
ひまわりは走りながら言った。

(無理? なぜだ!)

(だって私は小学生だし……あんなのと戦ったこともない!)

(戦い方は私が教える! 頼む、少女よ、力を貸してくれ!)

(どうして私じゃなきゃいけないの? ほかにもいるでしょう!)

(《秘密の花園》を見つけたということは、君は光の軌跡[トレイル]を読めると言うことだ。
君しかいないんだ!)

桜の木は追跡の手を弛めずに触手を伸ばしてくる。

(このままでは逃げきれんぞ!)

(あああああ! もうっ! じゃあ、どうしたらいいの?)

(起動パスワードを唱えるんだ……)

ひまわりは、脳内に流れこんできたイメージをそのまま口にした。

「オプトクリスタル、プリズム・アップ!」

シトリンが黄色く輝いて、光に包まれたひまわりは、魔光少女に変身した。